ポー『黒猫』黒猫の正体|あらすじ解説|内容考察|感想

ポー『黒猫』黒猫の正体|あらすじ解説|内容考察|感想

概要

 『黒猫』はエドガー・アラン・ポーの短編小説。1843年に発表。酒飲みの主人公が精神疾患の末に可愛がっていた黒猫を殺害するも、再び目の前に現れ人生が狂わされるゴシック小説。ほかに『ウィリアム・ウィルソン』や『モルグ街の殺人』が有名。

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あらすじ

 語り手は妻と充実した生活を送っていた。彼と妻は動物好きで、小鳥や犬、ウサギなどを飼っていた。その中でも黒猫のプルートーは彼のお気に入りであった。

 しかし、語り手は酒に溺れ飼っている動物に虐待をするようになった。彼のお気に入りである黒猫には手を出さずにいたのだが、ある日、激情に駆られプルートの片目を抉り取ってしまう。

 後悔の念を感じるも次第に元の苛立ちが蘇り、ある日、木にプルートを吊るし殺してしまう。その晩、屋敷が原因不明の火事に見舞われ財産のほとんどを失ってしまう。奇妙なことに、焼け残った壁にはロープが首にかかった猫の影が写っていたのだった。

 その後は、癇癪も減り平穏な生活を過ごしていたが、プルートによく似た黒猫を酒場で見つけて家で飼うことにする。ある時、この黒猫がプルートと同様に片目を失っていること、さらには胸の斑点が拡大して絞首台の形に変化していることに気がついたのだった。

 恐ろしくなった語り手は、地下で猫に斧を振りかざすと間違って妻を殺害してしまう。冷静になった語り手は、壁に妻を埋めて偽装工作を施す。

 訪れた警官に、大胆にも妻が埋まっている壁を叩き無罪であることを主張すると、壁の中から奇妙な音が聞こえてくる。それに気がついた警官は壁を壊すと、そこには妻の死体と、彼女の頭の上に黒猫が赤い目をカッと開きこちらを見ているのだった。

解説

エドガー・アラン・ポーの『黒猫』

 エドガー・アラン・ポーは、1809年にアメリカで生まれた。1849年に短い生涯を終えるも、そのわずか40年の間に産み出した小説は数知れない。『黒猫』『モルグ街殺人事件』『ウィリアム・ウィルソン』は誰もが知る名作だろう。

 ポーはゴシック小説というジャンルを好んで書いた。ゴシック小説とは、18世紀の終わりから19世紀の始まりにかけてイギリスで流行したホラー小説の一群のことあり、奇妙な死や不快などを主題にする。ゴシック小説の流行がイギリスで終わりを迎える頃、遅れてフランスやアメリカに輸入された。その延長線上に、アメリカにおけるポーというゴシック小説家の誕生がある。

 さらに、ポーの小説『モルグ街殺人事件』は世界初の小説と言われている。ポーはゴシック小説の領域を洗練するだけでなく、推理小説という新たなジャンル開拓の端緒を開いたのである。

 ポーの小説は、19世紀末に日本に輸入された。日本でのポー人気はかなりのもので、エドガー・アラン・ポーをもじった江戸川乱歩というペンネームの推理小説家が生まれたほどである。

 ポーの小説で『モルグ街殺人事件』と並んで人気を誇るのが『黒猫』だ。『黒猫』は、簡潔な内容でありながら奇怪な展開、メタファーに富むプロット、色彩の豊かな描写など優れた点が多い。特に、ラストの描写は、光景が目前にあるかのような錯覚をおぼえさせるほどに素晴らしい。

 『黒猫』のメタファーに富むプロットに対しては、多様な解釈が提出されてきた。問題となるのは大雑把にいうと、黒猫のメタファー、理性ー非理性の移行、罪の意識の問題がある。ここでは、主要な解釈と丁寧な解説、および考察と分析を試みたい。

考察

黒猫の正体は?

