概要
『わたしを離さないで』は2005年に発表されたカズオ・イシグロの長編小説。原題は Never Let Me Go。ブッカー賞の最終候補に選ばれた。2010年に映画化。2017年にイシグロはノーベル文学賞を受賞。
1990年代末のイギリスで介護人として働く31歳のキャシーが、過去を回想しながら若かりし頃過ごしたヘールシャムの謎に迫る物語。
純文学はほかに、村上春樹『街とその不確かな壁』、梨木香歩『西の魔女が死んだ』、志賀直哉「小僧の神様」、森見登美彦『四畳半神話大系』、遠藤周作『沈黙』などがある。
登場人物
キャシー・H:イギリスで暮らす31歳の介護人。ヘールシャムで育ち、トミーとは深い絆で結ばれている。優しく思慮深い性格だが、周囲と距離を置いてしまう傾向がある。
トミー・D:キャシーの幼なじみであり恋人。子供時代は怒りっぽく感情のコントロールが苦手だった。絵を描くことで次第に落ち着いた性格になる。
ルース:キャシーとトミーの親友。キャシーへの嫌がらせでトミーと付き合うが、うまくいかず後悔している。2回目の提供後死亡する。
マダム:ヘールシャムで生徒の作品を回収していた謎の女性。冷たい人だと誤解されていたが、実はクローンに魂があることを示すための活動をしていた。
エミリ先生:ヘールシャムの校長。芸術教育によってクローンに魂が宿っていることを示そうとした理想主義者。のちにクローンへの世間の嫌悪感が高まり、運動は挫折。ヘールシャムの閉鎖後はマダムと共に暮らしている。
ルーシー先生:ヘールシャムの教師の一人。生徒の悲惨な運命が免れ得ないことを伝えようとしていた。学校の方針と対立し、辞職させられる。
あらすじ・内容・ネタバレ
1990年代末のイギリスで、31歳の介護人であるキャシーは、臓器提供者たちの世話をしながら、自身が育った施設「ヘールシャム」での奇妙な少女時代とその後の卒業後の生活を回想し、彼女たちに隠された秘密を紐解いていく。
第一部(第1章~第9章)
ヘールシャムは外界から隔絶された全寮制の学校であり、主任保護官エミリ先生を中心に、保護官たちが授業を行いながら生徒たちの生活を監視・指導していた。創作活動が重視され、図画工作や詩の制作に力が入れられた。特に優れた作品は、定期的に訪れるマダムによって収集され、外部の展示館に飾られると噂されていた。他の作品は「交換会」に出品され、生徒たちは交換切符と引き換えに他の生徒の作品を入手できた。外部の物品が手に入る「販売会」を除けば、持ち物を増やせる唯一の機会だったため、生徒たちは交換会に夢中になっていた。
12~13歳の頃、キャシーは、癇癪持ちでいじめられていたトミーと親しくなった。トミーは絵が下手で、生徒から嘲笑されていたが、幼い頃に保護官ジェラルディン先生から絵を褒められたことがきっかけで、他の生徒の反感を買い、いじめの標的になっていた。しかし、「絵を描かなくてもよい」とルーシー先生に諭されたことで気持ちが落ち着く。ルーシー先生は他の保護官とは異なる考え方を持っていたため、トミーとキャシーはヘールシャムには何か秘密があると感じるようになり、情報を交換し合うようになる。
キャシーは幼い頃からの親友である見栄っ張りなルースと喧嘩を繰り返しながらも惹かれていく。また、キャシーはジュディ・ブリッジウォーターの『夜に聞く歌』というカセットテープを愛聴し、「ベイビー、わたしを離さないで」という歌詞を、赤ちゃんを授かった母親の歌だと勘違いして繰り返し聴いていた。ある日、踊りながら聴いている姿をマダムに見られるが、彼女は涙を流していた。やがてテープを紛失するが、ルースが代わりに『ダンス二十選』のカセットを渡してくれた。
15歳のヘールシャム最後の年、ルーシー先生は耐えきれず、生徒たちに真実を明かす。彼らは臓器提供のために造られ、中年にすらなれない運命が決まっていると告げ、夢を抱くのではなく現実を直視して生きるよう諭した。その後、ルーシー先生はトミーにかつての発言を否定し、絵を描くように勧める。トミーは再び不安定になり、交際していたルースとも別れてしまう。キャシーはルースの後釜と目されるが、ルースからトミーとの和解を手助けするよう頼まれ、承諾する。キャシーはトミーとルースの関係を修復させるが、ルーシー先生は保護官を辞職する。
第二部(第10章~第17章)
