魔法鏡(マジックミラー)とは
RADWIMPSが2009年に発表したアルバム「アルトコロニーの定理」に収録された「魔法鏡」は「マジックミラー」と読みます。マジックミラーとは、片側からはただの鏡にしかみえないのに、反対側からは鏡の向こう側が見えるというものです。
この記事では「魔法鏡」の解釈を試みます。
鏡の向こう? 誰かいたらいいですね。
傷つけ合うことはできても
その手は握れはしなくて
声はちゃんと聴こえているのに
僕の鼓膜は揺れないのもう少しだけ このまぶたに 載ってて
いつだってそう 見えるのは一人だけ
RADの曲のでは、まず「僕」と鏡の向こうにいて、マジックミラー越しにこちらを見ていてくれる「鏡には映らないけど」ずっとそばにいてくれる存在がいます。鏡の向こうにいるから「僕の鼓膜は揺れない」けど、一人じゃないよ、ということですね。「もう少しだけ このまぶたに 載ってて」というように、その存在はいつでも「一番そばにある」自分自身です。
この鏡の向こうにいる自分は、多くの人にとって馴染みがあるんじゃないでしょうか? なにかミスしたときに、自分のことなのに「なにしてんだ、わたしは」と思う。感情が暴走して「こんなことしたくないのに」と思ってみたりする。そういう時に自分に勝手につっこみを入れる存在のことを、「口だけは達者なあいつ」(歌詞の後半に登場する表現)は体現しているように思います。
でも、「あいつ」の存在をずっと肌で感じるのは結構難しい。あいつは出てきて欲しいときに都合よく出てくることはなく、困ったときに「なにしてんだ!」と口を出してくるいわば外部化された自分です。
それに、すごく孤独になった時に「大丈夫だよ、お前にはお前がついてるだろ!」と言われたら、往復ビンタしたくなりますよね。なので、僕もあいつの存在を、楽観的に信じることができません。鏡をみても当然「いつだってそう 見えるのは一人だけ」なのです。
「君」と「あいつ」と時々「僕」
ただ2番に入って様相が変わります。さっきまで、鏡のこちら側と向こう側の自分の話だった話が、「君」と「あいつ」の話に代わります。
たった一つだけ嫌わたとしても たった一つだけ裏切られたとしても
君を離さない命があるんだよ
その手の一番そばに
ここで第三者が君に対して、君から離れない命の存在を説いています。君から離れない命は「あいつ」として説明されます。
君はきっと苦手だから できることは僕も手伝うから
口だけは達者なあいつは きっとね 恥ずかしがりやだから
鏡には映らないけど 向こう側で 君を見てるから
重要なのは、ここに「僕」という人物がいることです。僕は君に対してあいつの存在を信じるよう促します。この「僕」は誰でしょうか?
「僕」はきちんと歌詞の前半から登場していました。歌詞の一番で「声はちゃんと聞こえているのに 僕の鼓膜は揺れないの」と悲しく歌い上げていました。つまり、主人公であり、苦しみの渦中にあった「僕」が、2番では少し離れた位置にいるのです。そして、ここで僕は、君に対して、あいつの存在を信じさせようとしています。さっきまで自分が信じられなかったものを、誰かに信じろという、不思議ですね。
でも、不思議ではありません。僕はあいつを信じたいと思っていました。でも、それはすごく難しい。だからこそ、この歌があるのです。僕は君という、1番の自分と同じで一人きりの自分を生み出します。そして、あいつは鏡の向こうにいるけど、必ずいるのだと君を鼓舞します。これは、「僕」という存在が「君」に一人じゃないと伝えることを通して、「あいつ」というずっと一緒にいてくれる存在を信じるための歌なのです。
「僕」はどこに?
ただ、もっと重要なことがあります。「君」を鼓舞する「僕」はどこにいるのでしょうか?
もちろん、マジックミラーの向こう側ではありません。僕自身が、あいつは「きっと 恥ずかしがりやだから」という時に「きっと」という曖昧な表現を使うことからも、僕とあいつは離れたところにいることがわかります。では、僕はどこにいるのか。そうです、僕は君の横で、言い換えれば僕は「『あいつ』を信じられない僕」の横に立っているのです。
僕はもう鏡のこちら側でも一人ではありません。だからこそ最後の歌詞は訪れます。
「もしかして あの時の 泣き出しそうな顔をした あの僕は」
鏡の向こうのあいつのことを、僕はここで初めて受け入れることができるのです。鏡の向こうの「あいつ」の存在はまさに、魔法の鏡という信じきれない幻想の向こう側にありました。でも、それを信じるための歌を歌うことで、僕は鏡のこちら側でも一人きりではなくなることができるのです。
お前にはお前がついてるだろ!(おわりに)
ここで歌詞の少し前の歌詞にかえりたいと思います。
たった一つだけ殺めたとしても
たった一つだけ傷つけたとしても
裁かれない命がここにあるよ
この手の一番そばに
僕は僕を傷つけることもできます。でも、そうわかりながら僕は自分の中の僕を怒ったり貶したりして、自己嫌悪に陥るのではなく、彼を救おうと懸命に努力します。そうすることで、僕は「あなた」とは違う、鏡のこちら側に一緒にいてくれる僕自身を手に入れるのです。
RADWIMPS「魔法鏡」は、自分自身を救おうという努力、そのこと自体の価値を示しているように思います。