深海魚の恋

深海魚の恋

昔、昔、あるところにお魚がいました。お魚は深い、深い海で、ひっそりと暮らしていました。人間なら深海魚という分類をして、難しい学名を付けるのでしょうが、そのお魚について人間はまだ見つけていませんでした。今後も見つけないでしょう。そのお魚は一人で、光なんて全くない闇の中を、静かに、静かに泳いでいました。

そのお魚はしかし、孤独であっても、自分の生の理由を知っていました。彼女は天翔ける龍と逢うことになっていたのです。そのお魚は、自分の骨の髄を構成する細胞から、そのことを教えてもらいました。宇宙が誕生するその前から、そのお魚が龍と逢うことは決まっているというのです。彼女は小さな心臓を少しばかりどきどきさせながら、暗い海でゆらゆらと、まだ見ぬ龍と逢う日を待ちました。

地上ではたくさんの生物が生まれては滅び、隕石が落ちたり、暑くなったり寒くなったり、そのうち文明というものもできたり、失われたりしたようです。しかし、お魚のいる深海は相変わらずでした。彼女にとっては、龍と逢うのを待つことだけが、生でした。

時が来ました。雨が降りに降って、空が海に、海が空になる日でした。なるほど、そんな日が来ることは、ずっと前から知っていた気がしました。お魚は細胞がうずうずするのにまかせ、上へ、上へと泳ぎ始めました。どんどん明るくなるのは眩しいし、身体も変に膨らんで動きづらくなっていきましたが、構わずに泳ぎ続けました。身体のいろいろな部分が千切れ、遠退く意識の中で、私を失い、そして遠くで龍が下へ潜っていくのが見えました。お魚は、自分が空と海のあわいまで来ていたことを知りました。その揺らぎの中を潜っていく龍は美しく、でもまた暫くは逢えないのだろうと思いました。どうも彼は空に飽いて深い海に行くらしいのです。

お魚の身体はうずいて、最早、上に、上にしか行けなくなっていました。下へ、下へと進む龍を遠目に見ながら、どうも仕方ないという気持ちで、空へ、空へと駆け上がりました。龍が深海に潜ってしまうのは私が醜かったからだろうかと、ちらと考えましたが、まあ、そうではなかろう、と思い直しました。

お魚は今、高い、高い空をゆっくりと飛んでいます。彼女は、空は深海と似ていて、誰もおらず静かで心地良いと感じています。空で過ごすうちに、少しばかり、胸や腹がふっくらしたようです。難しいことはよくわかりませんが、きっと空を飛ぶことに身体が適応したからでしょう。

彼女は知っています。時が経った後、再び空が海に、海が空になる日が来ることを。そしてその時には、また龍と逢えることを。それは宇宙が始まる前からの、約束なのです。ねえ、そうでしょう?

※写真は写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOKから ID:28241075(作者:ranri)

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