無駄こそがカッコいい – 『M:I-2』ジョン・ウー

無駄こそがカッコいい – 『M:I-2』ジョン・ウー

シリーズ評価最下位が『M:I-2』!!?

 『ミッション: インポッシブル』シリーズの一連の映画は、主演のイーサン(トム・クルーズ)率いるエキスパート集団が題名に負けずとも劣らないほどの不可能インポッシブルなミッションを、ときに視聴者までもを騙しながら見事に完遂するところに大きな魅力がある。アクション、心理戦は数多くあるアクション映画の中でも一級品で、爽快感とドキドキ感が視聴者を虜にする。そのおかげで1996年に公開された『ミッション:インポッシブル』を皮切りに連作が続々と発表され、なんとシリーズは6作品を数え、26年経った現在でも最新作が予定されている。もはやトム・クルーズが動けなくなるまで撮り続けるのではないか、と疑ってしまうほどだ。

 アクション映画でかつシリーズ化されている『ボーン』とは異なり、『ミッション: インポッシブル』シリーズには全体を貫く謎というものが存在しない。そのためか一つ一つの作品が物語としてもある程度独立しているし、メガフォンをとる監督が毎回異なっている。その影響はかなり大きい。映画ごとにテイストがはっきりと異なっているのだ。アクションの描き方、肉弾戦の撮り方、スケールの大きさ、スローモーションといった撮影法、etc、数えあげればキリがない、撮影法も強調するところも至る所が映画ごとに特徴を持っている。そうすると必然それぞれの映画に良し悪しの評価が下されることになる。世間ではどういう評価になっているのか、と気になってGoogle検索をかけてみると『M:I-2』が最下位の評価をくだすサイトが多かった(例えば「足るを探す」)。酷いところだと「ロマンスに重きを置いたせいか、目立ったアクションはあまり見ることができなかった」と酷評するサイトもあった(「ciatr」)。

 しかし、私が小さかった頃は『M:I-2』が最も評価が高かったと記憶している。ここまで酷評されるほど駄作だったか?ということで、10年ぶりに見返したら、案の定、最高にカッコよかった。

ジョン・ウー監督のスローモーションと無駄

 『ミッション: インポッシブル』シリーズは毎回監督が変わる。『M:I-2』の監督は『男たちの挽歌』で有名な中国人映画監督のジョン・ウーだ。ジョン・ウー監督といえばアクションシーンでのスローモーションが特徴的で、彼の登場以降多くの映画でスローモーションの技法は取り入れられてきた。今や一般的になったスローモーションだが『M:I-2』ではスベッてるということなのだが全くそんなことはない。

 キメラを盗むイーサンとその現場を襲撃するアンブローズが激しい戦いを繰り広げるシーンは見せ場の一つで、敵に囲まれて絶体絶命のイーサンが圧倒的に不利な状態を脱出する展開は手に汗握る緊張感がある。そこで多用されるのがスローモーションだ。銃撃戦というのは考えてみると奇妙なもので、実際には銃弾の発射と着弾の光だけであたかも銃弾がその間を通ったように思わせていて、その瞬間性と恣意性たるや一種のチートゲームに近い。発射の光の次に服に穴が開けば特別な説明を必要とせずその人は退場されてしまうのは、爽快感を与えるが共すれば物足りなさにつながるだろう。そこで導入されるのがスローモーションである。

 スローモーションで得られるのは、早すぎて理解できなかった行為の意味だけではなくてメリハリによる緊迫感だったりもする。環境が急激に変化するからこそ、スローモーションによる表情の変化はより多くのことを物語る。速すぎて知覚できない銃弾を遅くて嘘であるスローモションが効果的にしているのだ。

 他にも似た組み合わせがある。銃弾という直線的で短絡的な動きに対する、両手を広げながら回転する動きや両手で二丁の銃を持つ構えである。どちらも意味のない無駄なものであり、それは銃撃戦という不可視で無駄のない戦いの対極なものだ。

 スローモーションも大袈裟な動きも嘘なのだ。しかし元はと言えば拳銃をぶっ放しても都合の良い時だけ敵に当たり、主人公には決して命中しないほうがよほど嘘であった。爽快感を求める嘘と非現実な嘘が混ざりあいアクションの魅力を作り上げている。

M:I-2

演技と本気は紙一重

 ナイアとイーサンが恋に落ちるのは、元はと言えばイーサンが上司の命令でナイアに近づいたからで、アンブローズを罠にかけるという不純な動機のためであった。命令で接近したはずが恋に落ちてしまう、言い換えれば演技が本気になってしまう、その映像では表現しづらい感情のかけ移ろいを表すのもスローモーションだ。カーチェイスの遊びから崖へ落ちるかもしれないという本気の焦りへの変化は、本来の速度からスローモーションで表情をみせることで違和感なく視聴者に受け入れさせる。

 この映画は話が淡白という批判が強い。ストーリーとして捻りがないのは確かなのだが、それを補うように演技と本気というテーマが貫いている。ナイアとイーサンの出会いだけでなく、イーサンとアンブローズも互いの顔を変装し合う関係である。アンブローズはイーサンの変装をするからこそ、彼の仕草だけでなく感情も似通ってくる。そして演技は本気の表裏一体だ。アンブローズがナイアのことでイーサンに嫉妬するのは、彼がイーサンの演技をしているからに他ならない。

M:I-2

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