悟れれば悩みなくなるの?って話
東洋哲学とか仏教思想についてそこまで詳しくないのだが、あるときに入門書か何かで仏教思想を学んでいるときに思ったことがある。
え、悟れば解決するの??
例えば『自分とか、ないから 教養としての東洋哲学』だと、仏陀の思想というのは、まず世の中が無常であるという世界観があると。で、無常なのになんで悩みとか生まれてくるのかと言われれば、そんなの無いのに。自我があああ、とか俺があああ、とか考えてしまうからだと。世の中、悩みとか本当はないのにさもあるかのようにしてしまってるんですよ、と・・・菩提樹の下で悟ったわけですね、仏陀は。
で??と思ったわけですよ。確かにそうなんでしょうが、でどうするの??と。
仏陀の思想って認識と実践がイコールで結ばれるらしいんですね。つまり、真理を把握(悟り)すればそれで全てが解決すると。悩みもなくなると。だって、知っているわけだから、苦しみとか妄想なんだからと・・・。いや、知ってもへええ、で終わるでしょ、普通は。でも、この論法は最強の負けない論法であって、そう言われたらこう返答すればいいわけですね。君はまだ本当の悟りに辿り着いていないと。厳しい。厳しすぎる。
実際はよく分かりませんけどね。でも、座禅とかもよくわからないじゃないですか。座ってればいいの??と。あと、日々の生活、掃除とか食事にも悟りがあるんだみたいな考え方、いやしかし・・・と思ってしまう。しかしこれ、認識=実践の延長線上にある考え方だと思うんですよね。とにかく世界にって本当は悩みとかないんだよ、てことを知るのが大事で、知りさえすればなんとかなる。と、これが、自分が不思議に思ったことなんですよね。
もちろん、そんなことはないというありがちな勘違いパターンもあると思いますけど、仏教思想を学んだから悩みが解決するとか解消するとか和らぐとかそんな簡単な話じゃないわけで、どうも簡単に見えるのはこうした認識=実践みたいなところから来るように思えるんですけどね。
世界は無常だ!!と知っても、ふむ、とかといって、上司に向かって、それってあなたの感想ですよね、と平然と言えるのかと言われたらなかなかいえない。何でかっていったら、生きるってそういうことじゃないですか・・・と。さまざまな関係値で成り立ってますからね、私たちは。むしろ認識と実践は切り離されているというのが、ヨーロッパ的な思考な気がしますね。まあ生きるって大変ですよと。
さて、ちなみになんですが・・・アクセルマーク(3624)は速攻損切りしました!!
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