第四夜

第四夜

 広い吹き抜けの真ん中を貫くように、また長い長いエスカレーターが続いている。下を覗くとどれだけ上がってきたのか分からないほど、床が遠く見えない。
 オッケーオッケー。夢なんだよね。もう分かったってば。夢の中の私はため息をつく。

 滑らかに上がっていくエスカレーターには、前方少し離れたところに誰かが立っている。あの見慣れた背中は…えっと…誰だったっけ。



パンパカパーン!



 突然鳴り響いたファンファーレが吹き抜けにこだまする。

「はーい!みなさんお集まりください。あなたも、…そこのあなたも参加されますか?」
 声のする方に視線を向けると、仕立ての良さそうな燕尾服を来た初老の男性が少しだけ首を傾げてこちらを見ていた。だんだん近づいてくる人の良さそうな笑顔に、思わず何も考えずに頷いてしまう。
「では、あなたもこちらに…いえいえエスカレーターでは急がなくて結構ですよ。危ないですからね。」

 いそいそと群がる人波に混じると、周りはみんな鼻息荒くギラギラと目配せをしあっている。さっきエスカレーターに乗っていた時に前にいた背中は、どこに行ってしまったのか見えない。

「みなさまお待たせいたしました。第10万2503回目の抽選をいたします。お手元の抽選券はご確認いただけましたでしょうか?」
 何も配られていない…と思ったら、隣から箱が回って来た。コンビニのスピードくじみたい。引き当てた数字は7番。数字が良すぎて却って当たらなさそう。

「ええ、ええ。行き渡ったようですね…。さて、お待たせしました。今回当選した方はなんと、新年を迎えると同時に次のステージに進めることになるという、なんともスペシャルな回でこざいます。まあ、こういうタイミングは病院側には嫌がられるものなんですが。一生使える鉄板ネタになること受け合いですね。」
 おおっ、と群衆から声があがる。熱と湿度がものすごい。どうやら何か豪華な景品が当たるらしい。

「ちょっと押さないでくれない?」
「あっ、すみません…」

 私を頭からつま先までゆっくり見ると、憐れむように眉をひそめ、ひそひそと、でもこちらに聞こえるように隣の人と話し出す。あの子何もわかってないのよ。でも案外ああいう子に当たったりするもんだからなぁ。なんでもいいや。ただただ順番が来て押し出されて、無駄になるのだけは絶対イヤ。

 そんなに必死にならなくてもいいのに、と思いながら縮こまっていると、どこかのテーマパークで聞いたような電子音が流れ出す。

「さあさあ、抽選方法は単純です。この大きな回転抽選器をまわして出た数字と同じ抽選券をお持ちの方が当選です。抽選券がこちらに何枚か残っておりますので、空が出る可能性がございますが、抽選器の中には必ず皆様の抽選券に対応する玉が入っておりますのでご安心ください。」

 誰かがごくりと喉を鳴らすのが聞こえる。

「ただ一つご注意いただきたいのは、ここを出るとこれまでの皆様の人生の記憶は何もかも全て消えてしまう、というところです。当選はとても大きなチャンスですからね。そこからガラリと新たな人生が始まります。今お持ちの人生の記憶は寧ろ邪魔になる。もちろん皆様ご理解いただけますね。」

 そんな。いくらなんでもそんなのってない。今までの楽しい記憶も、大切な人との思い出も全て忘れるなんて、そんな、そんなことできない。
 手元の抽選券を見ながら、返してしまおうかと迷っていると、さっきの隣の人がこちらをじっと見ていた。

「要らないの?」
「いや…」
「そう。あなた、今までの人生に何か未練があるのね。」
「そういうわけでは…。でも、いきなり全てを忘れろって言われたら迷いませんか?」
「私は迷わない。もう決めてるの。新しい人生を手に入れたら存分に楽しんでやるって。」
「はぁ。」
「楽しみなの。何が起こるのかな、どんな人たちと会えるのかな、って。とっても楽しみなの。」
「それは、いいですね。」
「どうせ新しいあなたは全部忘れちゃうんだから悩んでも仕方ないと思うんだけど、何が心残りなの?そのまま当選しちゃったらきっと今のあなたが後悔するわよ。」

 私は何が心残りなんだろう。

からからからからからから

 軽快な音で抽選器が回り出す。

からーんからんからん

「よんせんさんびゃくにじゅういちばんの方ー!よんせんさんびゃくにじゅういちばんの方ー!いらっしゃいますかー??」

 燕尾服の男が会場全体を見渡す。目が合う。

「あ、ぼくです、当たりました。」

 あの人だ。4、5人挟んで前方でぼんやりと手が上がる。群衆が左右に分かれて彼を前へ前へと送り出していく。背中だけがやっぱり懐かしくて追いかけようとしても、人に阻まれて近づくことが出来ない。

「さあ、ではみなさま!当選者の方の新たな門出を祝って拍手でお見送りください。」
 うわぁっと歓声があがり拍手が鳴り響く。

 待って、少しでいいから顔を見せて。

今になる、巳がなる
  きっとなる、笛が鳴る

午になる、朝がくる
  よい年になる
  
  
 歌に合わせながら、その人はどこまでも真直に次のエスカレーターへと向かって行った。少しくらいはこちらを振り向くかもしれないと自分はエスカレーターの下でたった一人いつまでも待っていた。けれども、迷いなく登っていく背中はまるで見えなくなってしまった。少し左が下がった肩も、いつも寝癖がついていた後頭部も。

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