先生と いわれるほどの 馬鹿でなし。 『悪口冗談じてん』
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』。なぜ?ノイズだからだ。とりわけ現代人にとっては読書によって知識を得ることはノイズだからだ。ということは、本は何らかの目的がなければ読まないということだ。ただなんとなく面白いからであれば(もちろんそういう人もある程度はいるはずだが)Youtube なり、tiktok なりを見るだけで満足する。読書の場合、読む言葉の意味を汲み取らなければならない。ここに一段階上の作業が必要なわけだ。これが面倒くさいので人は目的がなければわざわざ本を読んだりしない。ということを勝手に考えた。
しかし、そんなことよりも世の中にこんなにも本が溢れていることに驚きを禁じ得ない。本というのはそこまで面白いものだろうか。読書に嵌った経験はほとんどない。小学生の時『ハリーポッターシリーズ』の「謎のプリンス」か何かを気合いで2日で読んだぐらいしかおそらくない。本当に暇なら読もうかなと思うぐらいである。むしろ、月に何冊も読む人の精神を現象学的に理解してみたい。『なぜ本はなくならないのか』。次のタイトルはこれである。
『22世紀の資本主義』。宇野は「作れ」と言い、成田は「踊り、舞え」と言った。これが資本主義(稼げ!)の外部らしい。ある程度はそういう世界になる予感がある。そしてヴィトゲンシュタインが言ったように「生の問題は依然としてまったく手つかずのまま残される」という確信もある。世界と自己は一致しないというのが残念ながら現象学の結論だ。しかしそんなことはどうでもいい。アートークンが跋扈する交換様式Dの世界を生きてみたい。とすると大事なのは、輪廻転生観を持つことになるのだろうか?!?
『クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王』(1993)。本当にアクション仮面がハイグレ魔王と戦って勝利するだけの話。「猿と人間を超えるものたち」の考察記事によれば、この映画は一応成功したものとして迎え入れられたようだが、どうして、、、?。感動は全くない。
『おやすみぷんぷん』を読み返している。ぷんぷんの実存というより、絆(友情?擬似家族?)を描いているのか。『MUJINA』はすでに擬似家族と暮らしている。これがこのカオスな世界の生きる糧になり得ると?
成田も引用しまくっていた『地面師たち』。小池栄子は本当に髪を剃ったのだろうか。役者魂に乾杯。
『明恵 夢を生きる』を頂いたのだが未だ読めず。空海は色々と世の中の道理を分かっている奴という印象(『阿吽』)。「美しい夜明けだ」とか言っている場合ではないほどのインパクト(『OMEGA TRIBE』)。ニホンザルの毛が抜けているのは集団生活によるストレスなのだろうか。何にせよ、彼らが桜の花びらも食すのを初めて知った(動物園にて)。『ベー革』はロマン。『クロカン』は闘争心。生きていく上で大事なのは「覚悟」!?。世界は謎に満ちている・・・。