真夜中の公園

真夜中の公園

一日に一度、奇跡は起こる。問題はそれを見つけられるかどうかです。
                          ローラン・アレンタ

 深夜25時。拓也が帰ってこない。兄と二人暮らしを始めて早三年になるが、連絡もなしに家に戻ってこないのはちょっと記憶にない。事故とか事件に巻き込まれたかもしれないという想像が頭に浮かんできたタイミングで、WEBメディアに寄稿する原稿の締め切りが明日なんだよ、と言って焦っていた昨夜の彼の姿を思い出す。締め切りを守れるタイプの人間ならば、原稿を終わらせたお祝いで飲んでいるという幸福な妄想に浸れたのだが、彼に限ってそういったことは起こらないだろう。なんせ締め切りの前日の夜になって急に焦りだしたのだから。たぶんいまは連絡をするだけの余裕もないほど必死になって、原稿と格闘しているはずだ。

 どこにいるか皆目見当がつかないけれど、お菓子でも差し入れてやるかと家をでる。日中の茹だるような暑さが嘘のようで、肌に吹き付ける風が心地いい。夏が本格的に始まる前のこの時期の夜の散歩は気持ちを軽くする。まずは駅の方に向かってみよう。駅の近くにあるマックは夜まで空いていたはずだ。ふと思いたって京都に住むもう一人の兄の駿に電話をかける。駿が通話にでるまえに、突然、拓也からのメッセージが届く。

「わいはもう地べたで書いて帰る。描き終わるまでは帰らん」

 そうか。地べたか。描き終わるまでか。切羽詰まってるなあ。地べたでうんこ座りしながらパソコンをカタカタやっている姿を想像して笑いが込み上げてくる。どうしたって不審者にみえるだろう。駿は今朝の通勤車で横に立っていたサラリーマンがスマホを片手に寄りかかってきたと不満を漏らす。

 ビュッと風がふいて道の横に植えてある木がカサカサと音を立てる。どうしたものか。地べたで書いているならマックに向かっても仕方がないし、もし原稿が山場を迎えているとしたら差し入れがかえって邪魔になるかもしれない。善意が悪いほうに働くこともあるのだ。でもそんな悲しい可能性を考えるより、地べたに座りながら鬼の形相でパソコンと睨めっこをしている変人をこっそり眺めてみたいと思った。つまるところ、善意とか思いやりとか原稿とか締め切りとか、そんなことはどうでも良くて好奇心に従うことがとても大事なのだ。

 駅近くにあるアピタの前にある駐車場で、若者たちが大きな音を立てて騒いでいた。もしかしたら、原稿を諦めて半狂乱になった拓也が、若者に混じって踊っているかもしれない。

「締め切り!?知ったこっちゃないよ!? 飲むぞー!!」

 駅の近くを10分くらい探したところで、家の近くの公園にいるかもしれないと思い至る。

 深夜26時。さっきまでと同じトーンでダラダラと続いていた駿との会話は、上司に媚を売る職場の同僚へと怒りの矛先が向いたことでわずかに盛り上がってきた。駿は同僚の性格が悪くはないこと、だけれど媚の売りかたがせこいことを力説している。ぼくはうん、うんと同意しながら公園に向かう。いるとしたらここだろうと予想していた公園のベンチに、ゆらゆら揺れる人影が見えた。

「あいつはさあ、深みがないのよ。」

 駿の声が一段と高く大きくなる。テンションの高まりを感じる。公園に近づくと人影はひとりのものではなく、ふたりの影が重なっていただけだとわかる。ぼくは駿の怒りに応えて、

「そうだよね、深さがないんだよね。」

と言う。ふたりの共犯関係は続く。駿の声がぼくの心に火をつけ、ぼくの声が駿の不満を後押しする。相乗効果でふたりの声はさらに大きくなる。夜空に響くぼくらの声とは全く関係ないところで、カップルのハグが強さを増していく。拓也がそこにいないと知っているのに、ぼくの足は公園のベンチのそばをかすめようとしていた。カップルたちの後ろに回した手が、互いを強く引き寄せようとしている。一つになっていた影が二つに分かれたあと、片方の影がちょっと上に動いて、また一つになろうとしていた。キスをしようとしているのかもしれない。

「深さっていうかさあ、なんていうか、奥行きみたいなことがさあ」

 ぼくは心臓が刻む一定のリズムで歩いている。もうすでに影ではなくなって輪郭がはっきりとしていた。長く続く背伸びがつらそうだ。

「つまりね、恥がないんだよ!」

 駿のテンションは最高潮に達した。ぼくはカップルのすぐ側を歩く。カップルはこれまでで一番強烈なハグとキスをしている。拓也を探すぼく。京都に住む駿。世界に存在するのは自分たちだけだと信じているカップル。本来、まったく関係がない人たちが奇妙にシンクロする。つまり奇跡が起きたのだ。ぼくのテンションも絶頂を迎え大声でこう叫んだ。

「そうだよね!恥がないんだよね!!」

突然の大きな声に驚いたカップルは互いに離れる。ぼくも驚いてきまづくなる。駿は何も知らないままカラカラと笑っている。すべてが終わる。

深夜27時。拓也が家に帰ってきた。

深夜29時。拓也は原稿を提出したようだ。

そして朝を迎える。

雑記に『今年が終わり、来年が始まる』、『Z世代と氷河期世代の行方』、『なんとなく、映画を観るのが億劫である——徒然日記その1』、他の著者が書いた創作小説に『小部屋』がある。

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