友情・努力・勝利からみる少年ジャンプ ––『週刊少年ジャンプ』入門

友情・努力・勝利からみる少年ジャンプ ––『週刊少年ジャンプ』入門

まえがき

 皆さんもご存知の通り、友情・努力・勝利というスローガンがある。これは『週刊少年ジャンプ』の三大原則として語られることが多く、このスローガンに当てはまるマンガも数多い。

 今回はこのスローガンから見える『少年ジャンプ』作品という方向性でいろいろ検討してみようと思う。そうすると、時代の変遷とかが少しずつ見えてきたりするのでないかという期待からである。ただし全てを扱えるわけではないので、基本的に『日本マンガ全史』(2020)で紹介されている作品だけを取り扱う。独断と偏見で友情・努力・勝利度もつける。中途で終わる可能性大である。読まれる皆さんは過去の作品を懐かしんだりしながら、読んでもらいたい。とりあえず、本当に勝手にやっていくつもりである。

 友情・努力・勝利は創刊当初からその方向性が打ち出されていたわけではない。1970年代中盤までの『ジャンプ』はその影響力が薄いのである。というわけで、『少年ジャンプ』創刊時の歴史と友情・努力・勝利のいきさつについて説明したあと作品を見ていくことにしたい。

「友情・努力・勝利」前史:『週刊少年ジャンプ』創刊

 母体は月刊紙『少年ブック』。始まりは1968年7月『少年ジャンプ』(月2回)からである。1969年10月から週刊化し、現在とおなじ『週刊少年ジャンプ』になる。

 今や圧倒的な人気を誇る『週刊少年ジャンプ』も、創刊当初から順風満帆というわけではなかった。時はマンガ誌戦国時代であり、他の漫画雑誌『チャンピオン』や『サンデー』に遅れて『ジャンプ』が登場する。その遅れが『ジャンプ』の方向性を大きく決めることになった。すでに創刊していた『チャンピオン』や『サンデー』にビッグネームを取られていたことによって、新人を積極的に採用したのである。

 そして後発の『ジャンプ』が認知されるきっかけとなったのが、永井豪『ハレンチ学園』、本宮ひろ志『男一匹ガキ大将』の連載である。当時青年層にも支持の層を広げていた各誌であるが、新人作戦と共に、オリジナル読者層への回帰(王道回帰)を『ジャンプ』は行ったのである。

 新人と王道路線を明確に打ち出した路線は成功し、1969年8月にはライバル『少年キング』を部数で抜くことになった。

友情・努力・勝利とは

 友情・努力・勝利は『少年ジャンプ』の三原則だと言われている。元々『少年ジャンプ』創刊編集長の長野規が『少年ブック』編集長時代に決めた漫画作りの基本方針であった。

 長野は編集長のとき、小学校4、5年生を対象にアンケート調査を実施した。そうしたところ、一番心あたたまることは→「友情」、一番大切に思うことは→「努力」、一番嬉しいことは→「勝利」という結果が出た。そこから長野はこの三つを漫画の基本コンセプトにしたという経緯がある。

ちばあきお「プレイボール」(1973〜)

友情:★★★ 努力:★★★★★ 勝利:★★

アニメ:プレイボール1st  第1話(2005年)。漫画とは作画や内容が結構変わっている。

 尋常ならざる腰捻りタッチ交わしスライディング。ごろごろ回転のど迫力キャッチ。バットにあたらないほどの速球と球が投げられなくなるのではないかというほどの疲れの蓄積。初回と最終回にのみ何かが起こる試合。リアリズムとは程遠い象徴化されたダイナミズムがこのマンガの魅力である。また人物描写も今にない軽やかさとなっている。やたらと肥大した自意識の葛藤がほとんどないし描かれない。やたらと大人びた谷口。なぜか高校生なのに髭をはやしているおっさん田所。その他愉快な仲間たち、、、。

 なぜよりにもよって最初が「プレイボール」なのかと憤慨なさる人もいるかと思われる。理由は二つある。一つは1990年代生まれの筆者であるが、このマンガは全て読んだことがあるからである。なぜが家に全巻置いてあった。2つ目は、1970年台中盤までの『ジャンプ』では、前書きでも述べたように三要素の浸透力は強力ではないにもかかわらず、逆に三要素が純粋に現れているのが「プレイボール」(『マンガ全史』(268−269頁))だと言われているからである。ちょうど良かった。ここから始めよう。

 「プレイボール」は「キャプテン」のスピンオフ作品であり野球漫画。「キャプテン」では中学野球部が舞台であるが、「プレイボール」はその高校編である。「キャプテン」とともに、「巨人の星」に見られるようなスポ根路線が無くなっている作品としても知られる。

 前作「キャプテン」のクライマックスで右手を故障しボールを投げれなくなった谷口は、進学した墨谷高校では野球部に入らず、田所がキャプテンを務める弱小野球部の練習をただ眺めるだけの未練たらたらの生活を送っていた。そんな様子を見かねたサッカー部のキャプテン相木は谷口をサッカー部に勧誘しサッカー部に入部する。谷口も野球を諦めサッカーに専念することに決めたが、野球への情熱と未練が薄れることはなかった。谷口の気持ちを察した相木は田所と相談し、サッカー部を退部させ墨谷高校野球部に入部させる。そこからは長い話になるが、先輩や後輩と切磋琢磨し、甲子園を目指す(ほとんど強調されない)というのが大枠のあらすじだ。

