『千と千尋の神隠し』感想|あらすじ解説|内容考察|名前を呼んでもらうこと

『千と千尋の神隠し』感想|あらすじ解説|内容考察|名前を呼んでもらうこと

概要

 『千と千尋の神隠し』は、2001年に公開されたアニメーション映画。監督は宮崎駿。当時、日本歴代興行収入第1位を達成。ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞。 アカデミー長編アニメ映画賞を受賞。

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登場人物

荻野千尋 / 千:10歳の少女。両親が豚に変形しても挫けない心を持つ。

ハク / ニギハヤミコハクヌシ:ハクを助けてくれる少年。ゆばーばの弟子。

湯婆婆:ゆばーばと呼ばれる。センが勤める宿の主。魔女。

銭婆:ゆばーばの双子の姉。ぜにーばと呼ばれる。妹とは仲が悪い。

:ゆばーばの息子。巨体で乱暴。

釜爺:ボイラー室で働く老人。手が6本ある。センを助けてくれる。

カオナシ:コミュニケーションがとれない謎の生物。センに好意がある。他人を飲み込む。

あらすじ

 千尋は両親と引っ越しの移動中に不思議なトンネルを見つける。トンネルを進むとそこは神々が住む世界であり、人間はいられない場所だった。両親は見つけた料理を勝手に食べると豚に変形してしまう。千尋はひとりになって心細くなるが、ハクと名乗る謎の青年が助けてくれる。

 ハクの助けもあり宿で働くことになった千尋は、宿の経営者である湯婆婆に名前をとられ、千と名乗ることになる。千は人間であるため最初のうちは宿の生活に馴染めなかったものの、次第に打ち解けていく。宿ではカオナシが暴走したり銭婆が現れたりする。

 湯婆婆と銭婆の対決に巻き込まれてしまったハクを助けるために、千は銭婆の元に向かう。千のおかげで銭婆と仲直りをしたハクは、怪我が治り白竜に変身。さらに千を助けた過去を思い出し、ハクは自分の正体が「川」であることに気が付く。

 湯婆婆との交渉で千尋とハクは自由になり、両親を助けることにも成功して人間界に帰るのであった。

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解説

「あっ、あっ」の返答で承認欲求は得られるのか

 『千と千尋の神隠し』には全てを飲み込み食らい尽くす飽食のイメージが蔓延っている。

 象徴的な描かれるのが豚だ。千尋の両親は食欲に溺れて動物的本能のまま無銭飲食をしたために、喋ることのできない豚に変化させられてしまう。豚に変化してからは人間であったことを忘れ、与えられたものを欲望のままに食べることしかできない。その他にも坊や青蛙など飽くなき欲求にまみれたキャラが多数存在する。

 また映画のマスコットキャラ(?)カオナシもその類だろう。表情がないカオナシは食欲がないかわりに承認欲求に飢えている。この承認欲求は千尋の両親の食欲同様、その欲求は満足することもなければ治ることもない。事実、化け物に変化したカオナシはありとあらゆるものをくらい尽くす。この世界では承認欲求と食欲がほぼ等価に描かれているのだ。

 カオナシの承認欲求は端的に「あっ、あっ」という呻き声に現れている。カオナシから発せられる意味を持たない音は、道が詰まっているときにする後ろの咳払いや、誰も相手をしてくれないときの独り言と同じで、「私はここにいる」ということを意味しているにすぎない。他者からの承認を受けられない、したがって自己の存在すら疑わしく不安に陥ってしまうコミュ障のカオナシは「あっ、あっ」と破裂音を発っしては、他人に反応されて喜ぶ。千に反応してもらったときは無表情であるにも拘らずそれはそれは嬉しそうだ。しかしそれだけでは満足できず、そしてまた反応(自己存在証明)を求めて音やお金で反応を得ようとする。

 他人に反応されることで満たされる自己存在の証明欲求は終わりがない。他人の反応が結局反射の域を出ないからだ。それは椅子を叩いたらでる音によって自分の物質性を確認するくらいの価値しかない。そのことがわかっているから、常に存在の不安に絡めとられては反応を返してくれる存在を探し彷徨うことになる(図1)。