16歳になった生徒たちはヘールシャムを離れ、それぞれ別の施設に移される。キャシー、ルース、トミーら8人は廃農場を利用した「コテージ」で共同生活を送る。そこでは他の施設出身者とともに最長2年間かけて論文を書くが、途中でコテージを出て介護人になる訓練に行くこともできた。保護官はおらず、物資を届ける年老いたケファーズさん以外には管理者もいない自由な環境だった。コテージではヘールシャム出身者は特別視され、彼らは人工的に造られたクローン人間であり、子供を作ることはできなかった。彼らは自分の「オリジナル」を「ポシブル」と呼び、外見が似た人物を探し出すことで自分の元となった人間を知ろうとするが、実際に出会えることは稀だった。
ある日、先輩カップルのクリシーとロドニーから「ルースのポシブル」を見たという情報を得た3人はノーフォークへ向かう。目撃された事務所で働く女性は遠目にはルースに似ていたが、尾行して観察すると別人だと判明し、落胆する。実は先輩たちは「本当に愛し合っているカップルは提供を3年猶予される」という噂の真相を確かめたかったのだが、ルースは知ったかぶりで話を合わせ、トミーは合わせなかったためルースは激怒する。トミーはキャシーと別行動を取り、中古店でキャシーがかつて失くしたカセットテープを見つける。
トミーは「猶予制度」が本当に存在するなら、マダムが収集した作品でカップルの愛を判定するのではないかと推測する。作品制作を怠ったことを悔い、想像上の動物の絵を描き続けるようになる。しかし、ルースの誘導によりキャシーとトミーは仲違いし、キャシーは論文を未完成のままコテージを卒業し、介護人の訓練へと進む。
第三部(第18章~第23章)
キャシーがコテージを出て7年が経過し、ヘールシャムは閉鎖されていた。キャシーは介護人となり、最初の提供を終えたルースの介護を担当する。ルースはキャシーとトミーとともに船を見物した帰り道、かつて自分が2人を引き裂いたことを懺悔し、マダムの住所を手渡して提供猶予を願うよう頼む。ルースは2回目の提供後に死亡する。
トミーが3回目の提供を終えた後、キャシーは彼の介護人となり、2人は恋人関係になる。トミーの描きためた絵を持ち、マダムを訪ねるが、提供猶予は単なる噂であり、存在しなかったことが判明する。かつてマダムとエミリ先生は、クローンにも心があることを示すために展示会を開いていたが、世間の嫌悪感と支援の低迷によりヘールシャムは閉鎖された。
死を覚悟したトミーは、醜態を見せたくないとキャシーに介護人の交代を願い出る。キャシーはトミーの元を去り、彼の死を静かに受け入れるのだった。
解説
ブッカー賞・ノーベル賞作家
2005年に発表された『わたしを離さないで』は、1989年のブッカー賞を受賞した『日の名残り』と共に、カズオ・イシグロの代表作である。イシグロは「壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想的感覚に隠された深淵を暴いた」と作家性を高く評価されたことで、2017年にノーベル文学賞を受賞した。
本作で描かれるのは、クローン技術が医療に活用される近未来。生殖の問題を扱っている点などはハクスリーの『すばらしい新世界』からの影響を感じるが、「新世界」といえるほど遠い世界が描かれているのではなく、本作の世界は現実世界と陸続きな印象を受ける。ヘールシャム出身の人々は、クローンであること以外には一般人と何ら変わらず、読者は自然とクローンのキャシーやトミーに共感を覚えている。しかしながらわれわれは、キャシーに「自室の窓からあなた方を見下ろしていて、嫌悪感で体中が震えたことだってあります…」(p.411)と告げるエミリ先生と同じ立場であることを忘れてはならない。
クローンと人間の問題系は、例えば、スピルバーグ監督の『A.I.』やポケモンの映画『ミュウツーの逆襲』で描かれている。あるいは、一部の人間が犠牲となって人類全体が救われるというモチーフは、ル=グウィンの『オメラスから歩み去る人々』やローランド・エメリッヒ監督の『ムーンフォール』にもみてとれる。愛や友情を感じる青春時代を経て成長する物語としては、行定勲『GO』や『千と千尋の神隠し』と共通する部分もある。
上記の視点から読み解けば、イシグロの代表作『日の名残り』と同様、本作は様々な読みを可能にしている。しかしながら、本記事ではそれらの視点からではなく、イシグロが一貫して主題としてきた「解釈」に注目してみたい。
考察
Never let me go とマダムの涙
ヘールシャムで生活していたキャシーはある音楽に魅せられる。歌い手はジュディ、曲名は「Never let me go」、曲名の意味は「わたしを離さないで」。「ネバーレットミーゴー…オー、ベイビー、ベイビー…わたしを離さないで…」のリフレーンが何度も繰り返されるこの曲に、キャシーはなぜか惹かれていく。
キャシーはこの歌詞の意味を理解していたのだろうか。当時11歳であった彼女は、この「ベイビー」を、恋人ではなく自分の子供への呼びかけだと解釈する。
