『マッドマックス:フュリオサ』考察|自立への道|あらすじネタバレ感想・伝えたいこと解説|ジョージ・ミラー

『マッドマックス:フュリオサ』考察|自立への道|あらすじネタバレ感想・伝えたいこと解説|ジョージ・ミラー

概要

 『マッドマックス:フュリオサ』は、2024年に公開されたオーストラリアのアクション映画。監督はジョージ・ミラー。前作は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』。

 シタデルの大隊長の女戦士フュリオサの若き日を描く。

 映画はほかに『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』『エターナル・サンシャイン』『フォレスト・ガンプ/一期一会』『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』などがある。

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登場人物・キャスト

フュリオサ(アニャ・テイラー=ジョイ):シタデルの大隊長。
(他の出演作:『スプリット』)

ディメンタス(クリス・ヘムズワース):「バイカー・ホード」の頭領。

警護隊長ジャック(トム・バーク):シタデルのウォー・ボーイズを率いる指揮官。

イモータン・ジョー(ラッキー・ヒューム):シタデルの占領者。

リクタス・エレクタス(ネイサン・ジョーンズ):イモータン・ジョーの息子。

オーガニック・メカニック(アンガス・サンプソン):バイカー・ボードの生体整備士。

スクロータス(ジョシュ・ヘルマン):イモータン・ジョーの息子。

名言

フュリオサ:私を覚えている?

あらすじ・内容・ネタバレ

1.到達不能極

 放射能に汚染されたオーストラリアで、「緑の地」と呼ばれる木々が残る場所があった。そこで果物を収穫していた少女フュリオサはバイカーに攫われてしまう。

 フュリオサの母メリーは、攫われた娘を奪還すべくディメンタスの基地まで追跡する。メリーは基地に忍び込みフュリオサを救出するも、追跡してきたバイカーに捕まってしまう。

 メリーはフュリオサの眼前で処刑され、フュリオサはディメンタスの娘として暮らすことになる。

2.荒れはてた地の教訓

 ディメンタスたちは綺麗な水と食物のあるシタデルを発見し奪おうとするが、支配者イモータン・ジョーと配下のウォー・ボーイズに撃退される。

 ディメンタスはガソリンの供給源であるガスタウンを占拠し、イモータン・ジョーと交渉する。配給を増やすことと、フュリオサと医者のオーガニック・メカニックを交換条件に契約が成立する。

 フュリオサはイモータン・ジョーの妻たちとともに幽閉されるが、リクタスが手を出そうとした隙に逃げ出すことに成功する。

3.潜伏

 それから10年、口の利けない少年としてシタデルに潜伏していたフュリオサは、重武装装甲車「ウォー・タンク」の建造に携わる。

 警護隊長ジャックが運転するウォー・タンクがシタデルを離れたとき、フュリオサはその車両に隠れていた。

 その途中、ディメンタスから離反したオクトボスの軍団から襲撃されるが、フュリオサとジャックが共闘し撃退。フュリオサはジャックの副官になる。

4. 故郷へ

 フュリオサとジャックは絆を深め、緑の地に向かうことを決意する。だが、補給のために赴いた「弾薬畑」でディメンタスの待ち伏せを受ける。

 ディメンタスによってジャックは殺され、フュリオサは左腕を失う。シタデルに戻ったフュリオサは現状を報告し、左腕を義手に交換する。

 ジャックを殺されたことでイモータン・ジョーはディメンタスに攻撃を仕掛け、「40日戦争」が巻き起こる。

5. 復讐の彼方

 ディメンタを倒したフュリオサは、砂漠の真ん中に彼を追い詰める。

 フュリオサがディメンタスをどうしたかはさまざまな噂があるが、賢者はフュリオサから教えてもらったことを語る。

 賢者が言うには、シタデルの高台に生きたまま横になるディメンタスを養分にして生える木があるという。

 その木になった実をもぎ取ったフュリオサは、イモータン・ジョーの妻たちと逃亡を図るのだった。

解説

フュリオサはこうして自立した

 前作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の公開が2015年なので、本作は約9年ぶりの新作ということになる。前作で大活躍したシタデルの大隊長フュリオサの前日譚を描く

 前作の衝撃はかなりのものだった。アカデミー賞で評価された音響効果や映像もさることながら、主人公で男性のマックスに全く媚びることなく戦い抜く女性たちが輝いてみえたからだ。そこにはフェミニズムが主張する自立した女性の一つの形がはっきりと示されていた。

 だからこそ本作で主人公の座からマックスが退き、フュリオサを据えたことは必然であった。フュリオサは生まれながらにして自立した女性であったのではない。ボーヴォワールが指摘する「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という呪縛から、フュリオサはどうやって抜け出したのか。彼女の半生を物語ることは、まさにこの疑問への回答となっているはずである。

 さて、フュリオサは「緑の地」の出身で自立した女性である母メリーに育てられていた。バイカーに襲われたあとの彼女の振る舞いは、母メリーが褒めるほど立派なものであった。すでにこの時から彼女はほとんど自立しているのだ。フュリオサの自立心の中核には幼少期に育ててくれた母メリーの思想が強く反映されているのであろう。

 だが彼女の中心にあるのは、メリーからの影響だけではない。彼女はメリーの死と同等の衝撃を、警護隊長ジャックの死から受け取る。メリーを救うことのできなかった幼き日のフュリオサの後悔は、ジャックの救出へと向かわせた。大人になったフュリオサは助けるだけの力を身につけていたのだ。だがそれでもジャックを救うことは叶わなかった。上司であったジャックは最後まで対等な関係であり続けた。ジャックにとってフュリオサは守る対象ではなく、フュリオサにとってジャックは媚びる相手ではない。共に生きること、男女のあるべき関係をフュリオサはジャックと共に学んだのである。

考察

戻るの先に何があるのか

 前作と同様、本作にも「戻る」というモチーフが散見される。メリーに逃げろと言われた時も、ジャックが捉えられた時も、フュリオサは助けるために戻っていった。成功するにせよ失敗にするにせよ、彼女は自分を顧みることなく助けることを選んだ。

 前作にはこの「戻る」というモチーフが「発見」と結びついていた。外部への逃避が無駄であると悟ったとき、彼女は元いた場所に「戻る」。だが、戻ったときそこは以前とは全く異なる様相を呈していることを「発見」する。労働を搾取される場が実は豊かな資源に溢れていると知ったとき、彼女は真の抵抗を試みた。

 だが本作でそのようなことは起こらない。「戻る」ことはあっても「発見」がない。確かに彼女は報復はしなかった。ディメンタスにメリーとジャックを悲惨な仕方で殺害されても、同じようにやり返すことはなかった。それはディメンタスと同じ土俵に立たないという決意であろう。だが重要なことはそのようなことではなかったはずだ。前作でマックスは「希望を抱いちゃダメだ。希望がかなわないと分かったら、あんたは狂っちまう」と言った。希望を持ってはいけないほどにまで狂ってしまった世界なのだ。そこで殺さない倫理を掲げたことで何の意味があるのか。

 映像もいいしフュリオサもカッコいい、だが大事なことが描ききれていない、そんなことを思うのだった。

 

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