今年もよろしくお願いします
ついにこの時がやってきた。一年に一度の年末年始。過去を振り返り満足と後悔を噛み締め、心を入れ替え次の一年に挑むこの時が。
わたしにとって今年はどのような一年だっただろうか。今年を語るうえで外せないことは、というよりこれしかないのだが、労働についてである。わたしは昨年の10月頃に労働を始めた。当初は労働の疲れで免疫が低下し、働き始めた最初の月に帯状疱疹と流行り目に罹るなどした。ボロボロである。始まりからすでに終わっているという状況。こんなんで労働を続けられるのだろうか?無理である。とかなんとか考えていたのだが、なんと今年の10月まで辞めずに続けることができた。「労働一年継続」記念すべき年である。
精神も身体もズタボロ。いまにも辞めそうで日々愚痴がとまらない。そんな貧弱で軟弱なわたしだが、一年間継続したのだから偉い。まずは自分を褒め称えたい。偉いぞ自分。
だが満足な一年だったかというと全くそんなことはなかった。特に残念に思うのは、このサイト「なるほう堂」のことだ。なるほう堂の投稿頻度を見てもわかるように、去年まで頻繁に行っていた投稿が今年に入るとほとんどゼロになってしまった。描く意欲もなければ映画を鑑賞する時間も読書する時間もない。なんとも情けない。
言い訳になるが、わたしはこの一年間、フィクションを仕事の合間の潤滑油のようなものと考える思想にハマっていた。批評家三宅香帆の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』がかなり売れたようだが、題名にある通り労働に従事していると本が読めなくなると誰もが感じている。労働に何時間も取られ家に戻る頃には疲れ切ったわたしたちに、自分の時間を楽しむ余裕はない。物理的な時間もなく、精神的な余裕もない、つまり労働後には何もないのだ。
この認識に間違いはない。労働と労働の合間に疲れを癒すためにフィクションを受容するのも、現状に対する処方箋としては正しい。だがそれだけではダメなのだ。そうやっていると小説から映画、アニメ、Youtube、SNSとどんどんどんどん軽いほうへと向かっていってしまう。脳がつかれないものばかり見るようになると、今度は頭を使うことができなくってしまう。ようは日を追うごに怠惰になっていくのだ。
ではどうするべきか。簡単である。空いた時間は頭を使うことに費やすのだ。そうすれば次第に慣れてきて映画を観るのも投稿することも苦じゃなくなるだろう。現状があって行為を導くのではない、行為が先にあって現状が後に来るのだ。