『しあわせアフロ田中』のりつけ雅春 ー そして田中は悟ってゆく

『しあわせアフロ田中』のりつけ雅春 ー そして田中は悟ってゆく

『アフロ田中』シリーズについて(解説) 

 『アフロ田中』はシリーズものだ。最初のアフロ田中は高校生だが、今や30過ぎの結婚子持ちサラリーマンである(高校→中退→上京→さすらい→しあわせ→結婚→子育て)。

 アフロ田中の話は偏っている。大半が性欲の話である。他にも面白そうになる主題は色々あるはずだ。しかしアフロ田中は性欲の話が多い。田中だけではない、他の登場人物も不思議なぐらい性に熱狂する。だからこそ、ご覧の通り、現時点(2022年2月20日)でのMangaONEの『アフロ田中』シリーズのキャッチコピーは「性欲&哲学な、青春コメディ!」なのである。

 とはいってみたものの、田中は性に惑わされるだけのただの変態という位置づけではない。問題は煩悩なのだ。すでに足立氏がそのことを示している。田中の特徴的なところはあらゆる欲求を煩悩のように捉えるところだ。性欲だけでない、名誉欲や金銭欲、自由に対する欲求もそうだ。こうした欲求を煩悩としてしまうぐらいに悟った者としてアフロ田中は存在している。これは歴史的にみれば、無駄な欲を捨てた世代、つまり悟り世代の考えなのだ。しかし今日悟り世代は終焉を迎え、そのような考え方はただ社会から蹴落とされるだけの人となっている。そんな世の中で否応なし強要されるのが「個性」だ。個性を売るのが現代社会の処世術だ。しかしアフロ(本当は天然パーマ)という強烈な個性を身につけているアフロ田中はそのことに目を向けない。むしろあのどでかい頭を邪魔なものだとさえ感じている。というわけで、彼は現代社会に参入できぬまま、自らの煩悩に煩わされつつ、悟り世代代表として「フツー」の生活を送っているわけである。

『しあわせアフロ田中』でのアフロ田中の転回

 なるほど彼は悟り世代だ。しかし、ここでいう悟り世代とは、悟ってしまった者を意味していない。むしろ欲求を煩悩と感じる世代を悟り世代と呼んでいるだけである。というわけで、彼は(というか登場人物ほぼ全てが)悟りと欲望の間にいる。それによる失敗は枚挙に遑がない。『しあわせ』ではエリに「彼女はいない」と嘘をついたことによってナナコに平手打ちをくらう。田中だけではない。西田は下心のある?メールを彼女に送りザオラルを唱えるはめになるし、童貞はおっパブから出てきたところで彼女と遭遇し翌日から廃人と化す。

 これは性という煩悩のせいだが、もっともっと壮大な志による失敗というか、人生の転換もある。高校中退、そしてさすらい、さらに古民家づくり、これはそれをすれば何かが起こりそうという欲のなせる技だ。

 そしてその欲が古民家づくりに失敗したことによってまた再燃する。再燃した欲はいわば「世界を救う」計画だった。無職のたまり場となった倉庫で田中は大沢と村田に言うわけだ、

「オレの・・・ゴール・・・どうせ人生を使うなら・・・オレ・・・・・・この、世界を・・・

この世界を、平和にしたいよ・・・」

!?!?!?

そして彼は母親に言う。

「アフリカに、行こうと思うんだ・・・  世界を・・・平和にしたいんだ・・・」

しかしまず親に家族を不幸にしないでほしいと全否定される。

だが、まだナナコに会うときはその希望は残っていた。

まあ、世界平和という、でっかい夢は持っているけどね!!!オレは!!!フフフ・・・」

しかし、

「30歳、無職、実家暮らしは、ヒロシ・・・、

笑い話にもならないよ、ヒロシ・・・・・・

(『しあわせ』第4集第7話)

 そしてこの言葉は矢となって田中の顔面に突き刺さる。その後釣り堀経営をやろうと試みるも挫折、田中は旭工務店に舞い戻る。自分には田中にこの瞬間に何らかの転回があったように思える。田中はこの瞬間肉体的にも精神的にも死んだのだ・・・・・。

そして田中は悟っていく

 これは個人的な感想ではないと思うのだ。というのも、アフロ田中の登場回数は日に日に減ってくるからだ。

順を追ってみよう。まず田中が旭工務店に戻ってきて、はかったように、童貞二人が登場する。こいつらは恋愛とはなんなのかをほとんど知らない。そして田中が今まで辿ってきた性欲に関する苦悩を、まるで中島みゆきよろしく時代がまわるのは必然であるかのように繰り返すのだ。それは田中が辿ってきた道だ!!というわけで、また田中の人生を読者はまた追認させられるわけだが、今度は田中が指南役となって登場する。いろいろと童貞たちに極意を教えてあげるわけだ。全てが計算されていたかのようだ

 そして結婚するとアフロはナナコと同居することになり、会社の寮には戻ってこない。そして、結婚生活にかんする様々な煩悩を読者は目の当たりにして楽しむことになる・・・とはならないだ!!!!!

