『宇宙戦争』感想|あらすじ解説|内容考察|9.11以後と黙示録的想像力

『宇宙戦争』感想|あらすじ解説|内容考察|9.11以後と黙示録的想像力

概要

 『宇宙戦争』はスティーブン・スピルバークが監督の2005年のアメリカ映画。H・G・ウェルズのSF小説『宇宙戦争』を原作としている。この小説が映画化されるのは1953年のバイロン・ハスキン監督のに加えて二回目。主演はトム・クルーズ。

 トム・クルーズ主演作はほかに『トップガン』や『アイズ ワイドシャット』がある。

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登場人物

レイ・フェリエ(トム・クルーズ):ダメな父親。ロビーからは嫌われている。宇宙人の侵攻を機に、レイチェルとロビーを守るため奮闘する。

レイチェル・フェリエ(ダコタ・ファニング):レイの娘。おてんばで無垢な存在。宇宙人から逃げる時には、レイについていく。

ロビー・フェリエ(ジャスティン・チャットウィン):レイの息子。父親を嫌悪している。レイチェルの面倒をみる、責任感の強い青年。

メリー・アン・フェリエ(ミランダ・オットー):レイチャルの母。レイとは不仲であり再婚相手がいる。一時的にレイに子供たちを預けていた。

あらすじ

 クレーン操作の仕事をもつレイ・フェリエはメリー・アン・フェリエと離婚して一人暮らし。メリーは再婚相手と実家によるので、息子と娘の面倒を見ることに。しかし息子のロビーはレイを毛嫌いしていた。

 翌日、街は異常気象に見舞われ雷が何発も落ちる。またそれの影響で車や家電が動かなくなる。異常を察した街の人が落雷した現場に訪れると、地面の下から三足歩行機械「トライポッド」が出現し、人々を光線によって殺害していく。

 その場はなんとか逃げ切ることに成功するも、トライポッドの侵略は世界各地で起こっていた。車や船で逃げようと試みるもことごとく失敗する。アメリカ兵による全面攻撃もトライポッドのシールドに防がれ、一方的に破壊されてしまう。さらに戦いを見届けようとしたロビーは、攻撃に巻き込まれ行方不明になってしまう。

 レイチェルとともに地下牢に逃げ込むと、先に避難していたハーランと遭遇。過度なストレスにより発狂したハーランは大声をだし始める。敵に気づかれることを恐れたレイは、レイチェルを守るためハーランを殺害する。目が覚めるとレイチェルとレイはトライポッドに捕まるも、手榴弾によって撃退することに成功する。

 やがてトライポッド弱り始めシールドはなくなり、砲撃を喰らうようになる。敵は地球に存在する微生物の耐性がなく死に至ったようである。レイはレイチェルとともにメリーの所にたどり着き、無事に逃げおおせたロビーと再会を果たすのだった。

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考察

エーリアンと黙示録的想像力

 監督スティーブン・スピルバーグは過去作の『E.T』や『未知との遭遇』で、宇宙人と地球人の友好な関係を描いてきた。本作は一転して宇宙人による地球への侵略という、凶悪な宇宙人像を描いている。

 宇宙人の地球への侵略はこれまでもハリウッド映画で頻繁に描かれてきたモチーフなのだが、本作は侵略というモチーフに加えて黙示録的想像力の磁場にあるといえる。黒い雨雲が太陽を覆い雷鳴を轟かせるシーンは、まるで世界の終焉を思わせるかのようだ。トライポッドが出現するさいの噴火のような映像や、赤い血に覆われた地球もまた極めて黙示録的といえる。

 映画は古くから黙示録的想像力とともにあった。題名にその名を記す『地獄の黙示録』はもちろんのこと、『アルマゲドン』や『地球最後の日』もその系譜にあたる。日本では『ゴジラ』や『昆虫大戦争』などの原子力爆弾をテーマにした映画群も、地球人の滅亡という黙示録的想像力が通底している(『昆虫大戦争』評はこちら : 第三極としての日本 – 二本松嘉瑞『昆虫大戦争』*なるほう堂)。

 ただし、地球の滅亡の原因は時代ごとに変遷している点は注意すべきかもしれない。第二次世界大戦後の黙示録的想像力は原子力に規定されていた。その後は冷戦構造の解消とともに核の脅威は衰え、黙示録的想像力は地球外生物や隕石といった地球の外部に拠り所を見つけることになる。

