『ジョー・ブラックをよろしく』去りがたい、それが人生だ|あらすじ解説|内容考察|批評感想

『ジョー・ブラックをよろしく』去りがたい、それが人生だ|あらすじ解説|内容考察|批評感想

概要

 『ジョー・ブラックをよろしく』は、1998年のアメリカ映画。 原題は「Meet Joe Black」。監督はマーティン・ブレスト。主演はブラッド・ピット。上映時間は3時間におよぶ。

 ブラッド・ピットは「オーシャンズ」シリーズ、『オーシャンズ11』、『オーシャンズ12』、『オーシャンズ13』。で名演技を披露した。

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登場人物

ジョー・ブラック(ブラッド・ピット) :明るくよく喋る青年(本名不明)。喫茶店でスーザンと出会い恋に落ちるも、交通事故に遭い、肉体を死神に乗っ取られる。「ジョー・ブラック」はビルによって命名される。死神は孤独な存在で、興味本位で人間界をのぞきにきた。

ウィリアム・パリッシュ(アンソニー・ホプキンス):メディア会社「パリッシュ・コミュニケーション」の社長。通称ビル。 65歳を迎える直前。情に厚く、多くの人に慕われている。死ぬことの代わりに、ジョー・ブラック(死神)によって人間界の案内人にされる。

スーザン(クレア・フォーラニ) :ビルの次女。医師。ジョー・ブラックを好きになる。両親のような情熱的な恋愛をしたことがなく、恋人のドリューとの結婚にたいして及び腰。ビルのお気に入り。

アリソン(マーシャ・ゲイ・ハーデン) :ビルの長女。スーザンと比べるとビルから愛されていない。ビルの65歳の誕生日の準備に尽力する。

クインス(ジェフリー・タンバー): アリソンの夫。「パリッシュ・コミュニケーション」の役員。人がよく愛妻家。結果的にビルを騙してしまったことを後悔し謝罪する。

ドリュー(ジェイク・ウェバー):スーザンの恋人。ビルの右腕。会社を乗っ取り私腹を肥やそうとする。

あらすじ

 大企業「パリッシュ・コミュニケーション」の社長であるビルは、65歳の誕生日ひかえて、「イエス」と呼びかけてくる幻聴に悩まされていた。ビルの長女アリソンは、ビルの65歳の誕生日パーティーを大々的におこうため準備に明け暮れていた。一方、ビルの次女のスーザンはドリューとの恋に冷めていて、ビルは彼女に稲妻のような恋があることを伝える。

 スーザンは職場近くのコーヒーショップに立ち寄ると、田舎らから引っ越してきたばかりの青年に出会う。二人はすぐに打ち解けあうも、次に会う約束をせずに別れてしまい、青年はその先の交差点で車に跳ね飛ばされる。

 その夜、家族で食卓を囲むビルの前に、青年の肉体に憑依した死神が現れる。幻聴の主は死神であり、ビルは死ぬと告げる。ビルの死期を先延ばす条件として、死神は人間界の案内をビルに頼む。その契約を了承したビルは、皆に死神をジョー・ブラックと紹介する。

 朝方とは一変した様子のジョーに、スーザンは驚くも次第に相手を慕うようになる。しかしスーザンの恋人であるドリューは、ジョーに不信感を抱く。何事も初めてのジョーは、ピーナッツバターやクッキーを気に入り、会社の役員会議に出席する。ジョーはスーザンの病院に行くと死期が近い老婦人が現れ、ジョーの正体を見抜くとあっちに連れて行ってくれと頼むもジョーは断る。

 ドリューは経営方針でビルと衝突、さらにジョーのこともあってスーザンと別れる。ドリューはビル抜きの役員会議を開き、ビルを退任に追い込む。さらに他会社と合併後に本社を解体し多額の金を得ようとしていた。ジョーはビルにスーザンには関わらないでくれと怒り、ビルは悩む。病院で出会った老婦人に再会すると、一緒にあの世に行こうと言い、彼女は亡くなる。

 ビルの誕生日パーティが始まる。この後に死ぬことを知っているビルは心残りを精算していく。最後にドリューを呼びつけ、彼の悪行を役員にばらし、ドリューは社長の座を降りることになる。

