二本松嘉瑞『昆虫大戦争』感想|あらすじ解説|内容考察|第三極としての日本

二本松嘉瑞『昆虫大戦争』感想|あらすじ解説|内容考察|第三極としての日本

概要

 『昆虫大戦争』は、1968年に公開された特撮映画。監督は二本松嘉瑞。二本松嘉瑞は1967年の『宇宙大怪獣ギララ』が有名。

 冷戦構造の激化、ベトナム戦争、核爆弾の脅威、パロマレス米軍機墜落事故などの現実社会での不安が反映されていて、生物兵器や人類滅亡などがテーマになっている。

 このような黙示録的映画はほかに、スティーヴン・スピルバーグの『宇宙戦争』、ジョン・アミエル『ザ・コア』、ポン・ジュノ『スノーピアサー』などがある。

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登場人物

南雲(園井啓介):生物学者。譲治の先生。

秋山譲治(川津祐介):生物学者。亜南群島で生物調査をしている。

アナベル(キャシー・ホーラン):生物学者。生物兵器を作っていた黒幕。

ゴードン中尉(ロルフ・ジェッサー)

チャーリー(チコ・ローランド)

秋山ゆかり(新藤恵美):譲治の妻。

あらすじ

 南ヶ島でアナベルとともにいた生物学者の譲治は、水爆を積んだ米国機に昆虫がおしよせ、墜落するのを目撃する。パイロットたちはパラシュートで着陸後、洞窟に逃げ込む。

 パラシュートを追いかけた譲治は、途中で時計を拾う。米軍機を捜索していたゴードン中尉は、洞窟でパイロットの死体を発見し、時計を所持していた譲治を逮捕する。また、崖から落ちて精神がまいっている米兵チャーリーを発見する。

 新婚旅行でこの島を訪れていた譲治の妻ゆかりは、妊娠していた。彼女は譲治を助けるために、譲治の先生で東京にいる南雲教授に連絡を取る。南雲はチャーリーと接触し、数々の証拠から犯行は昆虫なのではないか、と疑う。そしてひょんなことから、墜落した米軍機が水爆を積んでいたこと、それを回収する「折れた矢作戦」の存在を知る。

 日本に送還されるタイミングで脱走する譲治。彼はアナベルの部屋に逃げ込むが、そこにアナベルやチャーリーたちがあらわれる。アナベルの証言から、米兵を襲ったのは昆虫であり、それを育てたのがアナベルであることが判明する。アナベルはユダヤ人で過去にナチによる虐待を受けていたため、人間への報復のために毒虫昆虫を育てていたのだった。

 昆虫に襲われたチャーリーは人類滅亡だと叫び、ゴードンに射殺される。昆虫の毒性と解毒剤の効力を確かめるために、昆虫に自らを噛ませる南雲。するとチャーリーと同じように、人類滅亡だと叫び始めるが、解毒剤の効果が現れて正常に戻る。

 飲み屋の親父と松永らは、譲治と小室の話を盗み聞き、水爆を探そうとする。彼らはソ連のスパイであった。昆虫が暴走し、アナベルや松永らは毒殺される。また、譲治は身を挺してゆかりを庇い、昆虫の毒で死に至る。

 ゆかりはお腹の子のために、ひとりでボートに乗り込みはしりだす。ゴードンは南雲をひきつれ飛行機に乗り、島に水爆を落とそうとする。反対する乗員はゴードンに発砲するが、倒れるさいにスイッチを押してしまい、島は水爆でやかれてしまう。そこに現れたキノコ雲をゆかりは眺めているのだった。

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解説

水爆実験と冷戦の恐怖が蔓延した社会

 1968年、水爆と冷戦の恐怖が蔓延する社会状況で、SF的想像力を織り混ぜて製作された映画が二本松嘉瑞の『昆虫大戦争』である。二本松嘉瑞は1967年に製作された怪獣映画『宇宙大怪獣ギララ』で有名である。

 我々にとっては水爆に関連した映画といえば『ゴジラ』が馴染み深い。1954年3月に行われたビキニ水爆実験に着想を得て、『ゴジラ』は同年11月に製作された。水爆によって産み落とされた大怪物『ゴジラ』が人間を襲う。人間によって作られた科学技術の結晶である核が人間に牙を向くのだ。水爆の破壊力そして放射能の汚染は、我々に容易に世界の終焉を連想させる。そして世界の終焉はキリスト教の黙示録との関連によって初期のころから数多くの映画で重要なテーマになっていた。水爆は国家間の権力バランスや国の威信を表象するだけでなく、映画的想像力を刺激していたのである。

