・・・であれば、一番良い振動を。・・・・・・・・・つまりそういう事だ。
『おやすみプンプン』
二発目で最初に断っておく。特に書きたいことはない。それでは何故書いているのか?これは義務みたいなものである。それゆえ誤解しないでほしいのは、特に分かって欲しいという願望もないということだ。というか伝えたいという内容もないので、何を読み取られてもこちらの意図したものではない。作者に意図はないのだ。「世界は謎に満ちている」と題しているからと言って「謎」に思ったことを書いているわけではない。残念ながら全てが勝手読みだと思うのだが、むしろ文章というのはそういうものではないだろうか?
さて、最近ブーメランを購入した。よく広場で投げているがなかなかうまくできない。最近はその理由を右利き用のやつを左で投げているからということにしている。本当に自分のところに帰ってこない。がまだ飽きてない。面白いから?なんていう朗らかなものではなくて、ただなかなか諦めがつかないというだけだ。苦痛が持続性を保つという何とも歯がゆい気持ちである。一生攻略できずに終わりたい。
ブーメランを投げた後は何をするか。広場で寝っ転がってボ〜っとするのである。寝るというのは動かないということである。世界は忙しなく動いている。私は全く動いてない。つまり、これは世界に対する一つの抵抗ということになる。世界は動いている・・・私は動かない・・・なぜ皆動いているのか・・・生の目的を知っているとでも?!
最近『おやすみプンプン』を読了した。2周目である。やはり愛子ちゃんが死ぬのは衝撃的であった。が、最終話を読み終えてこんな適当なことを思いついてしまった。これは「人生楽ありゃ苦もあるさ」ということか?。だってそうだろう、始まりに戻るわけだから。そしてこう結論づけた。生きている者は皆雄一おじさんだ。
何年振りかに野球観戦に行った。マイルドな熱狂であった。これがどの層からも圧倒的に支持を得るための戦略なのか。個人的にはもっと殺伐とした空気を感じたい。
他、「神」と呼ばれる存在も色々と大変(『アフターゴッド』)。マトリックスっぽい話(『ダーウィンズゲーム』)。異世界ものもまだまだ色々な型のものができそうと感心した(『異世界失格』)。怠惰とは朝6時に起きて無駄な時間を過ごすことというユーモアの発見(『「さようなら」の辞典』)。
前回>世界は謎に満ちている ① 次回>世界は謎に満ちている ③