太宰治『走れメロス』解説|狂気の友情は美しい|あらすじ考察|感想

太宰治『走れメロス』解説|狂気の友情は美しい|あらすじ考察|感想

概要

 太宰治『走れメロス』は「新潮」の1940年5月号に発表された。ギリシアの古伝説とシラーの『担保(人質)』という詩を基にしている。日本の国語の教科書の題材にも採用されている。

 教科書の題材に採用された小説はほかにヘルマン・ヘッセ少年の日の思い出」、中島敦「山月記」、夏目漱石『こころ』「夢十夜 第一夜」、芥川龍之介「羅生門」「蜘蛛の糸」「芋粥」、梶井基次郎「檸檬」、宮沢賢治「注文の多い料理店」、ワイルド「幸福な王子」、魯迅『故郷』などがある。

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登場人物

メロス:主人公。羊飼いの青年。正義感が強く正直者であるが、一方で、呑気で諦めやすい性格の持ち主である。妹があり、その妹の結婚式の準備を揃えるため、遠く離れた都シラクスにやってくる。セリヌンティウスの友人でもある。

セリヌンティウス:都市シラクスで働く石工。メロスとは竹馬の友である。結婚式に行かねばならないメロスの身代わりとなり、囚われる。

ディオニス:シラクスの暴君。人間不信に陥っており、自らの家族を始めとする数多くの人々を死刑にしていた。

名言

メロス:おどろいた。国王はご乱心か。
老爺:いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずることが出来ぬ、というのです。

メロス:それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ。人の命も問題ではないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。ついて来い!フィロストラトス。

あらすじ

 メロスは16歳の妹の結婚式に必要となる品々を買いに、はるばるシラクスの街までやってきていた。しかし街の様子がおかしい。老爺さんに聞いてみると、王が人を信じることができず殺してしまうのだとう。激怒したメロスは王の城に入っていこうとしたところ、兵に捕縛され王ディオニスの前に連れ出された。

 何をする気だったのだとディオニスに問われたメロスは「暴君の手から市民を救うのだ」と答える。ディオニスが磔にするというと、メロスは、死ぬ覚悟はできているが三日待ってくれ、三日のうちに妹に結婚式を挙げさせここに帰ってくる、という。ディオニスが嘘だとせせら笑うと、メロスは友人のセリヌンティウスを人質として置いていくという。それを聞いて王はどうせ帰ってこないと考えるが、人間なぞ信用ならないというところをうんと見せつけてやると考え、それを許す。深夜、竹馬の友セリヌンティウスは縄に打たれ、すぐにメロスは出発した。

 メロスが妹のいる村に到着したのは翌日の午前だった。処刑に間に合うために、結婚式を明日にしてくれと頼み込む。どうにか説き伏せ、翌日の昼間から結婚式が行われることになった。祝宴も夜になるといよいよ華やかになり、メロスは愚図愚図とここに留まりたいと思ったが、ついに出発を決意して、ちょっと一眠りしてから出発しようと考えた。

 目が覚めたのは翌日の薄明の頃で、寝坊したかと思ったが、まだ大丈夫すぐに出発すれば十分間に合うということが分かった。辛く行きたくなかったが、雨の中出発した。途中橋が崩壊して荒れ狂う川が渡れなくなっている地点に到達しても、なんとか奮い立たせて川を泳いで渡り、山賊に遭遇してもなんとか倒して友のまつところを目指した。

 しかし、気力体力ともに尽き果て、ついがくりと膝を折り立ち上がることができなくなってしまった。メロスは泣いた。私はこのまま友のもとに期限までにたどり着けない。私は友を欺いた。王にただ笑われる。こんな不名誉なことならば、君と一緒に死なせてくれ。いやそれもひとりよがりか。ああ何もかも馬鹿馬鹿しい。勝手にしろ、やんぬるかなーーそうしてメロスは眠ってしまった。

