現実を見る勇気はあるかーー山本英夫『新・のぞき屋』

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概要

 『新・のぞき屋』は1993〜1997年まで連載の山本英夫の漫画。主人公のけん、イルカ並みの聴力を持つチョウ、新人のスマイルの三人の探偵屋(途中から高見沢レイカも加わる)が、依頼された調査を通してさまざまな問題へと絡んでいく物語。

 山本英夫の漫画には、他に『殺し屋1』『ホムンクルス』などがある。

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名言

けん:現実の厳しさ知らねえヤツに現実の喜びは得られねェよ。

解説

「のぞきや」という仕事

 のぞき屋はつまるところ「探偵」である。主人公のケンらは探偵業を営んでいる。彼らは依頼を受けて、ある人を決まった期間観察し、その内容を依頼者に伝える。それで報酬を得て生活をしている人たちだ。

 しかし、単純に尾行して終わりというだけではない。部屋に侵入して盗聴器を仕込んだりとバレないようにあらゆる手段を尽くして私生活を探る。そうすると今まで隠されていた真相が分かってくる。例えば優等生にみえたレイカは売春の斡旋を行っており、またアイドルの樋口奈美は、アイドルという言葉の語源通り、年齢をサバ読んでたり、カラダを売っていたりする。

 というわけで、本当はどのような人間かを探るスリリングな漫画となっている。しかも大体覗かれる人間は裏があるのだが、依頼者の方も、さらには「のぞきや」もそれぞれ個性的な欲望を持っているので、さまざまな欲望の渦巻いた人間劇が繰り広げられる。

覗き覗かれるバトル

 覗くのは快楽である。というのも人の裏面(覗かれたくない部分)を見るのだから。しかし、逆にその欲望は覗かれたくないという意志の裏返しでもある。8巻から10巻にかけての変態マッチョ(プロの盗聴仕掛け人)との戦いは必見である。のぞき屋けんは過去を隠しており、覗かれたくないという欲望も持っている。しかしこの相手はけんよりも覗きが上手い。覗いてくるけんを逆に覗き込もうとする。けんは自分が覗かれている(晒されている)と感じ恐怖する。最終的にはけんが勝つのだがなかなか白熱するバトルである。

現実と虚構

 この漫画には、覗かれるもの=真実、見えているもの=虚構、という構図がある。まさに最後の樋口奈美編がそうである。世界(見えているもの)は虚構だ。虚構があるのはそれが美しいからで、現実=不潔、見たくないものを虚構は覆う。しかし現実はある。ここに直面しなければならないことに人間の非喜劇がある。

 最後、奈美の追っかけの山崎というオタクは現実に直面する。「現実に言葉に出したらあきまへんがな!」といいつつ勝手に現実に突っ込んでいったのは自分である。しかし山崎はこのことを肯定的に捉える(こんなに心が動いたんわどれくらいぶりやろか)。現実は現実で面白さがあるが、そこに踏み出すのは勇気のいることであり、痛みも伴う。

 けんも最後、現実へと一歩踏み出しレイカと遊園地にデートに出かける。現実と向き合うことで彼も新たな一歩を踏み出したところで物語は終わる。

考察

『ホムンクルス』でこの主題をもう一度追求したか

 一応最後はハッピーエンドな形で幕を閉じるのだが、不完全燃焼な感は否めない。まず第一に、けんの最後の姿が上半身透明だったように、けんの過去が全て暴かれたわけではない。けんは謎多き人物で左目が義眼である。この左目は自ら引っこ抜いてしまったわけだが、それはどうやら母親の死(しかも男と身体的な関係を持ちながら?)と関係していることだけは分かるが明確には明かされない。

 実は本作は『ホムンクルス』と主題が似通っているし類似点もある。『ホムンクルス』は相手のホムンクルスを見ることで、いわゆる心の深層(無意識)=現実に到達する。『新・のぞき屋』では覗き込むことで、相手の心の内に到達する。また相手を見るとき、『ホムンクルス』では左目だけで見るが、逆にけんは右目だけで見る(左が義眼)。そして、相手と自分の状況や過去がリンクしてしまうと『新・のぞき屋』の登場人物であるレイカやけんはやたらその覗かれる相手に執着するのだが、この構造もホムンクルスを見るときと同じである。しかし結論は全く異なる。

 けんは覗かれることを極端に嫌う人間であった。『人間失格』の主人公のように相手には虚構を見せるか、あるいは覗くだけで決して本心を見せようとしない。逆に、名越は本当は見てもらいたい人間であった。

 結果どうなったか。これはパラドックスであるが、見てもらいたい人間の方が狂気に陥り現実世界ではうまくいかなかったのである。これは他者の問題が関わってくると思うが、自分を隠しながら虚構を見せ続けること、現実世界を他者と生きていく処世術でもあるのである。

覗かれたくないという拒絶反応

 実は『新・のぞき屋』ではレイカは覗かれたい(見てほしい)と願う人物であった。逆に、けんは覗かれることを恐れる。人間というのは覗かれたいと思うものなのか、それとも覗かれたくないのか。これは人生のあり方の違いだろう。それでは覗かれたくないのはなぜなのか。あるいは覗かれたいのはなぜなのか。

 名越の見て欲しい(覗かれたい)というのは、ある種の一体化願望であった。これは狂気に吸い込まれていったが、さて、レイカはどうだろうか。

 それでは、覗かれたくないとは? 少しでも覗かれると汗をかくけんの心境は? さて・・・覗かれたくないのは一体なぜなのか?

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