日向夏『薬屋のひとりごと』考察|考えられるのは毒殺か!

日向夏『薬屋のひとりごと』考察|考えられるのは毒殺か!

概要

 『薬屋のひとりごと』、2011年から連載されている日向夏のライトノベル。 小説投稿サイト「小説家になろう」で連載されていた。2017年から漫画化、2023年にアニメ化。

 後宮に勤める官女の猫猫が、美形の宦官の壬氏とともに後宮で起こる事件を解決していく物語。

 ほかの漫画・アニメは『君たちはどう生きるか』『3月のライオン』『ONE PIECE』『しあわせアフロ田中』『失恋ショコラティエ』『ナルト』『僕等がいた』『僕のヒーローアカデミア』などがある。

登場人物

猫猫(悠木碧)・・・マオマオ。花街で養父と薬師をしていたが、人攫いに捕まり後宮の下級女官として売り飛ばされる。化粧でそばかすをつけている。

壬氏(櫻井孝宏)・・・ジンシ。後宮の管理を担当する宦官。美しい容貌を持ち、下女から慕われている。猫猫に好意を抱いている。正体は皇帝の弟の華瑞月。

高順(津田健次郎)・・・ガオシュン。壬氏付の武官。忠義に厚く優秀で、壬氏からも信頼されている。

皇帝(遠藤大智)・・・僥陽(ギョウヨウ)。壬氏の兄で、情に厚い人物。

名言

猫猫:毒が怖いなら銀にするのは基本でしょうに

あらすじ・ネタバレ・内容

 舞台は架空の中華風帝国の茘。少女である猫猫は、花街で医師である養父と生活していた。薬師として養父を手伝う猫猫は、森に薬草を取りに出かけたところ人攫いにあってしまう。

 後宮に下女として売り飛ばされると、現状を受け入れ目立たぬように働き始める。ある時、皇子の衰弱事件が発生し、ひょんなことから事件を解決へと導いてしまう。

 そのことで美形の宦官・壬氏に興味を持たれてしまった猫猫は、壬氏のもとで数々の事件に取り組むことになる。

 そのうち国家転覆を狙う人々の事件に巻き込まれていく二人。猫猫と壬氏は次第に互いを認め始め、恋愛関係へと発展していく。

解説

女性版異世界転生もの

 現代の漫画およびアニメを特徴づけるジャンルといえば、異世界転生ものといって差し支えないだろう。『無職転生』や『転生したらスライムだった件』といったなろう系小説の一群は、いまやサブカルジャンルの中心に位置している。仕事に人間関係に社会に疲弊した現代人は、フィクションという非現実を享受するだけでは飽き足らず、社会から見放された主人公を異世界に転生させた。現代人はアニメの主人公が自らの代わりに異世界に転生し無双することでそれを擬似的に享受し、明日からまた会社や学校へと足を向けるのである。

 異世界へ転生するという物語構造は、ここへはないどこかに行きたいのにその勇気のない現代人の、儚い願いの直接的な表現であるといえるが、ここでは転生先の異世界で起こる物語について考えていきたい。

 『無職転生』にしろ『転スラ』にしろ、これらの物語の想定視聴者は主に男性である。引きこもり、デブ、会社の社畜。彼らは自らを社会的弱者と見做し、社会的強者となる物語を志向する。しかしながら、この社会に辟易とし逃げたいの感じているのは、なにも男性ばかりではない。この社会から離れたいと願い、異世界での生活を夢見る女性も当然ながら確かにいるのだ。

 男性は異世界で無双する自分を夢見るが、女性は異世界で一体どのような自分の姿を望むのだろうか。その答えが、『無職転生』や『転スラ』と同じくなろう系小説に連載されていた『薬屋のひとりごと』に描かれている。

考察

秘密論者とフェミニズムがとらなかったもう一つの道

 舞台はかなり古い中華風帝国の茘。ある日、薬屋の養父に育てられた主人公の猫猫は、人攫いにあって後宮に下女として売られてしまう。不遇な境遇にもかかわらず後宮で粛々と雑務をこなす猫猫であったが、下女から圧倒的な人気を誇る美男子の壬氏に気に入られ、後宮で起こる数々の難事件に取り組んでいく。

 時代設定もトリックも雑、イケメンに好かれ同性からも慕われるという展開も陳腐であり、質は決して高いとはいえない。にもかかわらず、本作が多くの女性視聴者を獲得してきたのは、何故なのだろうか。

 猫猫は不遇な境遇を恨むことなく、むしろ積極的に受け入れる。両親がいないことも、人攫いにあったことも、猫猫にとっては仕方がないこととしてあり、決してネガティブな意味を持たない。これはジェンダーの非対称性を社会的問題としてみるフェミニズムと真逆の感性であると言える。まずは自らの境遇を受け入れること、これが本作の一貫した方針である。

 どのような状況にも文句もなく対応する猫猫は、しかしながら、すべてに対し斜に構えるニヒリストではない。ときどき漏れ出す叫びは、彼女のうちに熱い想いがあることを示している。むしろそのような想いを内に隠すこと、誰にも悟られないことが重要なのだ。

 彼女はそこに確かな喜びを見出している。ぐへへぐへへと毒を嗜むのも、そばかすを描くといった偽装も、身体が傷づくことへの関心のなさも、秘密を保持していることの喜びと繋がっている。彼女は事件の真相や後宮の秘密に、誰よりも早く気づく。だがそれを暴こうという欲望は微塵もない。彼女は自分や社会の秘密を持ち、それを誰にも言わないという態度に萌えているのである。

 唐突ではあるが、この態度は陰謀論者のそれと対極にある。あまり指摘されない陰謀論者の特徴の一つは、よく喋ることである。つまり、陰謀論者は発見した世界の秘密を、誰かに伝えることで快楽を得ているのだ。陰謀論的態度が他者を目覚めさせることを目的とすれば、秘密論的態度(猫猫的態度)は秘密を持つことを目的とする。後者は秘密を利用して成り上がろうとも、他者に秘密を共有しようとも思わない。ただ「私だけが知っている」という事実に興奮するのだ。そして「私だけ」という孤立感が、実は多くの共感を呼び、視聴者の心を掴んでいる。「毒が怖いなら銀にするのは基本でしょうに」という基本ならざる知識をひけらかす内心描写に、自分の姿をみてしまう視聴者は「やめちょくれー」と声をあげる。男性的厨二病がイケメンのキリトであるならば、女性的厨二病は美しさをソバカスで隠す猫猫である。

 このような倒錯した快楽は、不条理な社会に対してフェミニズムがとらなかったもうひとつの対処法でもある。声を与えられなかったものたちが取る態度は、声を得ること(フェミニズム)か、声がなかったがために伝えることのできなかった事柄(秘密)を専有することである。「あなたは知らないでしょうけど」というとき、独占する倒錯した喜びが知らないことに対する苛立ちを上回ることがある。そのとき、猫猫のような秘密論者が誕生し、それぞれは孤立しながらも、隠れた喜びを共有するのだ。

アニメカテゴリの最新記事