小説『ツナグ』考察|生者の倫理を問う|あらすじネタバレ感想・伝えたいこと解説|辻村深月映画

小説『ツナグ』考察|生者の倫理を問う|あらすじネタバレ感想・伝えたいこと解説|辻村深月映画

概要

 『ツナグ』は、2010年に刊行された辻村深月の連作短編小説。2014年に監督平川雄一朗、主演松坂桃李で映画化された。

 2011年に吉川英治文学新人賞を受賞。2019年に続編となる『ツナグ 想い人の心得』が刊行された。

 死者と生者を会わせることのできる使者と、死者に再会したい依頼主、そして呼び戻された死者の物語。

 他の小説は、太宰治「走れメロス」、魯迅『故郷』、梨木香歩『西の魔女が死んだ』、中島敦「山月記」、遠藤周作『沈黙』、リチャード・バック『かもめのジョナサン』などがある。

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登場人物

渋谷歩美(松坂桃李):使者見習い。創永高校2年生の17歳。祖母のアイ子から使者の仕事を受け継ぐため、見習いとして働いている。無表情だが、時々子供らしい表情をする。

渋谷アイ子(樹木希林):現役の使者。75歳。身体の不調で入院したのを機に、使者の仕事を歩美に譲ろうと決意する。使者の仕事は兄の定之から受け継ぎ、息子の亮に譲った過去を持つ。しかし、亮と妻の香澄が心中してしまったため、使者の仕事を再び引き継いだ。

秋山定之:歩美の大伯父でアイ子の兄。秋山家の当主。79歳。アイ子が嫁に行くとき、秋山家との繋がりを持たせるために、使者の力を譲った。時代錯誤の格好をしている。

渋谷亮介(別所哲也):歩美の父。故人。フリーのインテリアデザイナー。歩美が6歳のとき、香澄の死体のそばで舌をかみ切った状態で発見された。

渋谷香澄(本上まなみ):歩美の母。故人。アイ子の夫に亮との結婚を反対されたため、亮とは駆け落ちした。亮の死体のそばで喉を締め付けられたような状態で発見された。

平瀬愛美:歩美にとって最初の依頼人。27歳。自分に自信がなく会社でもいじめられている。過去に水城サヲリに助けてもらったことで、彼女のファンになる。

水城サヲリ:芸能人。3ヶ月前に急性心不全で亡くなる人。享年38歳。元売れっ子キャバクラ嬢で視聴者や関係者の間でも人気者だった。

名言

死者は、残された生者のためにいるのだ。(p.424)

あらすじ・ネタバレ・内容

アイドルの心得

 依頼人の平瀬愛美は、幼少期から家族に疎まれ、自信がなく、会社の人間関係で悩み、4年前から鬱病を発症していた。その頃、無理矢理誘われた会社の飲み会で気持ち悪くなるも、同僚に置き去りにされる。

 過呼吸になっているところを、偶然通りすがった人気アイドルの水城サヲリに介抱される。それを機に、愛美はサヲリのファンになる。

 サヲリが3ヶ月前に心不全で亡くなると、愛美は死者と会わせてくれるという噂の使者(ツナグ)とコンタクトを取る。使者と名乗る人物は、無表情な男子高校生だった。彼は淡々と、生前は一回しか会えない、相手の了承が必要などの条件を説明する。愛美はその条件を了承し、正式に使者に依頼する。

 面会の日、品川の高級ホテルで使者の少年に会い、指定された部屋に向かう。そこには死んだはずのサヲリがいた。サヲリはあなただけが指名してくれたと言い、路上で助けたことは覚えていないが、贈られたプレゼントは覚えていると告げる。

 何で会ってくれたのかと質問する愛美に、サヲリは送られてきた手紙に死にたいと書いてあったから、死ぬのを止めるために会っていると説明する。

 すぐに謝る癖を治すようにと、すぐにこっちに来るのはダメだとアドバイスする。そして夜明けとともにサヲリは姿を消す。ロビーに戻ってきた愛美に使者が感想を求めると、「アイドルって、すごい」と答えるのだった。