 ジョーはスーザンも死の世界に連れて行こうとしていたが、ビルにその利己主義を叱られる。ジョーはスーザンと会話をして、彼女の気持ちを確かめることで、スーザンと別れて、ビルと二人で死の世界にいくことを決意する。ビルとスーザンは再び対面し、ビルは人生に悔いはないと告げる。

 橋の向こうの死の世界に向かうビルとジョーをスーザンは追っかける。すると、あちらから死神ではない喫茶店にいた青年が現れる。スーザンと青年は再会を喜びパーティーに戻って行った。

解説

時間を感じさせない圧倒的な演技力

 まず目を引かれるのは、アンソニー・ホプキンスとブラッド・ピット、さらにクレア・フォーラニの名演技である。

 クレア・フォーラニ演じるスーザンが最初に恋をするのは、ブラッド・ピット演じる青年であるが、恋を深めていくのは死神に対してである。このことだけとっても演じるのが難しいことがわかる。青年に恋をしながら死神であることに気づいていく過程と、そうと知りながら愛を感じるこの曖昧な感情は表現しがたいものであるが、クレア・フォーラニは見事にやってのける。

 そして何より名俳優アンソニー・ホプキンスの演技が光る。ビルの死を恐れず堂々とした態度の裏には、人生に対する後悔と達成感と哀愁が漂っている。自らの死を恐れず、しかしスーザンの将来に不安を覚える彼の姿に心が揺さぶラれた人も多いはずだ。

 セリフなしで見つめ合うシーンで、三人の演技力は頂点に達している。恋に落ちるとき、ジョーが死神であると気づくとき、ビルの死を悟るとき、そこにセリフはない。ただ見つめ合うだけで、二人は互いに何かを理解する。見つめ合った二人の目が全てを物語っているのだ。

 長さのわりに時間を感じさせないのは、この三人の名演技によるところが大きい。目で語り会うシーンは動きがなくとも全く飽きさせる事はない。

ビルと死神の奇妙な共依存関係

 アンソニー・ホプキンスとブラッド・ピットの関係は極めて微妙なものであると言っていい。

 一見すると権力をもっているのは死神のほうだ。ビルの生死をにぎる死神は、死をチラつかせる事でビルを脅すこともある。しかし死神のほうが、人間界の案内をビルに頼んでいることを忘れてはならない。死神にとってビルは必要不可欠な存在なのだ。死神はビルの生死をにぎり、ビルは死神の生きる場所を提供する。ビルと死神の関係は共依存的なのである。

 その証拠に言うことを聞かないビルに死神は死をチラつかせて脅すのだが、一方でスーザンと恋に落ちる死神をビルは叱責する。双方ともに一歩も譲らないのは、自分が相手にとって欠かすことのできない存在だと知っているからだ。

 死神(ジョー)とビルはこの共依存関係のなかで互いに成長する。死神とビルが互いに影響を受け合い成長するのは、ジョーとスーザンの恋の物語と並走する、重要な物語なのだ。

なんとなく気がついているという感覚

 霊的なのは死神のジョーだけではない。本作にとって「なんとなく気がついている」という霊的な感覚は、物語のなかで重要な位置を占めている。スーザンと青年は相思相愛である/になることを「なんとなく気がついている」し、スーザンが明かされなかったジョーの正体を途中から「なんとなく気がついている」。さらに、スーザンは最愛の父ビルの死ですら「なんとなく気がついている」のだ。

 その中でもビルの霊的感覚がその最たるものだろう。メディア会社「パリッシュ・コミュニケーション」の社長であるビルは、周囲の人には聞こえない「イエス」と呟く声に悩まされる。声の主は誰で、「イエス」とはどういう意味なのか。しかし、ビルはその真相を告げられる前から、じつはその正体に「なんとなく気がついている」。青年に憑依した死神のジョーが現れたとき、自分の死の運命をすんなりと受け入れたのもそのためだ。ジョーに促されてビルが答えたように死神が現れる前から、自分の死期が近いのか、と自問していたのだった。ビルは自らの死期が近いと察していたからこそ、ジョー(死神)の出現をすんなりと受け入れ、残りわずかな人生を謳歌することができたのである。

 ビルは死神の存在をつまり死を受け入れながらも、死後に残されるスーザンの将来が不安でならない。この微妙な感情の揺れをホプキンスは巧みに演じてみせる。ビルがジョーに怒るのは、死の運命を認めながらも他人の将来を想って不安が残っているからで、それがビルの人間的な魅力にもなっている。ドリューが私怨と私欲にまみれビルを騙そうとするとき、役員やクインスはビルを裏切るのだが、それはビルが人望を失ったからではなく、むしろビルの会社を守ろうとするが故なのだ。

 家族に愛され役員にも愛されるビルは、ジョー(死神)によってその素晴らしさを褒め称えられるほどである。ビルの65歳の誕生日には多くの人が集まった。それが彼の人望の厚さを示している。

考察・感想

青年とスーザンの出会う場面は名シーンだ!

