ポストメディウム的状況とデジタル技術の氾濫
芸術表現はそれぞれの形態に固有のメディウム(メディウム・スペシフィシティ)に純化すべきである、と主張したのはモダニズムの美術批評家C・グリーンバーグだ。映画、絵画、音楽、小説、漫画など芸術表現というのは多種多様であるが、それぞれの芸術表現が固有の価値を得るにはメディウム・スペシフィシティを研ぎ澄ますべきというわけだ。では具体にどういったものがメディウム・スペシフィシティとして取り出せるのだろうか。
まずは絵画に目を向けてみよう。美術館に展示されている絵画、例えばルーブル美術館の長い回廊、を思い浮かべてみるとよい。壁に掛けられた絵画はどれも筆や鉛筆でキャンバスに何かが描かれている。当然「何か」の部分は作品ごとに違うので、絵画の固有性は描かれた対象によって決定されるものではないと言える。では絵画を描くために用いた筆や鉛筆が絵画の固有性にとって重要なのだろうか。ちょっと考えれば分かるように、作品の固有性において道具はさほど重要ではない。絵は手でも木の枝でも描くことができてしまうからだ。こういった具合に絵画の核心を見極めるべく無駄なものを削ぎ落としていくと、ついに絵画のメディウム・スペシフィシティを発見することができる。それは「平面」だ。したがってC・グリーンバーグによれば、平面性を追求する絵画こそが価値あるものということになる。このメディウム・スペシフィシティの議論は別に絵画に限った話ではない。ほかの芸術表現を取り上げてみると、建築は空間性、彫刻は立体性ということになる。
では映画のメディウム・スペシフィシティとは何なのか。絵画に施したのと同様の分析を映画に試みてみると、映画の固有性も絵画と同じ平面性となるだろう。が、ここではその手前の物質的な次元に留まって考えてみよう。すると映画に特徴的なのはカメラ、そしてスクリーンということがわかる。撮影するカメラの視点(カメラアイ)と映像を投影するスクリーンは絶対に存在するはずだからだ。
ところがデジタルメディアの発達でそのような前提が成り立たなくなりつつある。CGで作られる映像はカメラの自明性を脅し、スクリーンに投影されるはずの映像はスマホの画面上で伸縮自在になってしまった。このようなデジタルメディアの氾濫的状況は、近年の芸術表現にメディウム固有性の喪失をみて「ポストメディウム的状況」と主張したグリーンバーグの弟子でモストモダニズムの美術批評家ロザリンド・E・クラウスの議論の延長線上にある。
多視点的転回
デジタル技術は映画という芸術表現に大きな変化をもたらした。それはシネマ以後のシネマ、まさにポストシネマと呼びうるような映像を生み出している。映画はいまシネマからポストシネマへの移行期にあるといってよい。
ポストシネマへの移行を象徴するのがカメラの視点(カメラアイ)の変化である。カメラアイの変化は2000年代後半から始まっていて、『アベンジャーズ』で見られるような縦横無尽なカメラワークがそれにあたる。このことは「ポストカメラ」と呼ばれ、2010年代以降になるとこの動きはデジタル技術の発達に伴い加速する。バーチャルカメラシステムといった新世代の技術の活用、ドローンやGoPro(超軽量小型カメラ)などの機材の発展に伴い、カメラの物理的制約は減り飛躍的に自由に動けるようになったのである。
デジタル技術の革新によって生じたカメラの視点の変容を映画批評家の渡邉大輔は「多視点的転回」と呼ぶ。
「多視点的転回」を代表する作品に『リヴァイアサン』(2012年)と『ゼロ・グラビティ』(2013年)が挙げられる。『リヴァイアサン』ではGoProが11台も使用されており、カメラの視点は人間に固定された旧来のものとは違って、鳥、蟹、魚といった生物の複数の視点を描き出す。また『ゼロ・グラビティ』では宇宙空間を飛び回る宇宙飛行士の姿が映し出されていて、そこではカメラの視点は固定的されず滑らかに動く。どちらの作品もデジタル技術の発展によって、固定的な視点という旧来の前提を覆すような新たな映像表現を生み出している。
ともあれ、『リヴァイアサン』にせよ『ゼロ・グラビティ』にせよ、カメラの力で観客のまなざしが映画内の時空のいたるところに偏在することになる。このような独特な表象はあるゆる安定的な文法や境界を撹乱してゆき、まさにかつてわたしが映画圏と呼んで定式化した、「世界そのものが映画になりうる」というリアリティの様式をさらに過激に実現しているといってよい。
『新映画論: ポストシネマ』49頁(kindle)
渡邊はこれらの変化を重力の問題だと捉え直す。カメラの物理的制約とは重力から自由になれないことであった。それはすなわちカメラというメディウムの固有性が重力に囚われているということを意味する。対してデジタルのカメラは重力に囚われてはいない。ポストシネマのカメラの特徴は無重力なのである。カメラの物理的制約が限りなくゼロに近づくとき、カメラの視点にかかる重力もゼロに近づく。旧来の固定されたカメラは対象を一つの視点でしか捉えることができなかったが、いまやカメラの視点は至る所に偏在する。つまりカメラはゼロ・グラビティの空間を漂っているのだ。
『ゼロ・グラビティ』のスリリングな映像は「多視点的転回」によるところが大きい。「多視点的転回」という概念を意識すると、これからの時代を席巻するであろうポストシネマの映像を存分に楽しめるに違いない。
参考文献
渡邉大輔『新映画論: ポストシネマ』ゲンロン叢書、2022年