東京の街に出て来ました
あい変わらずわけの解らない事言ってます
上京してから、この曲を折々に聴いてきた。くるりの「東京」。自分も何年経っても、「あい変わらずわけの解らない事言ってます」だなあと思いながら。
進学で上京する時、閉塞感のある実家から出て、東京で暮らすことを誇りに思っていた節があった。学費も生活費も出してもらいながら、詰まらない話である。
東京に来れば自分が変わる気がしていた。東京へ向かうありふれた思考の膨らみの一部であったわけだ。誰もが東京に対して思うことを自分もまた思っていたわけだ。でも最近思うのは、東京は私を変えてくれなかったということである。私は故郷にいても「わけの解らない事」を言う奴だったし、東京にいてもそうであった。社会不適合。これもまたしかし、東京に滞留し沈殿するありふれた思考だろう。上京してしばらくたった人間がよく思うことだろう。よくある道のりを自分は辿っているわけだ。
東京に初めて住んだのは十八歳の時だった。
その時、僕が頭の中で広げた東京の地図は限りなく白紙に近いものだった。これから自分で地名を書き込み、線を引き、色を塗る。そんな淡い期待と同時に底知れぬ不安も感じていた。(『東京百景』はじめに)
『東京百景』という本があった。又吉直樹が書いていて、彼の東京を知ることができる本だった。東京の場所、場所に刻まれた彼の過去を、こっそり少しだけ教えてくれるエッセイ。池尻大橋、三軒茶屋、吉祥寺……。上京して間もない自分には、この本に書かれた色々な地名は未知できらきらしていた。自分の白紙の東京にも、これからそれぞれの場所に鮮やかに色がついていくと思っていた。
それから10年が経った。白地図はほとんど加筆がされないまま、ぼろぼろになっている。言葉にしたくない記憶のある場所は、黒く塗りつぶされている。そのことを思い出したくはないから、白地図も広げない。リュックの底でくちゃくちゃになっているのが正しい。
何でこうなってしまったのか。私の「東京」はこうなっていく運命なのか。
アパートから駅に向かうまでの道、小学校の脇に、桜が植えられている。上京してから引っ越しをしていないから、10回この桜が咲くのを見ているということになる。私が上京したての時そのもとを通っていた小学生たちは、もう高校生か大学生になっているのだ。私がぐずぐずしている間に、成長するべき人間は成長していく。社会の一員になっていく。
律儀に毎年桜は咲く。その時は人が足を止めるが、散ってしまってからは誰も見向きもしない。でもその桜は一人で季節を感じ、装いを整え、相応しくそこにある。蕾を膨らませ、花を咲かせ、葉を揃え、紅葉し、落葉する。今年もまた、雪もちらちらとしか降らない間延びした冬であったと思っている間に、桜の蕾は膨らんでいて、おや、と思うともう咲いていた。気温の上昇に、地球の自転に、否応なく桜の身体は変化し、むずがゆさに耐えきれずに今年も咲いてしまった。そんな諦めによって咲いたように見えた。私の心持ちがそう見せたのだろうか。決して桜は咲きたくて咲いているのではないと思えた。
私は自分で選んで、ここにいるのだろうか。それとも否応なく、東京に縛られているのだろうか。
思考を拒絶する私の頭は、答えを出そうともしなかった。蛹のように布団に潜り込んだまま、蛹のようにと形容することで、いつか羽ばたく日が来るような気持ちになりながら、眠っている。
- くるり「東京」(作詞・作曲/岸田繁 編曲/くるり&佐久間正英)歌詞はくるりのアルバム「さよならストレンジャー」(Victor Entertainment, VICL-60365)のブックレットから引用。
- 又吉直樹『東京百景』(2013年、ワニブックス)