 なんとアフロ田中はそこまで出てこない(すまないが子育てを読んでないので、結婚までの話だ!!!)。それでは漫画の中心はどこかというと職場なのだ!!!そこに住んでいるのは西田と童貞二人と、あろうことか大沢だ!!!

 何かがおかしくないだろうか。なぜこの人たちは誰も結婚してないのだろうか。なぜ、あらゆる苦難を背負った大沢がなぜ職場に戻ってきて、いろいろと繰り広げることになっているのだろうか(youtuberにさえなろうとするらしい)。なぜ、田中は主人公であるにもかかわらず、あの煩悩の繰り返しの世界で徐々に出番を減らしていくのだろうか。

 簡単なことなのだ!!!!彼は煩悩のサイクルから脱したのだ。彼は減退したのだ、あらゆる意味で。彼はもう自由を追い求め、世界平和を追究し、性欲に苛まれる人ではない。

 なぜならナナコがおり、エマがいるからだ。彼はそこに帰っていく。キャバクラの誘いには断るわけだ。これは彼なりの処世術を身につけたということなのだろうか。彼は童貞のようにキャバクラに行き、恋人に振られるという落とし穴にハマることはない。この世界の2割の女性は浮気・不倫を経験しているというのに!(岡本)。

それでも煩悩は回っている

 それはそれでいい。田中は輪廻から脱した、としてだ。なぜ彼は登場回数を減らしているのか。

 これも簡単なことだ。読者が望むのは煩悩の巡る世界だからだ。徐々に主人公は変わっていく。というよりも主人公はもともといない。この漫画の中心はアフロ田中ではなく煩悩なのだ。煩悩の住処に漫画家はペンを走らせる。アフロがいて煩悩があるのではない。まず煩悩があって、もろもろの人間がいるのである。主人公は煩悩である。その意味で今の主人公は童貞二人と大沢と西田だ。第一なぜ大沢がここにいるのか?と言う話である。おかしいはずである。単なるサブキャラクターだったであろう大沢が今や表舞台で堂々としているのは。

 なぜか。大沢は結婚してないからだ。そして未だに煩悩を宿しているからだ。

 煩悩。それは我々の意のままにならない根源悪。それなら誰かは不倫をしてるはずだ!!しかし鈴木さんもアフロ田中もそこに振り回されることはない。なぜか。簡単なことだ。アフロは悟りたかったのであり、現在悟りの境地に達しており、そこから逃れる理由がないからである。結婚、子供、・・・これは悟りだ。この世界の悟りだ。さて子育てアフロの次は何が待っているのだろうか???

(『子育て』を読んだらまた意見が変わるかもしれません)

付録:アフロ田中の世界平和について

 実は『結婚』の第三集第二話が世界平和と題されたお話だ。未だにそんな野望を秘めていたのか、アフロ田中はまだ健在なのだと思われるかもしれない。しかし残念ながら往年の田中をここで見ることはできない。

 この話はオナラに関する話だ。オナラは人を辱める。こんなに発達した人類であってさえもオナラで相当の苦痛を受ける不幸を止めることはできていない。そこで田中はオナラの音を発生させない方法を編み出す。そしてその方法をネットで拡散させ世界平和を達成する。

 ここで世界平和という野望がたかだがオナラというちっぽけな話に集約されていると言いたいのではない。実はこの話で世界平和を実現させようとしたのはナナコなのだ。

 しかもナナコは自分で漫画を描き、自分でTwitterで拡散させている。世界平和を実現させたのはアフロ田中ではなくナナコである。

 なぜヒロシは世界を平和にしようとしなかったのだろうか。話の筋として?最もあり得る話だ。かといってそれだけではないようにも思える。世界平和の夢は彼の頭が射抜かれた時に吹き飛んで、悟りの中へ、安寧と秩序だった家庭の中へ、田中ヒロシを誘い込んだのだ。

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参考文献

足立伊織「理想、妄想、煩悩ーー『めぞん一刻』『東京大学物語』『アフロ田中』に見る性とモラトリアム」(川崎ぶら/輔老心『スピリッツ本』小学館、2020年)167−181頁。

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