予感からの逃走——岡田利規「三月の5日間」『わたしたちに許された特別な時間の終わり』

予感からの逃走——岡田利規「三月の5日間」『わたしたちに許された特別な時間の終わり』

概要

 「三月の5日間」は、2005年に発表された岡田利規の中編小説並びに戯曲。岸田國士戯曲を受賞。

 中編二編からなる『わたしたちに許された特別な時間の終わり』に「この場所の複数」と共に収録されている。『わたしたちに許された特別な時間の終わり』で2008年に第2回大江健三郎賞を受賞。

 2003年3月、イラク戦争が始まったその月に、六本木のライブで知り合あった男女二人が渋谷のラブホテルで5日間泊まり続ける物語。

 おすすめの文学は他に、梨木香歩『西の魔女が死んだ』、宮沢賢治「注文の多い料理店」「やまなし」、辻村深月『ツナグ』、安部公房『砂の女』、村上春樹『街とその不確かな壁』、星新一「ボッコちゃん」などがある。

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登場人物

:六本木のライブで知り合った女性と5日間セックスする男性。

名言

いつの間にか私たちには、時間という感覚から遠ざかるようなあの感じが訪れていた——時間が私たちのことを、常に先に先に送り出していって、もう少しだけゆっくりしていたいと思っても聞き入れてくれないから、普段の私たちは基本的にはもうそれをすっかりあきらめてるところのもの、それが特別に今だけ許されている気がするときのあの感覚だ——それが体の中に少しずつ、あるいはいつのまにか、やってきていた。(p.61)

あらすじ・ネタバレ・内容

 男性六人組が六本木のライブ会場に向かっていく。そこでは外国人によるパフォーマンスが行われていた。

 パフォーマーに促されるようにして語りだす観客たち。そのうちの一人の女性と男性の東は、その場の雰囲気で渋谷のラブホテルに向かう。

 2023年3月、イラク戦争が始まり戦争の波が押し寄せようとする日本で、二人は外界から遮断された特別な5日間を過ごすのだった。

解説

特別な時間と特別な場所

 騒がしい雑踏を忙しそうに駆ける人たちのすぐそばで、社会とか世界とかそういったスケールの話や時間から隔絶された男女がいる。その男女は世界の外で交わる。その場所にいられるほんのひととき、一週間にも満たないわずかな時間が、「わたしたちに許された特別な時間」の正体である。

 しかしながら「わたしたちに許された特別な時間」はもっと前から始まっている。イラク戦争が始まる2003年3月、六人の男たちはお酒で酔っ払いながら六本木を歩いている。アメリカがイラクへの攻撃を開始する数日前という緊迫した事態においても、この国にはまだ平和な雰囲気に満ちているのだ。

 この酔っ払いたちは外国人がパフォーマンスをみせるライブハウスを訪れる。そこでは沈黙する外国人が観客に喋ることを促す。まず話し始めるのはパフォーマーの女である。女は今朝渋谷でアメリカがイラクへ攻撃を開始することの抗議デモを見たと言う。そしてデモの列の幅が狭く警察が随伴していることに驚く。

 最初の話者がこの話題で始めたことから、戦争の話題へと誘導したいというパフォーマーの思惑が透けてみえる。それに釣られてある男性が、自分が若かりし頃にあったベトナム戦争について語りだす。戦争の危機が迫り、経験者が口を開く。しかしその場で共感が広がることはない。

ただし今しがたの男性の話に共感を寄せてでもいるような空気であったというのではそれはなく、どちらかといえばそれに対する反感とか困惑、そう言いきってしまうと、言い過ぎになってしまうのだが、そのどちらの要素もが合わさっているような、ちょっと白々しい雰囲気で、僕の気分と同じものだったのありがたかった。

この世界のどこか遠くで戦争が起こっていることと、われわれの日常と、アメリカと日本の政治的関係とがうまく結びつけることができない「わたしたち」は、どこにも足場を持たないような状態、そう、まるでライブハウスでお酒に酔っていたあの時と似たものを感じている。

考察

おぞましいことと終わりの予感

 このような空気が充満している国であるから、日本の中心に位置する渋谷の、壁で隔離されているだけの部屋に、「特別な時間」を持つことができたのだ。言うまでもなく「特別な時間」は、特別であるだけに儚く脆い。それを保つためには、テレビからの情報を遮断し、壁で外の空気をはじき、身体へと没入しなくてはならないのだ。細心の注意を払うことで創り出される「特別な時間」。だがそれも決して長く続くことはない。

間欠的なセックスが再開されたけれど、そのペースはもうだいぶゆっくりしたものになっていた。二人とも、もうだいぶ飽きてきていたからだ。年をとったような気もした。(p.69)

「特別な時間」とは、時間が進むことのないといった矛盾を抱えた時間であった。だからこの「特別な時間の終わり」は「年をとったような気」がするときすでに始まっている。

 その「終わり」はおそらくもっと手前の「心配」から予感されている。

でも実はこのとき私は、不思議に思うことでそのモードが消えてしまったり元に戻ったりするのではないかと、少し心配していた。だから不思議に思っていることに、必要以上に自分で気付かないように、していた。(p.65)

だがこういう風に言うこともできるだろう。「終わり」が「心配」されているからこそ、この五日間は「特別な時間」たり得たのだと。そして「特別な時間の終わり」は、長く続く戦争の始まりを意味してもいる。

ネット見たりね。それで、あ、なんだよ、もう終わってるじゃん戦争、みたいなね。そういうオチのしなりをは結構いんじゃないかって、今思い描いてるんだよね、どう?始まってみると終わるの案外早かったんじゃないの戦争?みたいなね、だったら結局、結果論だけどこれでよかったんじゃないの?みたいなね(p.72)

 戦争が案外早く終結しなかったことを我々はよく知っている。おそらく彼らも家に帰ってニュースで戦争が終わっていないと知ると、ああ、やっぱりなあ、と呟くだろう。だが真剣に純粋にそう思わずにいられた時間が、絶妙なバランスで形成されたあの瞬間には存在したのだ。

 相手と別れ現実に戻るわずかな時間、現実と非現実の間で、彼は渋谷で糞をするホームレスをみるために屈んでいる女の尻を犬と見間違う。そして彼は、「人間と動物を見間違えていた数秒が自分にあったことがおぞましかったから」(p.81)という理由で吐いてしまう。「特別な時間」の酔いの残り香が、彼にその悍ましい見間違いを起こさせたのだろうか。そうではない。人間と動物の誤認という恥ずべき行為は、それまで素晴らしいことと感じていた「特別な時間」だからこそ起きたのだ。情報から社会から世界から隔離されることで作り出された「特別な時間」は、当然ながら、世界のどこかで大量に人が死んでいるという恐るべき事実を無視することで出来上がったものである。それはまさに人を人として認識できなかったことと同型であろう。彼はそのことに気づいて吐いたのだ。

 一度気づいてしまったのなら、もうあの「特別な時間」には戻れない。彼にとっても日本人にとっても、「特別な時間」はもうすでに終わってしまったのだ。「女の渋谷はもう消えて、いつも通りのあの渋谷に戻っていた」(p.81)。元通りになったこの世界でわたしたちは生きている。

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