『スノーピアサー』感想|あらすじ解説|内容考察|反転し円環する社会

『スノーピアサー』感想|あらすじ解説|内容考察|反転し円環する社会

概要

 『スノーピアサー』は2013年にアメリカ合衆国・フランス・韓国の合作で作られたポン・ジュノ監督の映画。ポン・ジュノは韓国人の映画監督で、2019年に『パラサイト 半地下の家族』でパルム・ドールとアカデミー賞を受賞した。

 他に『殺人の追憶』『グエムル-漢江の怪物-』『母なる証明』などの作品が有名で、特に『殺人の追憶』は韓国で実際に起こった事件を元にしており国内外で高い評価を受けている(あなたは普通の顔ですか?—ポン・ジュノ『殺人の追憶』【ラストシーン徹底考察】*なるほう堂)。

>>無料トライアル実施中!<U-NEXT>

登場人物

カーティス(クリス・エヴァンス):反乱軍をまとめる青年。仲間の死にもめげず、先頭車両を目指す。ギリアムを慕っている。

ギリアム(ジョン・ハート):カーティスが尊敬する老人。ギリアムに腕をあたえて助けた過去がある。実は先頭車両にいるウィルフォードと内通している。

ナムグン・ミンス(ソン・ガンホ):薬物中毒者。エンジニア。

ヨナ(コ・アソン):ナムグンの娘。特殊能力を持つ。

ウィルフォード(エド・ハリス):スノーピアサーの製作者。先頭車両にいる。

メイソン(ティルダ・スウィントン):ウィルフォードの部下。

あらすじ

 地球の温暖化に対処するべく散布されたCW-7が逆に地球を凍らせてしまった2031年の近未来、生き残った僅かな人類は列車スノーピアサーで暮らしていた。しかしスノーピアサーの生活は、前方にいる富裕層が後方にいる貧困層を搾取する階級社会だった。

 カーティスは仲間とともに富裕層に反旗を翻し、拘束されていたエンジニアのミンスの協力を得て先頭車両を目指す。富裕層の生活とそのために貧困層の子供たちが労働を強いられているのを知ったカーティスたちは怒りを募らせる。

 敵の残虐非道な振る舞いによって多くの仲間が死んでしまう。また、後方においてきたギリアムが処刑される映像を目にしてしまう。カーティスはナムグンとヨナとともに先頭車両に向かう。

 どうにか列車の先頭に着くも、ウィルフォードはギリアムと裏で通じていたことが明かされる。この反乱は二人の結託によって計画されたもので、革命を起こすことではなく、増えすぎた人口を削減することが目的だった。カーティスは自分の意思と思い込んでいたこの革命劇が、仕組まれていたことにショックを受ける。

 ウィルフォードの目的は、スノーピアサーの操縦士の後継者を探すことであった。彼は自ら死にことで、操縦士の地位をカーティスに譲ろうとする。しかし、子供たちが労働させられている環境に我慢ならず、カーティスはウィルフォードの提案を破棄する。

 そのとき、ヨナによって列車の扉を爆発させられる。それにより、スノーピアサー は脱線し、凍てつく世界に放り出される。しかし、外の世界は徐々に気温が上がり、氷も溶け始めていたのだった。生き残ったヨナとティミーは、遠くに熊を発見し、外の世界へと一歩を踏み出したのだった。

>>Amazonプライム「30日間の無料体験」はこちら

解説

黙示録的映画

 『スノーピアサー』はポン・ジュノにとって初の英語作品であり、そういう観点からしても挑戦的な作品である。近未来SFホラー・アクションという分類になるだろうか。雪に覆われるという昨今心配されている温暖化の真逆の現象によって地球が危機に瀕するという設定は、現代社会のアイロニーに満ちている。

 地球温暖化を危惧した人類は化学薬品CW-7を散布して温暖化を抑えようとするのだが、薬品の効果が予想以上にでてしまい逆に地球が寒冷化してしまう。温暖化という地球規模の災害は人間のせいで生み出されたにもかかわらず、それを人間の作為によって解決できるという思い上がりを超越的な何かが叱っているかのようだ。

 このような設定は必然的に黙示録的な雰囲気を帯びるもので、『スノーピアサー』も例外ではない。寒冷化した地球で生き延びるために主人公たちが乗り込む列車は、まさに旧約聖書ででてくるノアの方舟である。しかし重要なことは本作で主題となるのは絶滅でも救済でもない。あくまでその中間、絶滅から救済への移行の過程、つまり移動を続ける列車の出来事なのである。

考察

ユートピアとディストピアー反転し円環になる社会

 温暖化から一転して寒冷化した世界。この180度真逆への反転、さらに反転したものが反転前のものに接近するという円環のモチーフが『スノーピアサー』では幾度となく繰り返される。大洪水を逃れるために乗り込んだノアの方舟の生活を、全種族が一致団結したユートピア的生活でないと誰が想像できただろうか。

