純粋法学(Reine Rechtslehre / Pure Theory of Law)は、法学者ハンス・ケルゼン(Hans Kelsen, 1881–1973)が提唱した法理論。
ケルゼンは、プラハで東欧系ユダヤ人家系のもとに生まれ、ウィーンで育った。1933年、ナチスの権力掌握を受け、ケルン大学の職を辞しジュネーヴに移る。1940年にはアメリカに亡命。主著に『純粋法学』(1934年)、同書増補新版(1960年)、『法と国家の一般理論』(1945年)など。
伝統的な法哲学は、一方で政治的イデオロギーや道徳的価値観によって侵され、他方で法を自然科学や社会科学へと還元しようとする試みに支配されていると考えたケルゼンは、これらの還元主義的な試みの双方が深刻な誤りを含んでいると捉え、還元主義を徹底的に排除するために「純粋な」法理論を提唱した。
1. 根本規範
純粋法学の中心概念は「根本規範(Grundnorm, basic norm)」である。ケルゼンは、個々の法律が法的な意味を持つのは、それが上位の法規範に従うからだと考えた。これは、法的規範Aが有効なのは、それに従うべきとする規範Bが存在するからである、そのBが有効なのはCが存在するからである……というように規範の連鎖を生む。その連鎖が最終的に到達する最上位規範(例えば合衆国憲法)が、根本規範である。
ケルゼンの理論によれば、法規範は単独で存在するのではなく、つねに体系的な秩序の中に組み込まれている。たとえば、「カリフォルニア州の法律」と言う場合、それは単独のルールではなく、カリフォルニア州全体の法体系の一部として存在する。法体系は、最終的に根本規範にその有効性を依拠しており、各国の法律も同様に独立したシステムとして構造化されている。ケルゼンは、この体系性こそが法の一貫性と統一性をもたらし、異なる法規範が一つのまとまりとして機能する理由であると考えた。
この点は、法の実効性(Wirksamkeit, efficacy)と関わる。実効性とは、法規範が社会において実際に守られているかどうかを意味する用語である。ケルゼンによれば、個別の法規範は社会で実践されていなくても法的には妥当だが、法体系全体が一定の実効性を持って受け入れられていることは、その妥当性を維持する条件であると主張した。たとえば、新しく制定された法律はまだ誰も守っていなくても妥当だが、その法律が所属する法体系全体が社会で機能していなければ、その法規範も妥当とは見なされない。根本規範も同様で、それはある集団の間で実際に遵守されている場合に限り妥当である。つまり、根本規範の妥当性も社会的な実践によって支えられている。
2. 相対主義と還元主義
ここから、ケルゼンの純粋法学の相対主義的立場が導かれる。特定の根本規範はあくまで任意に選択されるものであって、それを超える超越的な規範は存在しないからである(この点でケルゼンは、カント的な超越論よりも、ヒューム的懐疑主義に近い)。ケルゼンは法の有効性が社会の事実に依存していると認めつつ、それを還元主義的に(人々の行動、信念、態度等で説明し尽くせるものとして)捉えることは拒否した。しかし、根本規範の有効性が社会的実践に依存する以上、還元主義から完全には逃れられないという批判も存在する。ケルゼン自身もこの問題を認識し、『純粋法学』改訂版等では、国内の法体系がさらに上位の国際法の根本規範に依存する可能性を示唆するに至った。
3. 法と道徳の区別
ケルゼンの理論において、道徳と法の区別は「視点の相対性」に基づいて説明される。道徳は人間の内的な良心や普遍的な倫理に依拠し、理性による正当化が求められるが、法は特定の視点(法的視点)を前提とした規範体系として成り立つ。法的な「べきである」は、法秩序内での妥当性(Gültigkeit, validity)に基づき、根本規範を前提に規範的な力を持つ。一方で、道徳的な「べきである」は個人や社会の倫理的判断に依存し、法的な有効性とは独立している。ケルゼンは、法の規範性はその視点に依存する相対的なものであるとし、その視点の正当化については説明しない。
※上記は以下を参考に作成しました。Marmor, Andrei, “The Pure Theory of Law”, The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Fall 2021 Edition), Edward N. Zalta (ed.), URL = <https://plato.stanford.edu/archives/fall2021/entries/lawphil-theory/>.
(追記予定)