 ふと目を覚ますと水の流れる音が聞こえる。一口飲むと体力気力ともに回復して歩けた。私は信頼に報いなければならぬ。走れ!メロス。

 メロスはほとんど裸体になり、呼吸もできず、血も吐きながら、友のいる塔まで走った。途中セリヌンティウスの弟子がやってきてもう間に合わない、駄目ですと言われてもメロスは走った。もはや間に合わぬ、間に合わないの問題ではない。もっと大きく恐ろしいものの為にメロスは走った。セリヌンティウスに気が狂ったと言われながらも走った。

 メロスは死刑が執行される前になんとか刑場にたどり着いた。セリヌンティウスの縄はほどかれる。メロスは一度悪い夢を見て裏切りそうになったので殴ってくれ、という。セリヌンティウスは殴る。セリヌンティウスも一度だけメロスを疑ったので殴れという。メロスは殴った。そして互いに抱擁した。

 それを見ていた暴君ディオニュスは、お前らの勝ちだ、信実は妄想ではなかった。わたしも仲間に入れてくれ、という。王様万歳の歓声が起こる。

 そして少女が緋のマントをメロスに捧げる。メロスはよくわからなかったが、セリヌンティウスは教えてあげる、君は全裸だと。メロスはひどく赤面した。

解説

半狂乱の純粋ごっこ

 この作品では人間の信頼と友情の美しさ、悪に対抗する正義や勇気などが巧みな心理描写とともに描かれている。原体験は檀一雄との旅だそうである(新潮文庫解説参照)。その明るさたるや『人間失格』などしか知らない人にとってはこれも太宰なのかと思わせるほどである。しかしメロスはほとんど全裸で町中を疾走したりして、確かに友情は大事だけれどちょっと気が狂っているのではないかという印象も受ける。

 これも解説によるのだが、どうやら太宰は『走れメロス』について「青春は、友情の葛藤であります。純粋性を友情に於いて実証しようと努め、互いに痛み、ついに半狂乱の純粋ごっこに落ちいる事もあります」(『走れメロス』293頁)ともいっているそうである。王の人に対する信じられなさも度が過ぎているが、メロスとセリヌンティウスの互いの信頼度も度が過ぎている。これは人間の信頼の美しさをリアルに描こうとした作品ではなく、それらを究極まで純化させて描いた作品なのだ。最後にメロスとセリヌンティウスが、お互い一度裏切ろうとしたことを告白し、お互い自分の頬を打て、といいそして力一杯打つのであるが、ここなどに「ごっこ感」が多分に現れているだろう。純化させるとオーバーアクションになりコミカルにになる、ということがよく理解できる典型的な作品である。

メロスという人の魅力

 この話は終わりに(古伝説と、シルレルの詩から。)という言葉が付け加えられている。シルレルの詩というのはシラーの『人質』という詩のことで、古伝説とは、その『人質』の素材となった「ダーモンとフィジアス」の伝説である。シラーの『人質』と比べてみると、『走れメロス』は話の筋はほとんど変わらない。

 しかし付け加えた内容や場面、テーマがいくつかある。それは主にメロスに関することであるが、それによってメロスが人間味に溢れた人となり、この小説が小説として魅力あるものになっている。

呑気さ

 一つ目はメロスの性格と心理描写である。シラーの詩では、メロスはまさに気高き勇者である。しかし『走れメロス』ではなんと云われているか。「持ち前の呑気さ」ということが言われているのだ。そう、メロスは呑気なのである。実際何度もまあ間に合うだろうと考えて休憩する。しかも寝坊したりする。これでは気高き勇者にはなれそうもない。心理描写も多彩だ。山賊を倒した後メロスは歩けなくなるが、そのあとメロスは自己卑下に浸って、、一旦は眠ってしまう。あそこで言い訳をぐちぐち言わせたりするのが太宰らしい。呑気さも相まって面白いところである。

