坂本龍一「Opus」(監督・空音央/2023年/日本)を観た。不思議な体験だった。記憶を辿ってもうまく言葉にできない。でも今の気持ちを記録にしておきたかった。だから書いてみる。
自分は音楽をよく知らない。坂本についても詳しいわけではない。だから、すごく的外れなこと言っているかもしれない。それでも、感じたことを残しておきたい。
自分が「Opus」で感じた不思議は、ただひたすら心地良かったということだ。それしかない時間だった。むしろ、聴きながら演奏する坂本を意識できなくなっていた。
最初こそ、ペダルを踏む・離す音がすること、坂本の呼吸が混じっていること、そのような演奏者との近さにどきっとした。また、ピアノにはやわらかい音、きらきらした音、いろいろな音があることを思い出して、感動した。でもそのような優れた音に感じ入ったり、坂本のかすれた声や痩せた背中に切なくなっていたのは、冒頭20分くらいであった気がする。
「東風」や「戦場のメリークリスマス」など聴き慣れた曲があっても、その有名曲を映像内で坂本が弾いているということを、あまり思わずにいた。音楽を聴いているという意識も薄れていたかもしれない。ただ、親しく寄り添いたいものが、そこにあった。指が鍵盤を離れペダルが戻されるなら、もういない。幻のように、掴むことのできないもの。確かに心地よかったのに、もう思い出せなくなってしまった。
この感じを何に喩えられるだろう。例えば、それは初夏の昼寝。幼友達の思い出。好きな人が出てきた夢。知らない花の匂いを運んできた風。そんな、憶えていようとしなければ、遠くにいってしまうものたち。
バンドのライブを聴きに行ったら、そこで表現される個の叫びに共鳴する。クラッシックの演奏会に行っても、今日のこの演奏家のこの曲が良い、というような感覚になっていた気がする。映画を観た後なら、あの場面のあのセリフはどういう意味か、などと解釈をしたくなる。
でも、「Opus」が終わった時、その時間に何があったかをうまく思い出せなかった。ただ、自分が安らかになれたこと、そこに心地よい何かがあったこと、だけは確かだった。その感覚も、映画館を出たら歌舞伎町の喧騒に押し流されてしまった。
しかし、その時間の特別な気持ち良さ、そのやわらかでやさしくて不思議なものについて、憶えておきたかった。どうしてかわからない。でも、心惹かれる。
だから、ここに記しておく。なぜ気になるのか、考えるために。
今、自分の目に入るのは気にしなければならないものばかりだが、その浮遊した快い時間のことは忘れたくない。新聞を埋める活字。断続的なLINEの通知。明日の朝ご飯。でも、ふと曖昧に思い出す、「Opus」のこと。一昨日見た夢をなぞるように、確かめて、憶えていたい。
そして、それが気になるのは私にとって大切だからだろう。直感でわかる。これは、大切なことなのだ。私の大切だと思うものは、私は意思を持って大切にしよう。それに手を伸ばし続けよう。
世界は無数の人々の心の動きで動いているのだろう。ならば、私が今「Opus」で感じた説明し難い心地良さについて考えていることもまた、世界を巡らし転がす要素の一部であるはずだ。だから、きっとこれも、重要なことなのだ。
「Opus」から、自分はそのようなことを思った。舌足らずだけれど、自分が大切にしたいと感じた記録として、残しておこう。あなたの夢を心の奥で小さくあたためているように、憶えておこう。
『Ryuichi Sakamoto | Opus』公式サイト (bitters.co.jp)
※画像はphotoAC(写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK (photo-ac.com)(ID:29239212 作者:あおいフォト)