概要
『3月のライオン』は、2007年から連載している日本の将棋青春漫画。作者は羽海野チカ。監修は将棋棋士の先崎学。2016年にアニメ化、2017年に実写映画化された。2011年にマンガ大賞を受賞したほか。数々の賞を受賞している。
両親を亡くし心に深い傷を負った桐山零が、心優しい三姉妹と交流しながら成長していく物語。
他の漫画は『ONE PIECE』『チ。―地球の運動について―』『しあわせアフロ田中』『失恋ショコラティエ』『ナルト』『僕等がいた』『僕のヒーローアカデミア』『ホムンクルス』などがある。
登場人物
桐山零:中学生棋士。将棋の才能は天才的だが、両親を失う悲惨な過去を持ちナイーブな性格をしている。
川本あかり:川本家の長女。しっかりもの。零を気にかけてくれる。
川本ひなた:川本家の次女。作中で中学生から高校生になる。華奢で元気。桐山と付き合うことになる。
川本モモ:川本家の三女。幼稚園児。二海堂に懐いている。
島田開:A級棋士。勉強会に桐山を誘ってくれる。
二海堂晴信:幼少期からの桐山の知り合いでありライバル。体が弱い。
宗谷冬司:タイトルホルダーであり棋界のトップ棋士。
あらすじ
桐山零は交通事故で家族を失い心に傷を抱える。父の友人棋士の幸田に引き取られ、中学生でプロ棋士になる。幸田家の子供達と折り合いがつかず、一人暮らしを始める。学校でも孤独で将棋棋士としても成績が振るわない日々が続いていた。
ある時、ひょんなことから川本あかりと知り合い、その後川本家に出入りするようになる。温かい性格の3姉妹とかかわること、桐山は徐々に癒されていき周囲の人々との交流も変化していく。
棋士、学校、川本家、それぞれの生活を行き来しながら成長してく温かい物語。
解説
将棋は老若男女が楽しめる
将棋を初めてに指したのは小学生の頃だった。祖父母の家で兄二人が指しているところにまぜてもらったのが最初の記憶である。次に覚えているのは中学生の頃だ。これもまた祖父母の家で、次男に四間飛車という振り飛車の戦法を教えてもらった。四間飛車は初心者向けの戦法で、それを習得したのを境に急激に強くなることができた。そのこともあって高校では将棋部で部長をやったりもした。愉快な経験である。あれからもう10年以上経つ。棋力は3段で現在でも毎日三局は指しているし、多分これからも指し続けていくことだろう。将棋youtuberのクロノさんがいうとおり、将棋は老若男女誰でもいつでも楽しめる頭脳ゲームなのだ。もし趣味を探している人がいたら、是非とも将棋を試してみるといい。
将棋や囲碁の訓練法に棋譜並べがある。棋譜というのは記号を使った戦いの記録のことで、古いものだと江戸時代にまで遡ることができる。棋譜を追いながら盤上で戦いを再現するのが棋譜並べで、それ自体は数字と漢字の羅列をなぞるだけの非常に無機質なものなのだが、時間をかけてゆっくりと再現してみると、勝負をしていた過去の偉人の思考が読み取れたりすることがある。棋譜並べには、時を超えて、過去の勝負人たちと対話できる可能性が内包されているのだ。
棋譜並べに時間を超える要素があるためだろうか、囲碁を題材にした漫画『ヒカルの碁』は「継承」という時間の問題を扱っていた。「遠い過去と遠い未来をつなげるためにそのためにオレはいるんだ」という名セリフに多くの人が胸を熱くしたはずだ。将棋を題材にした漫画も無数にあるのだが、その中でも羽海野チカの『3月のライオン』はテーマ設定がかなり変わっている。一般的な将棋漫画(ハチワンダイバー、月下の棋士など)は、変人性や異質性をテーマに個がたつ単独者としての将棋棋士像を打ち出すのだが、『3月のライオン』は過去に傷を負った少年の癒しと他者との触れ合いに焦点を当てる。そこには将棋棋士の人生には将棋しかない、なんてことはあり得ないという極々常識的な観点が持ち込まれている。そのおかげで『3月のライオン』は、将棋漫画でありながら、社会派漫画、恋愛漫画、青春漫画でもあって、その分物語に深みが生まれているのだ。
考察
傷・癒しー迷惑をかける/かけられること
主人公の桐山零は子供の時に親を亡くし心に傷を抱える少年である。将棋棋士の家にひきとられた桐山は、生き残るために将棋をし、義理の兄弟に疎まれながら強くなり中学生でデビューをする。天才でありながらそれゆえに傷を多く抱えた桐山は、他人に迷惑をかけないために家を出て一人暮らしを始める。
そこで出会うのが川本家の三姉妹である。自分の存在が他人に負担を強いる、それを嫌って桐山が向かった先は誰もいない一人の部屋だった。しかしその部屋に川本家の三姉妹はズカズカと入り込んでくる。風邪をひいたら突撃してくるし、忙しかろうと晩ご飯に誘うのに躊躇いはない。お節介ともとれる強引さはしかし桐山にとっては心地よい暖かさでもある。
思えば桐山と川本家の三姉妹が会って喋るのは大抵家の中だ。プライベートな空間に入ることは暴力的な行為でもある。しかしその暴力性は暖かさに転換しうる。そもそも人と関わるということは少ならからず相手に負担を強いること/強いられることではなかったか。人に負担をかけることから逃げた先で人からの暖かさが得られるはずがない。
迷惑をかけること、そして迷惑をかけられることでより深く人に触れる、それは迷惑をかけることを逃げた先にはない、痛くて暖かい癒しの時間なのだ。
解説・感想
救済ー時間の関節が外れるとき
ロボットと呼ばれ虐められた中学生活で、桐山は感情を殺すことでしか自分を守れなかった。川本家の次女ひなたが学校で虐められたとき、桐山は虐めてくる相手を倒すことも、自分のように感情を殺すことも、逃げるように助言することさえできず、ただただ見守ることしかできない。そんな彼にひなたはこう宣言する。
後悔なんてしないっっ
しちゃダメだっ。
だって、私のした事は絶対、まちがってなんかない!
いじめられている友達を庇ったことでいじめの矛先はひなたに向いた。ひなたは正義のヒーローでも強靭な精神を持つ超人でもない。怖かったのだ。友達を助けている時からいじめの矛先が自分に向かうかもしれないことも、明日から一人になってしまったことも。
それでもひなたは庇ったことを後悔しない。まちがってなんかない、と言い聞かせるように発せられる言葉は、自分を鼓舞するだけではない、これから同じことが起ころうと虐められようとそれでもいじめられている人がいたら助ける、という宣言でもある。そしてそれは未来で行われる以上、過去でも行われる。手を差し伸べられる未来の可能性は、手を差し伸べられる過去の可能性を含むのだ。だから桐山はひなたに手を差し伸べながら心の中でこう呟く。
不思議だ ひとは
こんなにも時が過ぎた後で
全く 違う方向から 嵐のように
救われることがある
相手を打ち負かすのでも、後悔させるのでも、同じ目に合わせるのでもない。救済はそのようなところには存在しえない。なぜなら相手に罰を与えることは過去の自分を救わないからだ。いじめられていたその瞬間の救済は、「全く違う方向から嵐のように」来るものなのだ。つまり過去を救済することは、時間の関節が外れた、その先にしかありえない。
桐山はいう。「君は僕の恩人だ」。現在の自分でも未来の自分でもない、他ならぬ過去の自分に手を差し伸べられたからこそ、ひなたは桐山の恩人になったのだ。
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