聞きながら、いつも一人の女性を思い浮かべました。死ぬほど赤ちゃんが欲しいのに、産めないと言われています。でも、あるとき奇蹟が起こり、赤ちゃんが生まれます。その人は赤ちゃんを胸に抱きしめ、部屋の中を歩きながら、「オー、ベイビー、ベイビー、わたしを離さないで」と歌うのです。もちろん、幸せで胸がいっぱいだっからですが、どこかに一抹の不安があります。何かが起こりはしないか。赤ちゃんが病気になるとか、自分から引き離されるとか……。(p.111)
彼女は自分たちがクローンであることも、子供が産めない身体であることも知らされていない。しかしながら、彼女はのちに知らされる自らの境遇をこの歌の主人公に投影し共感する。そしてある日、赤ちゃんに見立てた枕を抱えながら踊る場面をマダムに目撃される。夢見心地だったキャシーを引き戻したのは、マダムのしゃくりあげるような泣き声だった。そう、マダムは泣いていたのだ。
無数の解釈
ある出来事に対する客観的な記述は一意に決まるとしても、それをめぐる解釈は無数に存在する。「Never let me go」の歌詞の解釈が人によって異なるように、マダムの涙に対する解釈も人によって異なる。マダムが涙を流したという行為は、決してそれだけで存在するのではない。
キャシーはこの出来事をのちにこう解釈する。マダムは私の心を読むことができて、自らの境遇に嘆くキャシーに同情したのだ、と。だから、もしかしたらキャシーとトミーに同情して提供を延期してくれるだろう、と。
とても面白いこと。でも、今日もあのときも、わたしには心など読めません。泣いていたのは、まったく別の理由からです。あの日、あなたが踊っているの見とき、わたしには別のものが見えたのですよ。新しい世界が足早にやってくる。科学が発達して、効率もいい。古い病気に新しい治療法が見つかる。すばらしい。でも、無慈悲で、残酷な世界でもある。そこにこの少女がいた。目を固く閉じて、胸に古い世界をしっかり抱きかかえている。心の中では消えつつある世界だとわかっているのに、それを抱きしめて、離さないで、離さないでと懇願している。わたしはそれを見たのです。(p.415)
ここにあるのは単なる解釈の違いではない。それぞれが出した自らに都合の良い解釈の衝突である。マダムはクローンにも高邁な精神があると信じて、人権を与える運動を展開していた。だから、キャシーが「Never let me go」の音楽とともに踊る姿に、新しい世界に怯え古い世界を抱きかかえながら、離さないでと懇願する姿を見たのだ。逆にキャシーは自分たちの提供が延期されることを望み、マダムの涙に我々への同情をみた。どちらも願望を相手に投影しているのだ。
この態度は保護管やヘールシャム、そして世界に対しても同様である。「これはまるで陰謀説のようで、わたしは賛成できません」(p.129)と言いながらも、限られた情報の中ではすべてが不確かな解釈によって存在しているのであり、それには期待と願望が混ぜ込まれている。
空想の終わり
都合の良い解釈は最終的にすべて裏切られる。マダムも助けてくれないし、延期は存在しない。キャシーとトミーにとって最悪の結果である。それでも彼女らが前を向けるのは、間違っているとわかっている解釈を過去の自分にも行うことができるからだ。
もしかしたら、そうかも。そうか、心のどこかで、おれはもう知っていたんだ。君らの誰も知らなかったことをな(p.421)
物語の最後、トミーが使命を終えたと聞いた二週間後、キャシーはノーフォークにドライブする。トミーもルースももうこの世にはいない。二人がいるのはキャシーの記憶の中だけだ。失くしたものが集まるノーフォークで、キャシーは自らに空想することを許す。
半ば目を閉じ、この場所こそ、子供の頃から失いつづけてきたすべてのものの打ち上げられる場所、と想像しました。いま、そこに立っています。待っていると、やがて地平線に小さな人の姿が現れ、徐々に大きくなり、トミーになりました。トミーは手を振り、わたしに呼びかけました……。空想はそれ以上進みませんでした。わたしが進むことを禁じました。顔には涙が流れていましたが、わたしは自制し、泣きじゃくりはしませんでした。しばらく待って車に戻り、エンジンをかけて、行くべきところへ向かって出発しました。(p.439)
彼女は空想を許しても、最後まで進むことを禁じる。解釈は原動力であり、救いでもある。だがそのかわりに現実から遠ざかってしまうことがある。彼女は空想を止めることで現実と向き合う。空想をやめたとき彼女はようやく「行くべきところへ向かって出発」出来たのだ。