長男の心得

 依頼人の畠田靖彦は、2年前に母のツルが癌で亡くなる前に、靖彦が高校3年のときに亡くなった父に使者を通して会ったと聞かされる。そして、家のことで悩みができたら自分を呼び出すよう言い残してツルは亡くなる。靖彦は山の権利書が見つからなかったため、ツルに会おうと使者に接触する。

 靖彦の一人息子である太一は、弟の子供に比べて頭が悪く大人しい子供だった。親族は太一を評価するが、靖彦はどう接していいかがわからない。

 使者と対面すると相手が高校生であったため、高圧的な態度をとり、親は知っているのかなどと質問する。使者はその場でははぐらかそうとするが、ツルとの対面日に靖彦と再会した際に、親はいないと告げる。それを聞いて靖彦も申し訳なさそうに謝る。

 ツルは靖彦を着物で出迎え、山を売るのは会うための理由作りと看破る。靖彦はツルに、死ぬ前に自分が癌だったのを知っていたかと聞く。靖彦は彼女が癌であったことを親族の限られた人にしか告げず、本人にも教えていなかった。

 ツルは靖彦が弟や息子のために色々と考え行動していると指摘し、靖彦は優しいと言う。過去にツルが夫に会った理由を聞かれると、親ならいつか分かると言って消えていく。使者に感想を聞かれた靖彦は、憎まれ口を叩いたあと、いつでも頼ってくれと名刺を渡す。

 数年後、ツルの日記に夫に太一を会わせに行ったと書かれていた。父は太一と会えたことを泣いて喜んだという。自分も太一の子にそう感じるのだろうかと思うのだった。

親友の心得

 嵐美砂は御園奈津と親友で、演劇部に所属していた。美砂は1年生の頃から役をもらえるほど演技力が高く、そのことに自信を持っていた。2人は帰宅途中に、ある家についている犬を洗う水道で、水を飲む習慣があった。また奈津は同級生のアユミくんを好いていた。

 奈津はいつも美砂を立ててくれていたが、奈津に対する周りの評価が高いことで不安を覚え始める。奈津はブランドにも詳しく、お喋りも人を惹きつけるものがあった。

 2年生が主役を演じれるようになると、美砂だけでなく奈津も立候補し、彼女が選ばれてしまう。裏方になった美砂は、奈津に嫉妬し別々に帰るようになる。怪我をすればいいと思うようになった美砂は、12月のある日、帰宅途中の水道を出しっぱなしにして凍らせようとする。

 翌日、奈津はその坂道の先で交通事故に遭い死亡する。救急車で残した最後の言葉は「嵐、どうして」だった。現場検証の結果、自転車のブレーキの故障が原因で、坂道は凍っていなかった。だが、美砂はわざと水を流した姿を、奈津に見られたと不安を覚える。

 噂に聞いていた使者と連絡をつけると、現れたのはアユミくんこと渋谷歩美だった。美砂は奈津がアユミくんの服装に抱いていた印象を、さも自分の考えの如く発言してしまう。

 奈津に会うと水道水をわざと流したことを知らなさそうなので、綺麗な記憶のままにしてあげたい、謝罪をすることは自分が楽になりたいだけと考え、謝罪せずにそのまま過ごす。

 別れる直前、奈津は歩美に伝言があるか聞いてくれと頼む。美砂はそれを聞くと、歩美は「道は凍ってなかったよ」と答える。全てを悟った美砂は、激しい後悔に苛まれ戻りたいと叫ぶが、どうすることもできず泣き崩れるのだった。

待ち人の心得

 9年前、土谷功一は強風で飛んできた看板で額に傷を負った少女と出会う。病院まで付き添うと、後日お礼に食事に誘われる。日向キラリと名乗る少女は、ご馳走するもお金が足りず功一にお金を借りる。

 二人は次第に仲良くなり同棲を始める。そして2年後、功一はキラリにプロポーズする。それを聞いたキラリは、バイト友達と旅行すると言ったきり姿をくらます。友達は旅行のことを知らず、彼女の住所も出鱈目だった。同僚の大橋や警察は騙されたのだと諭してくるが、プロポーズした時の嬉しそうな表情を思い出すたび、嘘をついているとは思えなかった。

 7年後、過労が原因で通った病院で老婆に出会い、使者の連絡先を教えてもらう。使者にキラリの僅かな情報と、偽名の可能性を伝えたところ、本人と連絡をつけてくれる。キラリの本名は鍬本輝子で、7年前のフェリー事故で亡くなっていた。

