古代ギリシャ版イエスの物語—アイスキュロス『縛られたプロメテウス』

古代ギリシャ版イエスの物語—アイスキュロス『縛られたプロメテウス』

概要

 上演年代は、紀元前478年や、前460年代末などいくつかの説があるが、後者が有力とされる。その場合アイスキュロス最晩年の作ということになる。

 プロメテウス劇三部作の第一作で、この後に『解放されるプロメテウス』、『火を運ぶプロメテウス』が続いていたと推定されている(いずれも散逸)。「オレステイア三部作」の第1作『アガムメムノン』と同様、問題提起の性格が強く、解決には向かわない(8頁)。

 人間に火を与えたことでゼウスを怒らせ、岩山に「縛られ」るプロメテウスの物語と、ゼウスの妃ヘラを嫉妬させ、牝牛に変身させられて虻に終われるイオの物語の、二つのエピソードから成る。

登場人物

権力(クラトス)暴力(ビアー) ゼウスの部下。暴力は黙役。

ヘパイストス 火と鍛冶の神。ゼウスの息子。

プロメテウス 自然神ティタンの一族の巨人神。人類に火を与えたため罰せられるところ。

合唱隊(コロス) オケアノスの娘たち。海のニンフで白衣をまとう。

オケアノス 世界をめぐる大河、大洋の王。ティタンの一族で、プロメテウスの叔父にあたる。

イオ アルゴス王イナコスの娘。ゼウスの愛を受け、その妃ヘラの嫉妬から牝牛に変身させられる。

ヘルメス ゼウスの若い息子神。伝令役。

舞台

黒海の北、スキュティアの荒野の涯

(コルネリス・フォン・ハールレム『打ち負かされるティターン』、1588年)

あらすじ

「権力」「暴力」、それにヘパイストスが、プロメテウスを岩山に連れてくる。火と鍛冶の神であるヘパイストスは、プロメテウスに同情的ではあるのだが、「権力」に従って、ゼウスの命じる通り、手枷足枷でプロメテウスを岩山に打ちつける。(権力、暴力、ヘパイストス退場)

プロメテウスは人間に火を与えたことで、ゼウスを怒らせ、いま岩山にはりつけにされたのだった。ひとり嘆くプロメテウスの元にコロス(オケアノスの娘たち)がやってきて、話を聞く。

オケアノス登場。プロメテウスを諌めつつ、彼を解放するため取り計らおうと言うが、プロメテウスは聞く耳を持たない。(オケアノス退場)

プロメテウスは、そもそもゼウスの天下取りに協力したこと、人間に「数」や「文字」などの「気のきいた工夫」を与えたことなどを語る。

少女イオ登場。雌牛の姿で、虻に襲われ苦しんでいる。ゼウスの愛を受け、その妃ヘラの嫉妬からそのような辱めを受けているとイオは、自分の行末を知ろうと、同じくゼウスに苦しめられるプロメテウスを訪ねてきたのだった。プロメテウスは、ゼウスもやがて結婚によって自滅するはずだと予言する。

伝令の神ヘルメス登場。ゼウスが威権を失うとプロメテウスが予言したことを、早くも聞きつけてやってきた。その詳細を聞き出そうとするが、プロメテウスは取り合わない。すると「天地が震動し、岩山の崩れると共にプロメテウス、オケアノスの娘たちと共に奈落に沈む」(57頁)。

(ルーベンス『縛られたプロメテウス』、1611-12年)

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プロメテウスの造形

 人間に火を与えたことでゼウスの逆鱗に触れ、罰せられるプロメテウス。火は「技術」(テクネー)の象徴であり、その意味で獣性からの脱却、進歩や解放をもたらすものです。

 プロメテウス神話の典拠は、紀元前7世紀前半の農民詩人ヘシオドスの『神統記』と『労働と日々』だとされます。しかしヘシオドスがプロメテウスに向ける視線は、アイスキュロスのそれとは異なり、ひじょうに厳しいものでした。ヘシオドスは、農村の現実に対し、技術がむしろ生活や人倫の荒廃をもたらしたという観点から、プロメテウスを批判します。技術と自然、都市と田舎で前者が悪者にされるというのはいまでもよく聞かれる話ですが、その原型はヘシオドスに見出せるのです。

