Z世代と氷河期世代の行方

Z世代と氷河期世代の行方

世代間の亀裂

 賃上げのニュースが巷を賑わせている。賃上げ率5.33%と33年ぶりの5%台の高水準となった2024年に続き、来年度も高い賃上げ率となる見通しである。大企業が賃上げを率先して行い、中小企業がどこまでついてこられるか、まだまだ不透明な部分もあるのだが、比較的明るいニュースではないだろうか。

 とはいえ賃金が上がったからよかった、生活も楽になる、ありがとう政府、という単純な話ではない。近年では稀にみる賃上げ率を叩き出した2024年も、実質賃金はマイナス基調となっており庶民の生活は苦しい。それもそのはず、物価は異常なペースで跳ね上がり、米の値段に至っては数年で2倍近くに跳ね上がってしまった。つまり、物価上昇に賃上げのペースが追いついていないのだ。見かけの賃上げに騙されてはいけない。大事なのは「実質」の数値である。

 問題はそれだけではない。働き手にとってはどの世代でも嬉しいはずのこのニュースが、実は世代間で大きな亀裂を生んでいるのだ。賃上げは全年齢に一律に行われているわけではない。人口減少に伴い労働力不足に陥った日本経済は売り手市場となり、若手を中心に賃上げを決行したのだ。大企業を筆頭に初任給35万という驚愕の数字が並ぶ。新卒の若者に就職してもらうために企業が努力する。そのとき賃上げの恩恵を相対的に享受できないのは、就職難を経験した氷河期世代である。

 優遇されるZ世代と、無視される氷河期世代。就職難が人生における障壁として目の前に立ち塞がったとき、この影響が人生の後半戦まで尾を引くと誰が予測できただろうか。もしこの障壁が20代の前半のみにだけ訪れた単なる不運だとしたら、氷河期世代の問題はこれほどまでに深刻化しなかったかもしれない。就職ができなかったとしてものちに経済が発展し大きな恩恵を受ける、我慢の分だけ報われる、そういった無根拠な楽観も当時はまだあったのだ。だが氷河期世代が楽をする時期は一向に訪れなかった。就職はできず、低賃金で働かされ、パワハラにあい、賃金は伸びず、管理職になれず、上司になればハラスメントと糾弾される。果ては就職したばかりの新入社員の賃金が、一切の努力なしに上昇しているというのだ。

 許すまじ、Z世代。いまや世代間の厳しい視線は、下から上へではなく、上から下へと向けられている。なぜ奴らだけが優遇されるのか、と。

社会が歪んでいたとしても精神だけはまっすぐ伸ばせ!

 氷河期世代の冷遇は社会問題として国家が真剣に取り組むべきものである。そのような主張は正しい。世代間の明らかな格差は是正されるべきだし、ある世代だけに負担を強いるべきではない。だが、そのような主張とは別に、Z世代が優遇されているのはおかしい、という主張は筋が通るのだろうか。自分が損を被っていて誰かが得しているとき、誰かの得を失わせることに労力を割こうとすることは徳高き行為ではない。自分の待遇をあげてほしいという要求は真っ当であるが、あいつが損してほしいという主張は嫉妬である。

 氷河期世代の不運は時代だったり環境だったりのせいであることは誰もが知っている。そのとき誰も手を差し伸べず自分のせいだろと責めたことも、日本社会全体に責任がある。反省と謝罪をして早急に対処すべきだろう。だがそうであったとしても精神まで堕落する必要はなかったはずだ。社会が悪いといったとき、これに続くべき要求は「社会」に向かうべきだろう。当時の日本がどれだけ歪んでいたとしても、自らも歪んだものになるべきではない。むしろ社会の歪みに対してできる唯一の抵抗は、精神をまっすぐに成長させることだけだ。

 下の世代からみると氷河期世代に対して不満がある。何故耐えるだけしかせず、制度をなにも変えてこなかったのだ、と。だが下の世代も上の世代の不満だけぼやいていては精神がひん曲がってしまう。そして上の世代への問いかけはすぐに跳ね返ってくるだろう。何をしていたのだと。その問いに応えられるようにやれることからやっていこう。成功するか失敗するか誰もわからない。将来文句を言われることがあるかもしれない。だけれども全力を尽くすしかないだろう。それだけがいまを生きる者ができる唯一のこのなのだ。

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