ぶりっ子でも良いのだ——咲坂伊緒『アオハライド』

ぶりっ子でも良いのだ——咲坂伊緒『アオハライド』

概要

 『アオハライド』は、2011年から2015年まで『別冊マーガレット』に連載された咲坂伊緒の少女漫画。2014年に実写映画化。

 中学時代に両思いであった双葉と洸が、再会した高校時代にもう一度恋をする物語。

 ほかの漫画・アニメは『失恋ショコラティエ』『僕等がいた』『ONE PIECE』『3月のライオン』『君たちはどう生きるか』などがある。

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登場人物・キャスト

吉岡双葉(本田翼):男子に対して猫をかぶってるとハブられたことから、ガサツに振る舞うようにしている。中学時代に田中洸と出会い両思いになる。
(他の出演作:『天気の子』)

馬渕(田中)洸(東出昌大):中学一年のとき吉岡と出会い両思いになるも、家族の事情で長崎に引っ越しすることになる。
(他の出演作:『寝ても覚めても』)

槙田悠里(藤本泉):クラスメイト。男性と喋ると緊張して猫をかぶったようになるが、そんな自分を肯定している。リーダース研修によって洸のことが好きになる。

村尾修子(新川優愛):クラスメイト。一匹狼タイプ。馬淵の兄である田中先生のことが好き。

小湊亜耶(吉沢亮):クラスメイト。馬淵の友人で、村尾のことを好いている。

田中陽一(小柳友):洸の兄で特進クラスの担任。村尾に好かれている。

菊池冬馬(千葉雄大):バンドマン。図書室で起こった事件をきっかけに吉岡を好きになり、付き合うことになる。

成海唯(高畑充希):洸の長崎の友人。洸と似た境遇であり、洸のことを好いている。

あらすじ・内容・ネタバレ

 中学時代、双葉と洸はお互いに惹かれあい両思いになるも付き合うまではいかず、洸が引っ越すことで離ればなれになってしまう。

 高校生になったある日、苗字を変えた洸が突然高校に現れる。三年間のうちに変わってしまった洸であったが、交流を深めていくうちに洸の優しさに気づくようになる。そして次第に二人は惹かれあっていくのだが……。

解説・考察・感想

媚びることと好かれること

槙田悠里:自分でもブリッコなの分かってるんだけど……男のこの前だとキンチョーして自分作っちゃう。自意識過剰だから。 でも男のコにかわいいって思われたいっていうのが、不自然な気持ちとは思えない。 みんながオシャレしたりお化粧したりするのだって、人に良く見せたいって事なのに それと私のブリッコってどうちがうのかな?

 なにが起きているのだろうか。ぶりっ子が肯定的に描かれ、オシャレや化粧と同一視されるとは!男性ウケを狙ったキャラのなかで、ぶりっ子ほどその目的に特化した存在はいない。女性から嫌悪の眼差しを向けられるとしても、男性から好かれようとする意思。それがぶりっ子という存在を規定している。

 主人公の吉岡は無意識に男性に対して猫をかぶってしまい、クラスメイトからハブられた過去を持つ。そんな吉岡による悠里への共感は、過去の自分に対する肯定でもある。ガサツに振る舞うことで女性との友情を保つ吉岡は、男性が苦手だと言いながら女性との交流もうまくいっていない。

 吉岡と友情を結ぶ悠里と修子は、女サークルに馴染めなかった者同士である。なぜ女同士のサークルから弾き出された三人が、ふたたび女同士のサークルを築くことができる/築こうとするのか。それは前者のサークルが承認と空気を読む同一性を強要するのと違い、後者のサークルが個性を重んじようとするからだ。両方のコミュニティーに属することは許されていない。個性がある故に前者の同一的集団からあぶれること、それが後者のサークルに入る条件である。

 ということで、恋をした吉岡が洸に好かれようと始めた化粧は、洸にやめておけと言われても継続される。やりたいこと、思ったこと、感じたことがなによりも大事であって、それを邪魔することは許されない。もちろんそれが慣習的であるとか、社会的に強制されているという問いも許されない。内面がもっとも大事なのである。

雑感ー主体性の放棄

 心の内で思うこと、それは現実の行為と同じくらい重要である。そのせいか心の声がとにかく多い。重要な場面では発する言葉よりも心の声が多い。

 印象的な場面がある。洸を好きであると自覚した吉岡は、一緒に下校しながらドキドキが止まらない。一緒に電車に乗ろうとしたそのとき、吉岡は学校に忘れ物をしたと言い、電車から降りる。もちろんこれは嘘である。吉岡はなにも学校に忘れていないし、学校に戻る気もない。ただ洸に一緒に降りてほしかったのだ。

 吉岡は心の中でこう思う。洸が降りたら「洸が好き」をやめず、降りなかっらやめる、と。

 吉岡にとって「好き」と伝えることは、自らの決断の先にあるのでない。「好き」を続けるも辞めるも、洸の行為次第である。自らは決断せず、他人の好意からなる行為に、自らの選択を委ねようとする。ここに主体性を放棄したいという強い欲求があるように思う。

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