 では『宇宙戦争』における黙示録的想像力の源は何か。一見するとそれは地球外生命体のように思われるかもしれない。だが、ジャンボ機の墜落やビルの崩壊のシーン、さらには制作時期が2005年であることを踏まえると、『宇宙戦争』は9.11以後の黙示録的想像力の延長にあると思われる。このことは敵がどこから現れるかを確認するとより分かりやすい。敵の機体は空からではなく、地面の下から現れる。地球を崩壊させ敵は、地球の外部ではない、内部にいたのだ。このシーンは当時の観客に容易にテロを連想させただろう。

感想 :

逃げることと共生と9.11以後のひ弱な男性性

 9.11以後、黙示録的想像力を傘に、アメリカの父権性を称揚する映画が続出した(例えば『アルマゲドン』とか)。世界の滅亡に立ち向かえるのはアメリカ的なマッチョ男性だけであり、彼が犠牲になるにしろ敵を倒すにしろ、アメリカの威厳は復活すべきなのだ。そのような主張は、アメリカ人ならまだしも、他国の人にとっては見るに耐えないものがある。

 『宇宙戦争』はそのような傾向から明らかに距離をとっている。主人公のレイは息子から馬鹿にされようと敵に立ち向かうことはせずひたすら逃げ惑う。冒頭から父親としての役割を果たしていないし、娘・息子から認められるためにマッチョになることはない。

 勿論、異論はあるだろう。この映画は、ひ弱な父が敵を倒し家族に認められマッチョな父になる映画なのだ、と言いたくなるかもしれない。そのような側面はもちろんあるだろう。だが、レイチェルを守るためにハーランを殺したレイはひどく疲れていなかったか。敵を撃退した後もその成功を自慢するでもなく、再び逃げてはいなかったか。レイが戦うのはレイチェルを守るためという極めて受動的な場面に限られている。『宇宙戦争』の大半は逃げることと隠れることに費やされているのだ。

 このレイ像は、レイを演じるトム・クルーズの活動史においても妥当なように思われる。2005年のトム・クルーズはいわば後期トムに属し、すでに醸成されていたマッチョなトム・クルーズ像を翻す逆「トム」と呼ばれる時期であった(トム・クルーズの活動史は『トップガン』評のコメント欄を参照。デンジャーゾーンはどこにあるのか 『トップガン』論(1)*なるほう堂。本論もすごく面白いのでコメント欄だけでなく『トップガン』評も読むべし)。レイはマッチョな父になることを拒み続けるのである。

 それと対照をなすのが息子のロビー。ロビーは父への反発からか、軍隊に強い羨望の眼差しを向ける。妹を守る兄であるよりも敵を倒すマッチョな父になることを望むロビーは、レイの説得を振り払い戦場へと向かう。この対比は世代差を思わせる。戦争を現実に知っている父世代のレイと、戦争を現実には知らない若者世代のロビー。レイは敵から逃げ惑うのに対して、ロビーは戦争を知らないからこそ意気揚々と戦うことを望む。これは9.11後のアメリカの世論を表しているのだろうか。このことは9.11後のアメリカを離れて、現代を生きる我々にとっても非常にアクチュアルな問題提起である。

 最後に逃げるという観点からもう一つ雑談を。マッチョな父と逃げ惑うひ弱な男性を対比させてみると、レイがマッチョな父になることを注意深く退けているために、本作が逃げることを評価しているように思われるかもしれない。だが、事態はそう簡単ではないようだ。

 『宇宙戦争』において乗り物はノアの方舟の役割を果たしている。例えば、敵に追われて乗り込む船は、平和な新世界への旅路を期待されているようだ。しかし、この映画ではノアの方舟になることを望まれている乗り物は全て無残にも壊されていく。車、飛行機、船。さらに、プロットにほとんど関係がないにもかかわらず、炎に包まれた電車が一瞬だけ登場する。敵を前にして逃げることも許されていないのだ。

 微生物が敵を倒していたといういささか唐突な結末に拍子抜けした人がいたかもしれない。敵を倒したのは人類の兵器でも逃げることでもなくて、地球に存在する微生物であった。地球人にとっての微生物は、宇宙人にとっての地球人である。地球人にとっては屁でもない微生物によって地球人が守られたという逆説は、テロだけを悪としない共生を重んじるスティーブン・スピルバークの思想が反映されているのかもしれない。

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