あるとき酒のせいで、ジョイスはセント・スティーヴンズ・グリーンで一方的なけんかに巻き込まれた。[…]ジョイスが血だらけで地面に倒れていると見知らぬ男—ダブリン住まいのユダヤ人と噂されるアルフレッド・H・ハンターが抱き起こし、泥を払ってくれた。ハンターはジョイスの肩を支えて大丈夫かと尋ね、まるで父親のように家まで送ってくれた。ジョイスはこのことを決して忘れなかった。
— ケヴィン・バーミンガム『ユリシーズを燃やせ』(小林玲子訳、柏書房、2016年.) pp. 39-40.
1. はじめに
『ユリシーズ』を全クリしよう。そのために、ゆっくりしずかに読まないといけない。「ゆっくり」読むとは、先を急がず、ページを行きつ戻りつしながら読むこと。「しずかに」読むとは、例えば「20世紀最高の小説」だとか「モダニズム文学の最高峰」だとかいう前評判を全て雑音としてキャンセルし、作品世界から立ち昇ってくる猥雑な音たちに耳をすませて読むということ。この2つのことにさえ気を付ければ、『ユリシーズ』を読むことはあなたの人生で唯一無二の体験となることを約束できる。残念ながら、(これを書いている私が現時点でそうであるように)たとえ全クリできずに終わったとしてもだ。

ある変わり者の「ダブリナー」が、ダブリンから遠く離れた異国(オーストリアのトリエステ)で、およそ10年という時間を遡って1904年6月16日のダブリンを言語によって再構築しようと計画する。その日は歴史上から任意に選ばれた何でもない日で、スローアウェイという大穴の馬が競馬で1着になって20対1の大当たりを出したり、作家自身が後に妻となる女性と初めてデートしたりしたのだが、大多数のダブリン市民にとってそんなことはどうでも良く、特に何か前後と異なる日ではない。ジェイムズ・ジョイスという名の変わり者は、まるで今日のchatGPTが入力された質問に対しインターネット上のあらゆる関連情報を探索しtransformして解答例を書き上げるように、1904年当時の街路地図や人名辞典、新聞記事や雑誌広告を調べまくって入手したあらゆる「情報」を「作品」へとtransformしていき、スイスのチューリッヒで「1904年6月16日の仮想ダブリン」を再構築してしまった。その変換作業は、第一次世界大戦がヨーロッパを灰燼に帰してしまった後、1920年にパリに移住(以降20年住むことになる)した後も続けられた。
『ユリシーズ』を書き始めてから後、結局生涯一度もダブリンおよびアイルランドの地を踏まなかったこのダブリナーは、友人たちにこう自負を語っていたという。
もしある日突然その街[=ダブリン]が地上から消え去ってしまっても、私の本[=『ユリシーズ』]から再構築できるでしょう。
ジョイスの友人だったフランク・バッジェンの著書より
言語のプログラマー&世界の(リ)クリエイター、ジョイスにとって、自分が単語を積み上げて作り上げた「仮想ダブリン」の方が、現実の都市よりも「ダブリン」度が高かったのかもしれない。『ユリシーズ』こそ、世界初のVRであり、マインクラフトである。1922年2月2日、執筆開始から7年の時が過ぎ、『ユリシーズ』は出版された。作家が再構築の対象として選び出した日からは、18年の歳月が過ぎていた。彼の愛したアイルランドは、アイルランド独立戦争を経て、この年に独立した(それでも苦境や内戦は、ジョイス死後のアイルランド共和国成立(1949年)まで継続するが)。
『ユリシーズ』には、平凡な人間が人生で取る行動の全てが書き込まれている(あるいは起きていることが暗示されている)と言われる。生老病死、冠婚葬祭、起床、食事、飲酒、就寝、喧嘩、窃盗、詐欺は元より、作品発表以前は小説で描写されることなど考えられなかった、排便・射精・月経・不倫についてもあけすけに表現される(そのため幾度も発売禁止となった)。作家は明らかに、凡庸な人間たちの営みを愛している。倫理的に肯定できない振る舞いであっても、世界にそれらが存在することを祝福している。第2挿話で、勤務先の学校で激ヤバ校長が、人間の歴史は「神の顕現」に向かう、等と急にトンデモなことを言い出した時、主人公の1人スティーヴンは反論する。
スティーヴンは窓のほうへ親指をぐいっと突き出して言った。
―あれが神です。
行けーッ! やったーッ! ピッピーッ!