 当日、ホテルに到着するも、会うとキラリの死が確実になるため、怖くなって逃げ出してしまう。近くの喫茶店にいると使者が現れ、後悔するぞと叱責する。

 キラリに会うと実家は熊本で、出会った当時の年齢は17歳であったと告げられる。当時の彼女は家出したばかりの状態だったのだ。プロポーズされた時、両親に会って謝ろうと決意し、旅行と偽って熊本に行こうとしていた。

 何もできなかったと言う功一に、キラリは幸せだったと返す。クローゼットに大事な入れ物があるから、親に渡して欲しいと言い残す。大事な入れ物にある生徒手帳から実家の住所を知った功一は、キラリの両親のもとを訪れ、盛大に喧嘩しようと思うのだった。

使者の心得

 歩美の祖母アイ子は、病気で入院したのを機に、歩美に使者の仕事を継いでもらいたいと言う。使者になる前に会いたい人はいるかと問われると、両親のことを気にかけながら、時間が欲しいと答える。

 歩美が小学1年生の時、彼の両親は不審な死を遂げていたのだった。不倫を疑われた父が母を殺し、父は自らの舌を噛み切って自殺していた。

 使者の見習いとして働くことになった歩美は、平瀬愛美や畠田靖彦の仲介をする。複数の依頼主を相手にするうちに、死者と会うことが必ずしも幸せに結びつかないことを知る。その際、死者の魂を呼び寄せるのではなく、死者の記憶をかき集めて具現化させている印象を受ける。死者にとっては何も残らず、依頼主が救われるだけのエゴなのではないかと疑問を抱く。

 卒業式の日、歩美は奈津の追悼公演を観に行く。美砂の圧倒的な演技に魅了されるも、彼女は喜ぶこともなく一人孤独に立っていた。それを見た歩美は何も言わず帰る。

 功一とキラリの面会日、功一が逃げ出したことを知って、走って探しにいく。途中で愛美に会い、依頼して良かったと言われる。死者の面会にも意義があると悟った歩美は、功一を探し出し叱咤激励する。

 使者の力を受け継ぐ日、アイ子は一度父に力を譲ったのではないか、そして母が鏡を覗いてしまったため両親が死んでしまったのではないかと尋ねる。アイ子はそのことを認め、使者の仕事を誰にも言うなと父に言ったことが、母に浮気を疑われた原因だと泣いてしまう。

 歩美は父は使者の仕事を母に説明していたが、鏡を覗くなと伝えていなかったため、この事故があったのではないかと説明する。母は父が祖父と仲違いしていたのを知って、祖父に会わせようとして鏡を使おうとしたのではないかと予想する。アイ子は泣きながら納得する。

 歩美は両親と会うことはせず、使者の力を誰かに譲ったらアイ子に会うと宣言する。アイ子は、使者の力を歩美に引き渡す儀式を始めるのだった。

解説

単なる感動ポルノではない、ベストセラーになった理由

 本書は2010年に刊行された人気作家の辻村深月による連作短編小説である。2011年に吉川英治文学新人賞を受賞、2014年には松坂桃李を主演として映画化、さらに2019年には続編となる『ツナグ 想い人の心得』が刊行された。刊行当時からベストセラーとなり、現在も多くの読者に愛読されている。

 題名の「ツナグ」とは生者と死者を「繋ぐ」という意味で、本書は死者と再び会うことができた人々にまつわる5つの物語である。生者と死者を仲介するのは、使者見習いの渋谷歩美。4話は死者との再会を歩美に依頼した人々の視点から、もう1話はそれらの物語を歩美の視点で語り直したものである。

 死者との再会という奇跡のような体験は、ともすれば感動ポルノになりがちだ。突然死した彼女や、若くして亡くなってしまった両親、そのような大事な人物との再会を感動的に描くのは、もちろん高度な技術が必要だけれども、比較的容易いように思われる。実際、第四話の「待ち人の心得」は、プロポーズをした後に突如消息をたった身元不明の彼女が、彼のためにとった行動が原因で事故に巻き込まれて亡くなっていたことが彼女との再会で明かされるという物語で、このあらすじだけでも泣けてしまう。

