管理人から何か書けと言われたので、どこに需要があるのか知らないが、2025年を振り返る。
とは言うものの、どこから、どれが2025年なのかが思い出せない。春に韓国に行った。が、これは一昨年の春のことのようだ。ということは九州南部旅行をしたのも一昨年だ(そのまま下関から韓国へ行ったから)。将棋ウォーズの段位が四段になったのも、一昨年、たぶん(進歩のない一年でした)。
一昨年末からある論文を書いていた。「罪と恥」というタイトルになる予定だ。なる予定だ、と言うのは、まだ最終的な確定はされていないからだ。これを遅筆と言わずしてなんと言う、という遅さだが、その実態は、自分の今後のために、よく考えたほうがいい。実際に書いていた時間は短い。というか、一気に書いているところは書いている。小説なら小説の、あらすじを説明するのは楽しい。こういうことは昔は思わなかった。ただ面倒だと感じただけだ。自分の考えを述べるのではなくて、何かを自分の文章でなぞっていくことで表現することのおもしろさを覚えた。しかし、では自分の考えを述べようという段になると、筆が詰まってしまう。理由はいくつかあるが、そもそも自分の考えがない、内容に伴う文体を持っていない、自分で書いたものの支離滅裂にビビって固まる、等々。書くことは考えることだという人がおり、憧れる考えだが、書くことは考えを錯乱させるとも言えるので、ただ書かずに考えていれば、それはそれで健康的な考えが、誰にも知られず生き生きと考えられていくのではないか。そもそも書きたいと思って始めた読書でも勉強でもなかった。自分が今後どのように書くことと付き合っていくかは……。いずれにせよ、この論文はとりあえず春頃に一旦完成し(たことにし)、フィードバックを得て、再び11月頃に完成した(ことになった)。今年はひとまずその続きの作業を進めていく。
3月末に京都と串本に行った。京都には5月にも行った。僕の知る京都にいる人はみんな頑張っていて心から尊敬している。串本ではメヌケを釣らせてもらった。家主が娘の引っ越しの付き添いでいなくなったので釣ったメヌケを食べながら数日留守番した。友人の朗報を受け取った。海を見て、トルコ喫茶店でWifiをキャッチして過ごした(串本ではむかしトルコ船が難破したのだ)。カツオ漁にも連れて行ってもらったが、こちらは1匹も釣れなかった。翌日の帰りの電車で、今日は死ぬほど釣れているという連絡を受け取った。初めてカツオを釣ったのはその1年前だったはずだ。それでそのことを文章にしたのも、だから、いまから2年前か。
4〜6月と、8〜11月は、週1回の講師業をした。『嵐が丘』を読んだ。こんなに退屈だったか、と思った。最後の方だけは面白かった。この小説を読んで若者が述べることは、基本的に、キャサリンの上昇志向、ヒースクリフの嫉妬、エドガーの善良さの3点に絞られ、それぞれの比重に応じて各人物の評価が定められる。私もだいたい同じことしか思わない。で、だんだん飽きてくる。ヒースクリフはもういいんじゃないかな、っていう気分になってくる。と思っていると、ヒースクリフが復讐の修行のために突然消える。すると、ヒースクリフのことしか話の種がなかったのにどうすんのとなって不安になる。急に恋しくなって、帰りの電車で何度も「ヒースクリフ」と呟いたりした。水村美苗含め第一世代がおもしろいという評価が主流のようだが、私は後半の方が面白いと思う。同僚のおばちゃん(彼女がいなければ私はそもそもこの仕事はしていない)が、今年で退職した。やりたいことがあるのでこっちはもうこの辺で! という感じでキッパリ去っていって、さすがと思ったが、私は寂しい。最後に花を贈った。
夏には、日本最北端の島、礼文島のホテルで働いた。いわゆるリゾバである。これについてはいくらでも話せてしまうので簡潔に言うが、元々ぼんやり礼文島に行ってみたかったところに、友人が礼文島関係者(3歳まで住んでいて、去年礼文でリゾバしていた)と知り、では今年もという感じで友人もろともよくわからないがとにかく話をつけてもらった。なかば治外法権みたいなところのある、おもしろい場所だった。仕事内容はレストランサービスである。職場には何を言っているかわからないキチガイもいたが、それはそれとして、仕事はひじょうにおもしろかった。サービスは観察力が重要だ。相手がさっさと食べたいか、ゆっくり話しながら食べたいか。料理や島のことに興味があるか、ただ盛り上がりたいか。実際熟練の人はすごい。自分が担当する客は当然のこと、他の客や、果ては同僚の動きまで把握している。加えて、私のテーマは、「堂々力」であった。自分は動きがキョドキョドしているのだが、それをなんとか矯正したい。結論から言うと、これは邪道、かつ笑い話だが、ちょっと酔っ払うといいサービスができる。いや、ちょっとじゃなくて、完全に二日酔いだった。すると客に何を言われても即座に反応できなくなる。結果としてただニコニコした、なんでもこいという顔のサービスマンになる。これももちろん、熟練の人は、素面でやっている。