―何がですと? ディージー校長が問う。
―街の叫び声です、スティーヴンは答えて肩をすくめた。
柳瀬尚紀訳『ユリシーズ 1-12』河出書房新社、2016年、p.66.
クォテーションマーク(つまりカギカッコ)を使わないジョイスの独特な書法とそれを再構築する柳瀬尚紀の独特な翻訳法に慣れることができれば、「行けーッ! やったーッ! ピッピーッ!」というのは、二人どちらのセリフでもなく、会話している部屋の外の運動場でホッケーをして遊んでいる生徒たちの声だとわかってくる。神とは「街(=ここでは子どもたち)の叫び声」であり、何気ない日常のただ中に「神の顕現(エピファニー)」が訪れている、というのは『ユリシーズ』を貫くテーマなのだ。「ダブリナーズ」でない私たちが今日したことでさえ、クリエイターの慈愛によってtransformされた形で、きっと作品のどこかに書き込まれていることだろう。
ジョイスは読者というプレイヤーに仮想空間中を歩かせるのに、POVとなるアバターを2人用意した。1人は今出てきた詩人ワナビーの悩める文学青年スティーヴン・ディーダラス(柳瀬訳ではデッダラス)。もう1人は、最近妻に別の男がいるのでは?と不安を抱えながらも自分も隙あらば不倫に走ろうとしている好色中年レオポルド・ブルーム。女性キャラは視点人物にならず(と思ったらボーナスステージの第18挿話では選択できる)。父子のように年の離れた2人の男はダブリン市街を移動しニアミスを繰り返しながら、なんと最終盤の第15挿話まで出会わない(『ユリシーズ』は全18挿話からなる)。2つの焦点からなる楕円として作られた『ユリシーズ』に、ジョイスはありったけの万物照応や偶然の一致や謎を封じ込めた。ジョイスの伝記作家リチャード・エルマンの『ジョイス伝』に、ジョイスが『ユリシーズ』について言ったとされる伝説的な言葉が記されている。
わたしは非常にたくさんの謎やパズルを埋め込んだので、これから何百年もの間、大学の先生たちはわたしの意図について議論を続けることだろう。
「謎やパズル」の多くは100年以上経ってもまだ解けていない。それらに挑む楽しみを「大学の先生たち」だけに独占されるのはもったいないので、私たち一般読者も「ゆっくり」「しずかに」読んでいこう。以下、互いに深く関連し合った「ゆっくり読む技法」と「しずかに読む技法」を『ユリシーズ』からの具体例に沿って紹介するので、コマンドを覚えてほしい。この2つの技さえ身につければ、いつか『ユリシーズ』を全クリできる日が来るはずだ。

2. ゆっくり読むには その例
ジョイスは物語の時間的連続性とは別に、じつに膨大な量の照応関係(レファランスとクロスレファランス)によって『ユリシーズ』を作り上げた。
ジョゼフ・フランク「現代文学における空間形式」(1945)
[レベル★] すべての人名を伏線だと思おう
『ユリシーズ』に意味ありげに出てくる人名には、だいたい本当に意味がある。第1挿話のこんな場面。スティーヴンの友人マリガンが、たまたま海岸で出会った知り合いと会話している(引用中に出てくる「マラキ」はマリガンのニックネーム)。
―弟もいっしょか、マラキ?