 ところで、喫茶店で青年とビルが初めて出会うところは、その青年の初々しさを含めて名シーンとしいってよい。ビルがいうように、「恋は稲妻のようだ」を文字通り体験するスーザンは、青年の引き延ばしの文句に思わずひっかかる。相手とお喋りを続けたいときは、「コーヒーをもう一杯飲みませんか」と誘うものらしい。これは別に男女、恋愛問わず誰でも今日から使える術なので、このシーンは熟視すると良い。だが、もしかすると、ブラピだからこそできる技かもしれないので、相手の様子から成功するか見極めることが必要だ。

 もう一杯のコーヒーを飲むとき、青年とスーザンはほぼ同じ動作で、コーヒーにいれた砂糖とミルクをかき混ぜる。スピッツの名曲『ロビンソン』に「同じセリフ同じとき 思わず口にするような ありふれたこの魔法で 作り上げたよ」という歌詞がある。青年とスーザンにも「ありふれたこの魔法」が降り注いでいる。このとき二人はすでに愛し合っているのだ。

 しかし、彼女たちは次会う約束をお互いに言いだせない。別れたあとに、どちらも後ろを振り返るが、そのタイミングは見事にずれてしまう。青年が振り返ればスーザンが歩き出し、スーザンが振り返ると青年は歩いているのだ。そして、スーザンが横に曲がって見えなくなってしまったことで呆然としている青年に、突如車が衝突する。「恋は盲目」。青年は道路上にいることを忘れていたのだ。1度目の「ありふれた魔法」は彼女たちを相思相愛に導いた。しかしながら、2度目の「ありふれた魔法」は青年を死に追いやった。スピッツの先の歌詞で「作り上げた」のは「誰も触れない二人だけの国」であったが、今回の「二人だけの国」は、「スーザンと死神の国」だったのだ。

自分の人生は満ち足りて何の悔いもない

 愛と死は密接に結びついている。スーザンはジョーへの愛が深まるごとに死へと近づいていく。青年とは中身が違うのにスーザンがジョーに惹かれるのは、青年が死神だからだ。愛するということは、死んでもいいと思えることに近いのである。ビルもそうだ。ビルが姉妹への愛を向けようとするのは死が近づいているからであり、さらにいえば、ビルはジョーをそばに置くことで死にすら愛を向けている。彼女たちの愛することで死に近づき、死に近づくことで愛を知るのである。

 ビルは死を愛しているがゆえに、死神に愛を語ることができる。スーザンを連れて行こうとするジョーに、「生涯を懸けて相手への信頼と責任を全うする事。そして愛する相手を傷つけぬ事」「それに無限と永遠を掛ければ愛に近づく」と教える。そもそも本作は、子供のように何も知らない死神が「愛」を知り成長するという物語であった。相手を所有するのでも従わせるのでもなく「愛する相手を傷つけぬ事」、「それに無限と永遠を掛ければ愛に近づく」という愛の性質を知ったジョーは、スーザンを愛することで手放すことになるのだ。

 ビルとの最後に踊ったスーザンは、ビルが死ぬことを悟って涙する。そこから遠く離れて、ジョーはスーザンとの別れを悲しみ、打ちあがる美しい花火を前にして涙する。ポケモン映画の第一弾『ミュウツーの逆襲』によれば、痛み以外で涙するのは人間の証だった。死神はまるで子供のような純粋さで人間界に舞い降りた。死神は、ビルという人格者に教えられ、老婦人に諭され、スーザンと出会った。そして死神はスーザンに恋をし、失うことの悲しみを知ったのだ。死神がビルとともに死の国へと向かう後ろ姿は、まさに長年連れ添った相棒のようである。人間の心をもった死神と人格者のビルは、「去りがたい、それが人生だ」と言いながら、「自分の人生は満ち足りて何の悔いもない」と、振り返ることなく人間界を去るのである。

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