 しかし現代版ノアの方舟として描かれるスノーピアサーは貧困と権力統制と暴力が横行するディストピアである。ユートピアの反転としてのディストピア。そこではディストピアは抵抗と革命という行為を媒介してユートピアの希望へと接近している。それを傍証するかのように、ラストシーンは氷で覆われて生命の息絶えた地球というディストピアに、生命の力強さを象徴する熊の姿が映し出される。ディストピアにスノーピアサーの外部がユートピアへと反転しているのである。

 加えて方向づけられたスノーピアサー内部の階級社会にも思いもよらぬ方向からの反転が現れている。後方から前方へ、しかも量的変化を伴って画一的に秩序づけられた階級差は、現実社会の縮図でありながらどこか戯画化されていて真に受けることができない。列車の前方にいる富裕層によるヤク漬けの半狂乱パーティーにしろ、中間地点で行われている子供たちに対する洗脳教育にしろ、「世間はこうであるらしい」と言われていることを半ば本気で半ば演劇的にみせつけている。貧困者たちの生に関わるが故の本気さと、富裕層と子供たちの戯画化された演劇性も見事な対比だ。

 さらに、後方から前方へと進む一方通行の階級社会は、永久機関のエンジンが置かれるスノーピアサーの先頭、列車の開発者ウィルフォードが住む富裕の極点で反転する。同志で親のように慕っていた貧困社会の統領ギリアムとウィルフォードはグルで、この暴動ですらギリアムとウィルフォードによって仕組まれたものだったのだ。しかも甘い蜜ばかり吸っていたと思われるウィルフォードも貧困者たちと同様に自分の立場の辛さを吐露し、スノーピアサー内部において最も富裕である列車の運転という立場をカーティスに譲ろうとする。貧困と富裕、前方と後方、ディストピアとユートピアの反転と円環というモチーフがここにも見られるのだ。

生政治を乗り越えるための自己決定

 スノーピアサーの内部はディストピアでありながら、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』のようにSF的なものではない。あくまで現実の社会の投影であり、我々にとっても馴染み深いものの風刺である。この社会で貫かれる階級の問題はもう一つの権力である生権力に接続されている。

 生権力は哲学者のフーコーが提唱した概念で、人間の生を管理しようとする権力のことである(ビオスとゾーエーとは何か—アガンベン*なるほう堂)。ありがたいことに、コロナ禍に生きる我々にとって生権力は想像しやすい。コロナ禍でマスクを強要してくる社会的雰囲気を醸成したのがまさに生権力だ。生きることを最も価値のあることとし、大衆を管理しようとする権力は正義の仮面を被ってあらわれる。本来マスクをつけるのもつけないのも自己判断すべきことであって強要されるようなものではない。生権力は主体性を奪い生権力にあう主体をつくる。この一連の運動そのものが生権力の本質である。

 ということで、主体を作り出す生権力は『スノーピアサー』でも猛威を奮っている。各階級の人口は細かく設定され管理される。それも貧困層の住民は富裕層への蜂起という暴力行為に知らぬ間に誘導され、反乱してきた貧困層を間引くことで人口は調整されているのである。万遍なく生権力で覆われてしまった社会では、蜂起という主体性の極点のような行為ですら管理の域をでることはない。

 一定間隔で起こる蜂起は仕組まれたものだった。それも人口の調整という歯痒い理由のために。全てが調整され管理されたスノーピアサーの世界は予定調和による虚脱感が漂っている。スノーピアサーを動かし続けるために生きる。それは生きるために生きるという円環に捉われていることを意味する。富裕層のトップであるウィルフォードですらこの円環を免れてはいない。時が来たらカーティスにトップの座を譲ろうとするウィルフォードは、意思が乏しいばかりか自らの命にさえ執着がない。

 生権力に管理された予定調和の社会を抜き破った人物がいる。それが貧困層のトップで裏切り者のギリアムだ。カーティスとギリアムが出会った最初に、その尊い行為が刻印されている。ギリアムは、お腹を満たすために他者を殺すカーティスに、自らの腕を差し出したのである。自らを殺し他者を生かすこの行動は生権力の網目をすり抜ける行為だ。この行為に生かそうとする生権力はあまりに無力といえる。自死を称賛しているのではない。「生きる」という行為より価値のある行為が時にはあると言いたいのである。生権力は「生きたい」という人間の普遍的な感情に便乗して勢力を拡大する。生きることより大事なことがあるということ、そのことを意識することが生権力の管理を免れる一つの可能性かもしれない。

映画カテゴリの最新記事