―ウェストミーズに行ってる。バノンのとこだ。
―まだあっちか? バノンから葉書が来たぜ。かわいいのができたんだとよ。フォトガールだとさ。 ―速射でばっちりか? 短時間露出だな。
柳瀬訳p.42
「速射snapshot」が写真術と恋愛術の両方にかかっている、というだけの会話と受け取ってはいけない。読者は伏線の張り巡らされた推理小説を読むように、ここで得た情報をとりあえず頭の隅に置いて先に進まないといけない。そうすれば、第4挿話でブルームが15歳になった娘ミリーからの手紙を読む時、快い驚きを感じられるだろう。
大好きパパちゃんへ(中略)
写真の仕事はもうけっこううまくやってます。コックランさんが私と奥さんの写真をとってくれました。現像したら送ります。[…]時々晩に遊びに来る若い学生さんがいてバノンという人だけどいとこか何んかがエライ人よ
柳瀬訳p.118
ということで、主人公スティーヴンが会話の断片で耳にした「フォトガール」は、もう1人の主人公ブルームの娘だった。この間、邦訳にして約70ページ。全然いけるでしょ? こんな伏線が満載の楽しい小説なんですよ。
[レベル★★] 特徴的な表現は覚えておこう
『ユリシーズ』に格調高い文章が出てきたら、後で繰り返されるんじゃないか?と警戒し、マークを外さずにディフェンスしておこう。ここでは、第1挿話と第4挿話とに共通する表現を取り上げる。スティーヴンが第1挿話で登場し、ブルームが第4挿話で登場し、「主人公の初登場」という点で両挿話は共通するため、ミリーの話もそうだったようにこの2つの挿話間には特に凝った橋が架けられている。ここもその一つ。
雲がゆっくりと動いて、太陽をすっぽり覆い、湾をさらに濃い深緑に翳らせた。A cloud began to cover the sun slowly, wholly, shadowing the bay in deeper green.
柳瀬訳p.21
雲が一つ、太陽をゆっくり覆い始めた、すっぽりと。A cloud began to cover the sun slowly, wholly.
柳瀬訳p.110
この仕掛けによってジョイスは、2人の主人公が生きている世界が同じダブリン(と見せかけて本当は、ジョイスの作った「仮想ダブリン」)での出来事であり、しかも時刻も同じ(午前8時すぎ)だと読者に読み取ってもらおうとしている。そんなことをしなくても、「一方その頃~」と書けばいいことなのだが、そんなダサいことをするなら死んだほうがマシと思っていたのがこのジョイスという輩なのだ。この間、邦訳にして約90ページ。まあいけますかね。
[レベル★★★★] 言い間違い・書き間違いの意味を考えよう
最高に翻訳者泣かせなところ。ジョイスは言葉遊びや地口が大好きだったので、『ユリシーズ』にも無数にダジャレや韻を踏んだ文が出てくる。中でも、言い間違いや書き間違いには異常と思えるほどこだわり、ただ笑いを取るだけのワンポイントリリーフとしてでなく、作品のイメージを膨らませるキーとして使った。例えば、第5挿話でブルームが文通相手マーサから受け取った手紙に書き間違いがある。ちなみに、不倫に走ることを夢見るブルームはマーサに対して「ヘンリー・フラワー」という偽名を名乗っている。
ヘンリーさまへ(中略)
罰でこらしめてあげたいくらい。悪い子って書いたのは他界行儀が好きじゃないからです。あの言葉の本当の意味を教えて下さい。お家では幸せではないのですか、悪い子さん?
柳瀬訳p.138
内容は、ブルームが何か卑猥なことを書いたのを咎めると見せてイチャイチャしているというどうしようもないものだが、書き間違いによってイメージが倍増している。「他界行儀」は、さすが柳瀬尚紀という力業の訳ですね。原文では「あの言葉」の方に間違いがあって、”that other word”とあるべきが”that other world”となっている。何気ない手紙に「他界」という言葉が侵入することで、『ユリシーズ』後半に「もう一つの世界」が暗示されることを予告しているようだ。