 黒猫は一体何を意味しているのか。

 最も単純な解は作中で述べられている。主人公の妻が「黒猫は魔女の化身」と発言しているのだ。実はこれは妻に限った話ではなく、ポー自身にも似たような神話じみた発言が残っている。黒猫は魔女の化身という妻の発言は、ポーが現実で抱いていた黒猫への印象と一致している。

 古来、魔女には誘惑のイメージが付き纏う。このイメージは黒猫のにも漂う印象だろう。黒猫はまず溺愛されるところから始まるのだが、いつしか私の癇に障り殺してしまうほどの憎悪を催させる。黒猫誘惑し錯乱し理性を崩壊させる力をもっているのだ。黒猫が魔女であるならば、誘惑されるのはもちろん「私」である。「私」は酒の魔性にやられて人格が凶暴化したと書かれてはいるが、錯乱して理性から非理性へと思考が変化したのは、プルートー(黒猫)という魔女によるところが大きい。

 実際、この猫は変なのだ。焼失を免れた壁に首を吊って殺したプルートーの影が残っていたり、二匹目の黒猫なんか埋めてもいないのに壁に埋まっていたりする。黒猫が魔女である場合「まったく常軌を逸していながら、いつもの暮らしに生じたという話を、いま書き残そうとしている」で始まるこの小説の「常軌を逸してい」る存在は「私」ではなく「黒猫」だということになる。

 しかしそうだとすると魔女は何のために現れたのかイマイチわからない。「黒猫」が単に猫であったり魔女であったりしない以上、黒猫は何かのメタファーで他のことを示している可能性が出てくる。光文社文庫の解説で小川高義は、妻を殺すところで二匹目の黒猫がいなくなることを重視し、黒猫を良心のメタファーとみる。「飲酒という魔力によって」劣悪な方向へと向かってしまった「私の人格」に対する良心の非難の目、それは「私」を大いに恐れさせ、そうして黒猫=良心の存在を疎ましく思ったに違いない。だからこそ黒猫の片目を抉りとるという蛮行に及んだし、壁が崩れ現れた妻の死体の上で、二匹目の黒猫が「口が真っ赤に裂けて、隻眼を火と燃や」し「私」を睨んでいたのである。

 これ面白い解釈で、確かにそうかもと思うところだ。もう一つ面白い解釈がある。「黒猫」を「私」と「妻」の子どもと見る視点だ。確かに『黒猫』では子供の存在が意図的に書かれていない。それはちょっと不思議というか不自然な気もする。ただ子供がいないだけという気もするがちょっとばかし不自然な気もする。プルートーは親しくなるといつでも「私」の後ろをついてきた。この懐き方はまるで子供のようだ。ただ成長すると親から離れるものである。プルートーの目が抉られる原因となったのは、プルートーが「私」を避けているように感じたからだった。となると二番目の黒猫がプルートーにそっくりなのも説明がつく。つまり兄弟なのだ。まだ妻のお腹の中にいる可能性もある。そうだとすれば二番目の黒猫を庇って妻が殺されるのも、妻の死体とともに黒猫が埋まっていたのも納得がいく。

感想

他の論点——理性・壁・罪

 「黒猫」の解釈以外にも、注目すべきところはいくつもある。例えば、理性について。あるいは「私」が嘘をついている可能性についてだ。冒頭お酒でおかしくなっているにもかかわらず、「私自身はおかしくない。夢を見ているはずもない」とあえて強弁しなくてはいけないあたりに彼の錯乱がみてとれる。

  壁と表面についても気になった。壁は妻の死体を隠しながらも殺した黒猫の影を映す表面でもあった。それは彼の精神を映す鏡のようでもある。

 最後に、恐れと罪についてだ。彼は何を恐れているのかというと決して罪の意識ではないようである。妻を殺害にいたっては「さて、殺してしまえば、次の仕事がある」と後悔の念すらない。むしろ非理性的な非秩序的な状態への恐れが強いのである。したがって冒頭の「魂の重荷」というのは、罪の意識というよりもこの奇怪な現象を他人と共有することで軽減されるものであり、非論理的な黒猫の現象から論理性への回復をすることで、非理性的な「私」を論理の側に組み込みたいという願望のあらわれかもしれない。

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