全裸で走るメロス

 もう一つが見た目の話である。なんと、メロスは最後の方ほとんど全裸で走っている。そしてマントをもらったところで、自分がほぼ全裸だということに気づき赤面する。勇者も恥ずかしいらしい。メロスは勇者であるけれども内面は普通の感情をもった人間なのである。こういったところは、まさに太宰らしい改変だといえるだろう。

考察・感想

山賊はなぜあそこにいたのか

 最後に山賊に関して検討してみたい。山賊はメロスの行手を阻むものとして登場するのだが、なぜ唐突に山賊が登場したのだろうか。もちろんシラーの詩でも山賊は登場するのだが、そこに太宰はつぎのような問答を付け加えている。

その、いのちが欲しいのだ

さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな

 なるほど、山賊は王が送り込んだ刺客だというのだ。しかしそうだとすると、王は自分の言っていることとやっていることが矛盾していることになる。表面上では、メロスが来るはずがないと言っておきながらも、内心ではメロスがセリヌンティウスを助けにくると思っているわけである。そうだとすると、実は王もメロスとセリヌンティウスの心の誠実さを認めており、だからこそ人間なんて裏切るに決まっているといった自分の思想を証明したいがために、あえて山賊を送り込んだのだということになる。つまり山賊とは、メロスとセリヌンティウスの絆を不覚にも信じてしまった王の不安を体現したものなのだ

可愛い娘はなぜマントを持ってきたのか

 メロスは服も引き裂かれた状態で、最後ほぼ全裸でシラクスに戻ってくる。王はメロスの友情の絆の強さに心を打たれ改心するのだが、そこでみんなが歓声を上げているときに一人の少女がマントを持ってやってくるのである。理由のわからないメロスはまごつくが、その理由をセリヌンティウスが教えてやる。

「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」

 それでメロスは自分が全裸だということに気づき、赤面して終わるのだが、娘がマントを持ってきた理由を、セリヌンティウスは「皆に見られるのが、たまらなく口惜しい」からと考えている。しかしなぜ「口惜しい」のだろうか。太宰はなぜこのような場面を挿入したのか。

 ここには二つの視点が鮮やかに描き出されている。王が「仲間にしてほしい」と言ってから群衆が「万歳」と歓声をあげるまで、やはりメロスは全裸であるはずである。いや、もっと前から全裸であるはずである。なのに、群衆はそのことに言及しないし、気にする描写もない。これは不自然なことだ。

 おそらく群衆はそれまでの圧政に苦しんでおり、メロスの友情が王を解き放ったことに非常に喜んでいる。その喜びも単なる喜びどころではなく、もっと狂気的な喜びだ。勇者が私たちを開放してくれたぞと。「半狂乱の純粋ごっこ」太宰は言っているが、そこに巻き込まれているのはメロスとセリヌンティウスだけではない。ディオニス王も群衆もそこに巻き込まれているのだ。つまり、その場全体が「半狂乱」状態なのである。

 しかしその半狂乱に巻き込まれなかった人間がいて、それが「可愛い娘さん」である。よく考えてみよう。公衆の面前で全裸の人間がいたらどうなるか。変な目で見られるか、馬鹿にされるに決まっている。そのことを彼女は知っているのだ。その場では彼女だけが理性的であり、このままでは良いことをしたのに馬鹿にされかねないと思っている。だから「口惜しい」のだ。というわけでマントを持ってきてメロスに渡すのである。

 もう一つ理由があるとすれば、娘はメロスのことが(勇者として)好きで、その人の恥ずかしいところを他の人(女?)に見せるわけにはいかないということだろう。それもあるだろう。「口惜しい」という表現は、それぐらい解釈の余地を広く残している。

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参考文献

太宰治『走れメロス』新潮文庫、2005年。

滝口晴生「太宰治「走れメロス」の原話をたどって」(『山梨大学教育人間科学部紀要』第15巻、2013年、75−82頁)

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