 他方、アイスキュロスはプロメテウスを肯定的に、そのためプロメテウスと敵対するゼウスを否定的に描いています。「火」以外にも、この神は、「数」、「文字」、「馬車」といった、さまざまな「工夫」、「技術や方便」を人間に与えたと言います。プロメテウスはこうして人間に「希望」をもたらす存在なのです(ただしその希望は「目の見えぬ、盲な希望」と言われているのですが(250行))。

 対するゼウスのトレードマークは「力」です。それがネガティヴに描かれるので、ゼウスは権力を振りかざす暴君だということになります。「工夫」や「技術」対「力」というこの対比もまた、さまざまなバリエーションで今日まで問われ続けているものです。例えば重い石を運ぼうとするとき、力士を連れてくるか、テコの装置を作り出すか。野球で例えるなら、ストレート対変化球、カブレラ対イチローといってもいいのかもしれません。後者はよく見れば創意工夫に富み、悪く言えばセコイ。技術というのは常にこの両義的な評価にされされているわけです。

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古代ギリシア版イエスの物語

 「[私は]ゼウスの敵として……あらゆる神々からも忌み疎んじられている者だ、あまりにも人間どもを、愛しすぎたというので」(120-23)。プロメテウスの最初の独白に含まれている言葉です。おもしろいことにプロメテウスは、「人間への愛」の持ち主でもあるのです。

 この「愛」と、その愛のために岩山にはりつけにされたこととを考えてみると、思い出されるのはキリスト教におけるイエスの物語です。もちろんこれは時代錯誤で、アイスキュロスの作品からイエスの誕生まではまだ300年以上の時間があるわけですが、プロメテウス神話は古代ギリシアにおける元祖キリスト物語と言えそうです。実際丹羽隆子によれば、アイスキュロスの描いたプロメテウスが、「その人間への高邁な愛、権力に屈せぬ不撓不屈の意志、正義は何かをよく知る知恵、高潔な忍耐など」によって、「イエス・キリストに先行する異教世界の救世主」とみなされたこともあったようです(41頁)。

名台詞

・「そもそも僭主というやつらには、こうした病いがつきものなのだ、味方を信用できないという」(プロメテウス、224-225)
ἔνεστι γάρ πως τοῦτο τῇ τυραννίδι
νόσημα, τοῖς φίλοισι μὴ πεποιθέναι.

・「言葉(条理)は、乱れた心の医師だ」(プロメテウス、378)
ὀργῆς νοσούσης εἰσὶν ἰατροὶ λόγοι

・「技術(わざ)というのは、必然(の定め)に比すれば、はるかに力が弱いものだ。」(プロメテウス、514)
→技術=プロメテウス、必然=ゼウス。ここではプロメテウスは、ゼウスに対する自らの弱さを、技術と必然の力関係によって表現している。

・「そんなことならいっそ……ひと思いに死んだほうがまし、この世のすべての苦難を逃れて」(イオ、750)
κρεῖσσον γὰρ εἰσάπαξ θανεῖν
ἢ τὰς ἁπάσας ἡμέρας πάσχειν κακῶς.

・「だが年老いてゆく時が、すっかりそれを教えてくれよう。」(プロメテウス、981)
Ἀλλ’ ἐκδιδάσκει πάνθ’ ὁ γηράσκων χρόνος.

関連作品

アイスキュロスの他の作品

ペルシア人
アガメムノン
供養する女たち/コエーポロイ
『慈みの女神たち』
『テーバイ攻めの七将』
『救いを求める女たち』

引用文献

「縛られたプロメテウス」湯井壮四郎訳(『ギリシア悲劇Ⅰ アイスキュロス』高津春繁ほか訳、ちくま文庫、2019年)

丹羽隆子『はじめてのギリシア悲劇』講談社現代新書、1998年。

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