礼文島をきっかけとして生活に大きな変化が起きた。ワインを飲むようになった。ホテルの調理の、ソムリエの資格も持つお酒に詳しい人がずいぶんよくしてくれて、いろんなお酒を飲ませてくれたのだが、そのなかに余市ワインがあった。これがべらぼうに美味しいというか、いままで口にしたことのない、ナニコレ!? という味だった(ソウマファームの”Too late” というワインです)。考えてみると、世界広しといえど、醸造酒というのは種類が限られている。ワイン、日本酒、ビール、以上。日本酒ってすごい! というのが、まずひとつ。なのだが、それはそれとして、ワインもおもしろいのではないか、という。
ワインにはこれまで全く興味がなかったのである。第一に、日本酒に比べて高い。第二に、いけすかない。第三に、嫌いな人が、ワイン好きであった(これが一番大きいかもしれない)。だが、詳しい人の説明を聞いて、いいものを飲ませてもらったら、ガラッと認識が変わる。そもそも自分はこういうのに弱い。芸術もそう。魚もそう。自分は、特別なものが欲しいのではなくて、誰でも手に入れられるものを見る特別な目が欲しい。というわけで、島から帰ってきてから、つまり9月以降、3日に1本ペースでワインを開ける日々が始まった。
他には、福岡の太宰府と、台湾に行った。太宰府には弟が住んでいて、その弟がもうすぐ引っ越すというので、ギリギリのタイミングで行ってきた。太宰府天満宮に自転車で行けるっていうのはすごいですね。そうして弟は、もうここに思い残したことは何もないと新天地を目指して旅立ったらしいのだが、そこはそこでまた大変なようだ。
礼文島では総額40万稼いだ。よしこれを何に使おうということで、台湾に行った。12月のことなのでまだ記憶に新しい。台北、台中、台南と見てきた。このサイトの管理人経由で紹介してもらったガチ中華な方に、日本でも中国でも食べられない、これだけは食ってこいリストを作成していただき、それをほぼコンプリートしてきた。数年前に中国語を勉強した時期があり、魯迅を読むばかりで口頭で使う機会は皆無だったのだが、今回その謎の料理名たちを中国語で発音してオーダーできたのは大いなる喜びであった。この機会に台湾史も勉強した。大陸の東側に浮かんでる島でも、こんなに違うものですかねえ。複数の民族の混合の中で、ひとつひとつ段階を踏んできた台湾。蓋を開けてみれば、砂糖が山ほど、米が年に2回も3回も作れる土地だった台湾。そもそもなぜ、オランダが来るよりも前に、文字が輸入されるようなことが起きなかったんだろうか。そんなこともあって、年末年始は歴史の本を読んで過ごした。
最後にもうひとつ。2025年は、年来仰ぎ見てきた人を、直接見るという経験を二度した。ひとりは私が魚を捌くときにずっと参考にしてきた寿司職人だ。とある人に連れていってもらった。別に金を払えばいけるのだが、高額だし、そもそもその発想がなかった。それが、行きたい料理屋とかないのか、と聞かれてふと思いついた。喋り方も含めそのままだった。確かに、明らかに美味しかった。もうひとりは、ピアニストのクリスチャン・ツィメルマンだ。私は特にうまくもないのだが長いことピアノを弾いていた。そもそも音楽を聴くことに本質的には興味がなかった(いまでもそうかもしれないが)。ショパンの舟歌やバラードを練習した頃に、見つけた演奏家だった。いつも聴いて、真似していた(もちろん表層的になぞるだけだ)。むかしスイスかどこかを旅行したときに、リサイタルの案内を目にしたことがあり、実在しているんだなあと思ったことがあった。ふと、名前を検索して、数ヶ月後に日本で演奏会があることを知った。演奏は感動的だった。
フジ子・ヘミングの演奏会も一回くらい行ってみればよかったなあと思っている。そういう、もはや優劣じゃないよね、というような人の、つまり自分にとってそう感じられる世代の人の、訃報を目にすることが多くなった。