 「三要素が純粋に現れている」と先に語ったが、現代の目からするとどうだろうか。少なくともワンピース的絆のようなものはないし、墨校はもともと三学年合わせて9人揃えば良いほどの弱小野球部である。友情・勝利が高いとはお世辞にも言えない。

 友情といった場合、基本的には年頃の同じ性別との間に交わされる絆みたいものが中心になるはずだ。この感覚が既に古いのかもしれないが、とりあえずそれを基本線にしておこう。つまり友情を結ぶ相手と自分が同格にいるのが基本的な前提だと思われる。しかし「プレイボール」の友情はそういったものではない。まず同級生が6人しかおらず、半田はとてつもなく下手で鈴木は「運動不足解消」のために野球部に入ったやつである。倉持はなかなか厳しいやつであるが、これらと谷口が結ぶのは、まあ同僚みたいなもので友情というまではいかない。他は先輩か後輩なわけで、谷口もそのように接する。といってもそこに友情がないとはいえないが、あるのは絶対に裏切らないといったような「固い絆」ではなく、「なんとなくの友情」である。

 第一に人間的描写が少ないのもそこに影響しているだろう。谷口以外ほとんど家庭環境とかは分からない。人間的な葛藤(これは現代においては描かれやすいが)もほとんどない。みんなで甲子園を目指そう!という感じでもない。まあ強くなろうといった感じである。実にほんわかしている。

 勝利もそうだ。一番嬉しいことであるはずの勝利だが、墨高は勝てない。もともと谷口が入ったのも弱小の高校野球部であり、徐々に強くなっていくのであるが、そもそも谷口が絶対的エースには程遠いような球威であるため、疲れるとよく打たれる。もしかしたら最後(3年の夏)は優勝させる予定だったのかもしれないが、そこにたどり着くまでに作者の千葉さんの体調不良により打ち切りとなってしまう。

 というわけで友情も勝利もそんなにないと思うわけだが、その意味で突出しているのは努力である。弱いがかなり努力している。半田も華麗な守備をこなすまでになっている。とはいっても巨人の星のなんちゃら強制ギブスのような「血の滲む努力」ではない。やはりスポ根アニメ脱却という考えが根底にあるのだろうか。少なくとも「強迫的な努力」ではない。

 ちなみに私は知らなかったのだが「プレイボール2」もある。「プレイボール」最終巻で強豪の谷原高校に敗北しそこで物語が終了するのだが、「プレイボール2」では、そのあとの、夏の大会に向けて奮闘する墨谷高校野球部が描かれる。

藤本タツキ「チェンソーマン」(2019〜)

 時系列に沿ってやる予定であったが、自分にそこまでの力はないことが発覚。自分の力量は甘んじて受け入れよう。気の向いた順に勝手に投稿しようと思う。かんにんかんにん。

友情:★★ 努力:★ 勝利:★★★

 新時代の幕開けか。ジャンプらしくない漫画として話題沸騰中の「チェンソーマン」である。『日本マンガ全史』では、取り扱っているのが「鬼滅の刃」までなので登場しない。しかし読んでしまった以上描かざるを得ないだろう。「キャプテン」から46年、どのような想像力が誕生したのか。 

「チェンソーマン」はダークファンタジー系の藤本タツキの漫画である。少年デンジが「チェンソーの悪魔」である」ポチタと契約を交わし、チェンソーマンとして活躍する。2020年「このマンガがすごい!2021オトコ編」1位。同年第66回小学館漫画賞少年向け部門受賞。

 あれって友情なのか?ポチタと主人公デンジの間にあるのは。友情というか恩返し?そもそもポチタは夢の中で最初と最後に登場するだけ。契約と同時に深い絆も感じる。ポチタはデンジに抱きしめられて嬉しかった。しかし、友情というか、、、そう、、ポチタとデンジの間には確執が存在しない。いがみ合いとかもない。これが深い絆(契約)があるのに、友情というものをあまり感じない一つの要因だろう。

 デンジとパワーやアキとの関係は?結局、薄っぺらいというよりも「軽い」のである。この物語ではどんどん人が死んでいく。そのときに感情のより深い部分が現れる。しかしデンジは、そういったものの死に対して悲しみは起こらない(姫野)。あるいはちょっぴり涙が流れるだけである(パワー)。しかしデンジはポチタとナユタを抱きしめる。契約であるがゆえの軽くて深い関係。これまでとは別の友情の形がここには宿っている。

 努力はしてないだろう。そもそも強くなる漫画ではない。一度いやいや修行をするが、強くなったのかわからない。というよりチェンソーマンは最初から「悪魔界最強」である。努力は全くと言っていいほど描かれない。

 勝利。勝つことには勝つ、チェンソーマンは。しかし勝ち上がっていく高揚感はなく、とにかく色々なものがぶった斬られ再生し、内臓が、、、、。仲間がいないからなのか。支配の悪魔であるマキマにさえも勝利したが、あの勝利は何か人に感動を与えるものではないだろう。というより大事なのはそのあとマキマを食うことだ。

 友情・努力・勝利。この漫画はどれも気にしてない。「薄い友情」「やる気のない努力」「次々に死んでいく料理」。時代はずっと昔よりもペラペラなものになっており、その感性が現れている気がする。

参考文献

澤村修治『日本マンガ全史 「鳥獣戯画」から「鬼滅の刃」まで』平凡社新書、2020年。

(続く)

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