 だが、感動ポルノ小説としての枠に全く収まることがないのは、それぞれのエピソードが必ずしもハッピーエンドに繋がるということではないからであろう。特に、第3話「親友の心得」で描かれる再会後の美砂の後悔は読者の心にズシリとのしかかる。美砂は奈津と再会し、彼女の記憶を綺麗なままにしようと決意して、直前で謝罪することを止めた。しかしながら、その心の機微は奈津には届かない。想いを伝えようとした再会で、しかも二度と訪れることはない奇跡のような時間の中で、2人の心は交わることはなく、永遠の後悔を抱えて生きていく。死者との再会は、死者との決定的な断絶を生じさせもするのだ。

考察・感想

死者との再会は生者のエゴなのだろうか

 生前に伝えることのできなかった想いやかけることのできなかった言葉を、その人が亡くなった後になら発することができるのだろうか。会うことのできなかった者への感謝、親友への妬み、余命を伝えることのできたなかった後悔、傷つけないためについた嘘。もう二度と会うことができないと思われた死者との再会に、依頼主は思いの丈をぶつけようとする。しかしそれは、生者の単なるエゴではないだろうか。

死者に会うことで、人生を先に進める人たちがいる。占いに頼るように、自分の生活に彩りを与え、心残りを解消する。それは、何食わぬ顔で使者の存在を消費し、軽んじるのと同じではないだろうか。その考えは、どうしようもなく驕ったものだという気がした。(p.399)

 奇跡のようなこの現象には幾つかの制約がある。生者は一度しか死者に出会えず、生者は一度しか死者に出会えない。つまり、双方が唯一の機会を使用するにふさわしい相手だと認めた時にのみ、二人は会うことができる。だが、この一回きりの出会いの価値は、生者と死者で異なる。

別にどうも。死んでから今日までの『間』がないって感じかな。自分の部屋で寝たことと、苦しかったことの次がもう今日、みたいな。うまく言えないけど、どこか冷たい場所でずっと眠ってたような感じ(p.62)

死者は死のあとの感覚がない。死後の世界には時間という観念もなく、呼び戻された瞬間と死ぬ瞬間は感覚的に繋がっている。だから呼び戻された死者は、歩美が言うように「死者の魂そのものというよりも、まるでこの世に残った、かつて「彼女だったもの」」(p.393)と考えた方が正確なのかもしれない。呼び出された者は死者の魂ではなく、依頼主の記憶や願いの集積である。だが、そうであるならば、やはりこの儀式は生者のエゴという他ないのではないか。

死者のためにできることと、生者のためにできること

 でも、「それが、生者のためのものでしかなくとも、残された者には他人の死を背負う義務もまたある。失われた人間を自分のために生かすことになっても、日常は流れるのだから仕方ない」(p.416)と、歩美は考えを改める。これには、新海誠監督の『星を追う子ども』にでてくる「生きているものが大事だ」という台詞に共鳴する部分がある。この作品が公開されたのは『ツナグ』が刊行された1年後の2011年だった。死者に対する冒涜や自己満足をひっくるめた上で生者の生き方を模索すること。その問いは、時代を共にしたこの二つの作品に共通している。

死者は、残された生者のためにいるのだ。(p.424)

 死者のために真意や真相を暴くことは、死者の倫理を守るために必要だ。しかし、死者のために行動することが一つの倫理であるように、生者のために事実を偽ることも、また一つの倫理となり得るのだ。歩美は両親の死の真実を歪めてでも、いまここで生きているアイ子のために嘘をつく。もしかしたら、両親の死はアイ子のせいでも、浮気の疑いがあったからでもなくて、それどころか、相手のことを想い合っていた結果なのではないか。この作り話は死者の冒涜になるのだろうか。おそらく、なる。だが「死者は、残された生者のためにいるのだ」という確信が、歩美を一歩先へと進ませる。

 イギリスの作家のイアン・マキューアンの『贖罪』もまた同じような問いを提起している。生者による死者の物語の捏造は、罪だけを生じさせるのではない。そこには同時に、贖罪の契機も含まれているはずだ。死者と生者をめぐるこの5つの物語は、生者のエゴと死者の赦しを問い、これから生き続ける人々を明るく照らしている。

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