そんな象徴的思考とは無縁の世俗人間ブルームは、この手紙を読んで”Wonder did she wrote it herself(自分で書いたんだろうか).”と思う。手紙に「もしお手紙くれなかったらです。(if you do not wrote)」と文法的な間違い(writeが正しい)があるのを受けて、あえて間違って「自分自身でwroteしたのかな?」と思っているのだが、ミソはマーサの手紙がタイプライターで打たれていること。現在も、と言うか私が今打っているパソコンでもそうだが、ほら、キーボード上で「I」の右隣は「O」でしょ?マーサはwriteと打とうとしてwroteと打っちゃったんですね(ヒュー・ケナーの傑作評論『機械という名の詩神—メカニック・ミューズ』に言及あり)。でも本当にマーサ本人が書いたかはタイプライターだから何とも言えん、というのがブルームのお悩み。
ちなみに、ジョイスが『ユリシーズ』に仕掛けた様々な誤植は、優秀な印刷工の手によってほとんど「修正」されて出版された。せっかくの努力を台無しにされたジョイスは怒り、「修誤」するよう訴えたという。厄介な客ですな。
『ユリシーズ』では、書き間違いと同じくらい言い間違いも大切だ。込み入った話は長くなるので避けるが、妻モリーが「会者定離輪廻」(柳瀬訳p.115)という語を”Met him pike hoses”と間違えて聴き取るという第4挿話の小さな事件が、ブルームの心に深く刻まれ、『ユリシーズ』中に”Met him pike hoses”という語の並びが強迫観念的に幾度も幾度も出現するという事態になる。Met him=「彼に会った」という聞き間違いがおそらく不倫をしているモリーの無意識が現れたものだと解釈できるのも興味深いが、この「会者定離輪廻=metempshycosis」こそ、『ユリシーズ』全体のテーマだと考えることもできる。
つまりこうだ。言葉は、書き間違われ言い間違われ、幾度もtransformされた輪廻の果ての姿であるかもしれないが、きっと登場人物や読者の元にもう一度帰ってくる。長い長い6月16日がようやく終わる頃に、スティーヴンもブルームも初登場時の姿からtransformされ、彼らの様子を綴る文体もどんどんmetamorphoseされ、いつものダブリンとは違うother worldでの出来事であるとしても。だから皆さんにも、言い間違いや書き間違いのもたらす意味の広がりに注意を向けて読んでほしい。(翻訳はどれほど達意の物でも限界があるので、原文でしか読み取れないニュアンスについては、この記事内で適宜補足していきます。安心してまず翻訳でお読みください。)
3. しずかに読むには その例
[レベル★] 垂れ流しを楽しもう
電車に一人で乗っている時、周りの人々の会話に耳をすませてしまったことは誰しもあるはずだ。会話をもしそのままテレビで放送すれば、笑えないギャグ、身内でしか伝わらない愛称、内容のないやり取り、等の垂れ流しが続き見るに堪えない「放送事故」だと騒ぎになるだろう。そんな会話を、独り言や心の声も含めて文字起こししてしまったのが『ユリシーズ』だと考えるとかなり近い。第4挿話でブルームが朝のトイレに行くところを読んでみよう(この時代、トイレは庭にあるため一度外に出る必要があったようだ)。
自分は裏戸から庭へ出た。隣の庭の気配を窺って立つ。物音なし。そろそろ洗濯物を外へ吊す頃だが。お女中はお庭にお出まし。いい朝だ。
柳瀬訳p.121
戸を閉めきらずに、黴臭い漆喰と古びた蜘蛛の巣の悪臭の中、ズボン吊りを外す。腰をおろす前に、隙間から隣家の窓をちらり見上げた。王様は金庫の間にて金勘定。誰も見えない。
同p.122
1つ目の引用で、普通の読者ならブルームが隣の庭に女中がいるのを見かけたと思うだろうが、実はそうではない。私も川口喬一氏の研究書で初めて知ったことだが、これはマザーグースの「6ペンスの歌」をブルームが口ずさんでいるところなのだ。
王様は執務室でお金の勘定をしていた
お后はお部屋で蜂蜜パンを食べていた
女中は庭に出て洗濯物を干していた
そこへ小さな黒ツグミ、女中の鼻をちょんぎった
川口喬一『「ユリシーズ」演義』pp.62-63より
…んなもん、わかるかい! マザーグースなど、日本に生きていて私が触れるのはアガサ・クリスティーの作品で見立て殺人が起きる時ぐらいだ。でももし電車の中で「おーはらおーはら、本気になったら?」と一人が言ったら相手は「大原!」と返すだろうし、どこかに連れて行ってほしい時一人が「♬連れてって~」と歌い出したらもう一人は「たこ昌!」と素早く合いの手を返すだろうし、若い世代でも「明日も来てくれるかな~?」への返しは「いいとも!」なのではないか?(知らん) 座る時にいちいち「よっこいしょういち」と言う中年やカワイイ写真を見たら「やばたにえん」というギャル(だいぶ古い)、そうした全てが現実というもの。つまり、「普通の小説」が不要として現実を刈り込んで「現実」としてきたものを、すべてそのまま再構築しようとしているのが『ユリシーズ』なのだ。