 『ゴジラ』と違い『昆虫大戦争』では冷戦構造の緊迫感が強く反映されている点は見逃せない。物語は「人類は、この瞬間に核エネルギーを手に入れた。その時から核の恐怖が始まった」という印象的な字幕で始まる。核という栄光と恐怖は表裏一体であるという警告がここからもはっきり読み取れる。この警告に沿うように物語は輝かしいユートピアではなく恐怖の方向へと進んでいく。舞台は孤島である亜南群島。この島は敗戦のあと米軍の支配下にあり、20年ぶりに本土に復帰していた。ある日、この島近くに水爆を積んだ米軍の戦闘機が墜落する。この水爆を巡ってそれぞれの立場の思惑が絡み合い衝突するというのが主な筋書きだ。

 それぞれの立場というのは主に四つある。アメリカ、ソ連、日本、そして題名にもある昆虫だ。アメリカは水爆の回収、ソ連は水爆の奪還、日本は昆虫の脅威への対策、昆虫は人類の撲滅を企む。この四勢力に加え、殺人犯と疑われる秋山譲治と妻の秋山ゆかりの夫婦愛、さらにかつてナチによる虐待を受けた生物学者のアナベルの人類への復讐心が複雑に絡み合う。チープな題名とは打って変わって社会的・国際的な問題が前面に問いかけられている。

考察

『ゴジラ』との比較と友敵理論

 二つの脅威が人類を滅亡に追いやろうとしている。それが核と生物だ。この二つは同じレベルの脅威でありながら違う位相に属している。核は人類が作り上げた科学技術の結晶であり制御可能であると信じられていた点において人類の内部に位置する。逆に生物は人類との意思伝達の不可能性において人類の外部に位置する。今や人類は外部にも内部にも滅亡の脅威を感じているのだ。

 生物の脅威を『ゴジラ』と対比させると面白い。水爆によって出現したゴジラは圧倒的な力を持つ破壊の脅威であった。ゴジラは核の化身なのである。一方『昆虫大戦争』の生物は毒物をもつ小さい昆虫の群である。昆虫は人間に寄生し毒物は神経を蝕み死に至らしめる。飛行機を襲う昆虫の群れは、さながら一帯を覆う毒ガスのようでもある。つまり昆虫の群れは生物兵器の化身なのである。

 ここに奇妙なねじれがある。核は人類の内部でありながら、強力な力を保持して人類を外部から破壊する。生物は人類の外部でありながら、寄生し毒物を使って人類を内部から侵食する。内部と外部が反転しているのである。

 カール・シュミットの友敵理論が教えてくれるように、政治的に一致団結する集団は必ず敵を必要とする(友敵理論とは何か*なるほう堂)。ソ連を敵とみなすアメリカ、アメリカを敵とみなすソ連といった具合に。この政治的関係を保つために外部の脅威としての核の保有が優先される。核を中心にソ連とアメリカが向かい合って対立しているのである。

感想

第三極としての日本

 しかし見かけに惑わされてはいけない。人類の敵は生物なのだ。こう主張するのが日本を代表する生物学者の南雲である。南雲はアメリカの将校にたびたび生物の危険性を指摘し、冷戦しか頭にない状態を叱責する。日本はアメリカとソ連とは違う第三極の立場なのである。

 人類の外部に生物という脅威が迫っている。そのために人類は団結すべきだ。だがこの日本の声は虚しい。核の脅威は、いまここに、外部に存在しているからだ。一方で生物がもたらしたアメリカ兵の死を、アメリカ将校は秋山譲治の犯行だと勘違いしてしまう。昆虫は人間に寄生るすため生物の脅威を認知できないのである。

 倫理的に正しいのかは置くとして、人類の外部に生物を発見し敵と認定することで、人類は一致団結できたにもかかわらずそれに失敗する。アメリカは最後まで敵国ソ連という固定観念から逃れられない。南雲だけを救出し水爆で全てを隠蔽しようとする将校は、島に残る住民を「小さな犠牲だ」と憚らないのもアメリカ的傲慢さを表している。勿論これはデフォルメされたアメリカ像である。操縦パイロットは将校に銃を向けて水爆の爆破に反対する。アメリカとて一枚岩ではないのである。

 しかし全ては最悪な方向へとむかう。将校、パイロット、南雲は銃弾に倒れ、水爆は爆発し、飛行機は墜落する。均衡状態であった将校、パイロット、南雲の死は、当時緊張状態にあった冷戦への警告だろう。加えて飛行機の墜落は生物が原因であることも見逃せない。冷戦を除いても脅威は消えていないのである。

 キノコ雲をみながら海の上に漂う船にいるは、秋山ゆかりとお腹の中にいる子供である。友敵で争う4勢力を横断しながら生き残ったのは愛のおかげだろうか。残された二人に前面に広がるのは、明るい未来というより何も解決されていない暗いディストピアである。

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