図1. https://ciatr.jp/topics/45009

考察

労働の外部と内部

 この物語が八百万の神々が住む世界でありながらどこか泥臭さのようなものを感じるとすれば、それは中心に描かれているの事柄が労働だからだろう。それも結構な肉体労働だ。千が汗水たらしながら必死に働き次第に周囲に認められていく過程は、ある少女の仕事場での成長物語にもとれる。

 だがそう簡単ではない。ここで描かれるもう一つの労働の側面は奉仕ともとれる感情労働だ。坊の世話や、カオナシの対応、オクサレ様の掃除などは過剰労働である。無垢な少女が理不尽な目に遭わされながらせっせと仕事をしていく様子は首肯できにぬところがある。一見尊くみえる千の無償の行為は、不条理を受け入れすべての者を飲み込み浄化していくのだが、見方によってはの飽くなき欲求と構造上の違いはない。

 だからといって宿で行われる労働は負の側面ばかりだ、ということはない。思い起こせば消え入りそうな千尋の肉体をこの地に留めたのが労働だった。労働は身体がいまここにあることを確定させてくれる。名前を取られた=アイデンティティーを剥奪された人々は労働をすることでどうにか生活していけるのだ。そこで搾取があるとか感情労働の悲惨さを暴くだけではまとを外しているとおもう。千もリンも汗水たらし生き生きとしているし、文句を言いながらも窯爺は楽しそうだ。なにより労働階級最下層のススワタリがあれほど魅力的で可愛いく描かれているのだから、労働も捨てたものではないだろう。

 むしろ労働の問題は、労働のコインの裏面であるカオナシの贈与が悲惨な結末を生むところで表面化される。カオナシはまわりの生き物に金銭をばらまき承認を得ようと失敗した。承認が得られれば得られるほどさらに承認を得ようとする姿は、食物にくらいつく千尋の両親と違いはない。労働の外部で金銭を与えるカオナシは承認の底無し沼に沈んでしまったのだ。では労働の内部、千尋の場合はどうか。

 その場合も結局カオナシと大差はない。労働はいまここにいる充足感を与えはしたが、アイデンティティを担保はしてくれない。オクサレ様を助けてもそれによって千が救済されることはないのだ。オサクレ様への無償に近い行為は、ニガダンゴを受け取ることで釣り合いが取れてしまう。無償の行いは巡り巡って労働の内部に回収されて、千が千尋に戻ることはない。

単純で強力な救いへーー他人に名前を呼んでもらうこと

 『千と千尋の神隠し』は名前を取りもどす=アイデンティティを発見する物語だ。宿での労働もカオナシやオクサレ様への奉仕も、千を千尋に戻しはしなかった。名前を取り戻すために、ではなにが必要なのか。

 それはハクがどうやって名前を思い出したかを考えればすぐにわかる。ハクは千に名前を呼んでもらうことで何者であったかを思いだしたのだった。他人に名前を呼んでもらうこと。それは独りでは不可能な、他者との関係の中から生まれる暖かい行為だ。独りでは思い出すことのできない名前を覚えていらのは他者のほかにない。だから救いは労働でも無償の行為でもなく、他者から与えられるのだ。

 おもえば千尋が自分の名前を忘れかけたとき、其方の名前は千尋と教えてくれたのはハクだった。ハクがいてくれたおかげで、千は千尋であることを忘れることはなかったのだ。自分の名を忘れても千尋の名を覚えていて、忘れそうな時にはそっと教えてあげる。あまりに単純すぎるこの回答は、それゆえに、強力で暖かい関係性の可能性を示している。

千と千尋の神隠し

感想・雑談ー釜爺について

千 : これから行く。ハク、きっと戻ってくるから、死んじゃだめだよ。

リン : ……何がどうしたの?

釜爺 : わからんか。愛だ、愛。

唐突に愛を語り出す釜爺。本作「愛」という単語は三回しか出てこない。その三回はすべて釜爺が独占している。

ハク : ……切れ切れにしか思い出せません。闇の中で千尋が何度も私を呼びました、その声を頼りにもがいて……気が付いたらここに寝ていました。

釜爺 : そうか、千尋か。あの子は千尋というのか。……いいなあ、愛の力だなあ……

もの懐しさが漂っている。ここでいう愛は一般的な恋愛という意味ではない、がどういう意味で言ったかは釜爺しかわからない。

 時々「ああ……いいなあ、〇〇だなあ……」とぼやく人が現実にもいるような気がする。含蓄深そうでわりかし好きなタイプだ。

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