ダブリンっ子でもなければ1904年に生きていたわけでもない私達が、ローカルネタなどわかるわけがない。スティーヴン周囲の内輪ネタとなればなおさらだ。だから、別に理解する必要もない。「世界文学の最高傑作を読むぞ!」と勢い込んで『ユリシーズ』を開く読者は、第1挿話で内輪パロディネタばかり連発するマリガンの発話に戸惑ってそっと本を閉じたくなると思うが、マリガンのおふざけなんて無視しておけば良いのだ(暴言)。
それよりも大事なのは、そんなどうでもいい会話が垂れ流しされていることにリアリティーを感じながら読むこと、仮想ダブリンに吹く風を感じて、しずかに読むことである。
[レベル★★★★★] 小説として『ユリシーズ』の良い箇所を見つけ、愛そう
これは最高難度。そもそも挿話を読み進めていかないと難しいかもしれないが、全クリを狙う皆さんにはぜひここを目指してほしい。『ユリシーズ』を読み終わった時に湧き上がる感情は、別に「モダニズム文学の最高峰を読み切ったぞ!」ではない。「悪いところ・変なところもあるけど、めちゃくちゃ良いところもいっぱいあったなー」である。『ユリシーズ』はあらゆる意味で普通の小説とは違う作り方をされているが、普通の良い小説と同じように楽しめるところもいっぱいある。
一例として、私が愛している箇所を引用しよう。第17挿話の終わり近く、夜更けてブルームが傷ついたスティーヴンを介抱し自分の家に連れ帰り、共に横になっているところを、なぜかキリスト教の教理問答の文体で説明する箇所である。ここが(特に太字にした部分が)なぜ心に響くのか、自分でもよくわからないので、普遍化するつもりは一切ない。現に、ここが良いと書いている本ともそう言っている人にも今までの人生で出会ったことがない。だからただ、私と同じように、皆さんが愛する箇所をそれぞれに見出してくれることを願うばかりである。それが見つかったら、共に語り合いましょう。
いかなる姿勢で?
(中略)疲労した成人胎児、子宮内の胎児成人の姿勢。
子宮内? 疲労?
彼は休息している。彼は旅をしてきた。
誰と?
船乗りシンバッドそして仕立屋ティンバッドそして牢番ジンバッドそして(後略、この後列挙が続く)
三人訳『ユリシーズ』Ⅳ、pp.274-275
以上が、「ゆっくり」「しずかに」『ユリシーズ』を読む上でのコマンドである。これさえ習得すれば大丈夫!そして、覚えなくても読んでいるうちに身体が覚える!
チュートリアルは以上です。準備はいいですか? Yes O Yesですね? それでは、第1挿話の1ページ目を開いてください。
*本連載「ゆっくりしずかに読む『ユリシーズ』」は、挿話ごとに1回のペースで、次回から18回続く予定です。
(読者の中に参加された方もいらっしゃったと思いますが、私は2019年から3年間かけて『ユリシーズ』を挿話ごとに読んでいった読書会「2022年の『ユリシーズ』」の参加者です。この読書会で、初めて『ユリシーズ』の読み方を教わり、興味を持つことができました。『ユリシーズ』を一般読者に広げる努力を続けていらっしゃる主催の南谷奉良さん・小林広直さん・平繁佳織さんのお三方と、毎回の参加者の方々に感謝致します。読書会終了後の3年間に私が考え、今また「再読」した結果を、この論に反映していければと思います。)
4. おまけ 『ユリシーズ』をゆっくりしずかに読むキット
【翻訳】 →私が読んだことあるのは3種類。新しい順に書きます。結論から言うと、どれも良い所があるからどれでも読んでくれ。
①柳瀬尚紀訳 河出書房新社、2016年.
帯に「20世紀最高の小説を最強の新訳で」とあるが、前半は疑問を覚える人がいるとしても後半には誰も異存がなかろう。柳瀬氏は泣く子も黙る『フィネガンズ・ウェイク』の全訳者で、ジョイス流に造語を量産するスタイルは日本文学にも大きな足跡を残した。『ユリシーズ』翻訳も、「なぜ柳瀬尚紀はこの言葉をチョイスしたのか」と考えて原文と照らし合わせると最高に面白いのだが、惜しむらくは2016年に訳者ご本人がお亡くなりになり、第12挿話までで未完となってしまった。訳注がなくてスタイリッシュ、オススメですが、マイナスポイントは最後まで読めないということ。この連載では基本的に柳瀬訳から引用したいと思います。
②丸谷才一・永川玲二・高松雄一訳 全4巻(Ⅰ~Ⅳ) 集英社文庫、2003年.
柳瀬訳登場以前、『ユリシーズ』を読むと言えばこの本を読むことだった。三人で訳しているので、「鼎訳」「△」、あと訳者を一人で代表させて「丸谷訳」「高松訳」、と様々な呼び名を目にするが、ここでは「三人訳」と略したいと思う。最大のポイントは挿話ごとの解説や訳注が豊富にあることだが、「解説や訳注まで読まないと!」という気分にさせられてしまう人にはあまり向いていないかも。訳注のせいもあって各巻600ページ級が4冊並ぶので挫折しやすくはある。誤訳も多いしジョイスが英国文学史の文体模倣をする箇所はすべて日本文学に置き換える等やりすぎも多いが、普通に読むぶんにはそんなに問題ない。私見だが、誤訳は挫折したことのスケープゴートとして問題視されていることがほとんど。長所は何と言っても、最後まで訳されていること。あと表紙が4色別の色なので未読でもお部屋のインテリアに最適です。
③伊藤整・永松定訳 全2巻(Ⅰ・Ⅱ) 新潮社、1963年.
「現代世界文学全集」の1つとして訳されたもの。何と言っても伊藤整の理知的な視点で抑制された翻訳で、非常に筋が追いやすい。あと文体が伊藤整的で格調高い。古い訳ですがこれもオススメです。短所は、当たり前だが少し日本語が古いことと、ジョイスの遊び心のようなものを捉えて訳そうとはしていないこと。
④(番外)柳瀬尚紀編訳(抄訳) 『ユリシーズのダブリン』松永学写真、河出書房新社、1996年.
柳瀬氏が『ユリシーズ』を訳す以前に、各挿話から名場面を抽出して訳し、舞台となる美しいダブリンの写真とレイアウトした本。『ユリシーズ』の本なのに『フィネガンズ・ウェイク』で始まるのも洒落ている。簡単に流れをつかみたいならまずこれを読むのもアリ。訳文もいわゆる柳瀬調ではなく良い意味で読みやすくGood。
【研究書】→ 山のようにあるが、この連載のように少しずつ読むスタイルなのは次の2冊。どちらも様々な発見を共有してくれて良い。これからもお世話になる予定です。
川口喬一『「ユリシーズ」演義』研究社出版、1994年.
結城英雄『「ユリシーズ」の謎を歩く』集英社、1999年.
【英語文献】→ もし英語まで手を伸ばす意欲があるなら、何をおいても原書。次いで、ドン・ギフォードの定評ある註釈本だろう。特に出典関係は強い。
Don Gifford, Ulysses Annotated: Revised and Expanded Edition, University of California Press, 2008.
【webサイト】→
・webあかし連載「ジョイスの手―はじめての『ユリシーズ』」
https://webmedia.akashi.co.jp/categories/733
先ほど挙げた読書会「2022年の『ユリシーズ』」の主催者お三方が、初読者向けに『ユリシーズ』の読みどころを書いてくれたブログ。第2節の最後に書いた「会者定離輪廻」の話が詳しく知りたい方は、第7回「Metempsychosis=「会者定離輪廻」??――『ユリシーズ』における「見えなさ/死角(blindness)」について」(小林広直氏執筆)を読んでください。
・ジョイス・プロジェクト(joyceproject)
web上で『ユリシーズ』原文が読めるというだけで凄いのに、本文語句をクリックすると、語の背景知識(英語)が画像とともに表示されるという神サイト。
【動画】→
『ユリシーズ』をVRゲームと捉えその全クリを目指す本論の姿勢は、実際に『ユリシーズ』をJoycestickなるVRコンテンツにしてしまったボストン大学研究チームの試み(2017年)に触発されている。YouTubeで一部を視聴することができるが、第1挿話の舞台となるマーテロ塔の眺め等最高だ。あとは研究が進み、プレイヤーがアバターを2人の主人公から選んで全挿話プレーできるようになる日が来ることを願う。
