『かもめのジョナサン』解説|自己啓発と宗教のかおり|あらすじ内容感想・伝えたいこと考察|リチャード・バック

『かもめのジョナサン』解説|自己啓発と宗教のかおり|あらすじ内容感想・伝えたいこと考察|リチャード・バック

概要

 『かもめのジョナサン』は、1970年に出版されたリチャード・バックの寓話小説。挿入されるカモメの写真はラッセル・マンソンによる。

 当初は全3部構成で出版されたが、2014年に元々書かれていた第4部を収録して「完全版」を発表した。

 群れから追放されてでも飛ぶ技術を極めようとするかもめのジョナサンは、その思想を世界中のかもめに広めようとする物語。

 小説はほかに、カミュ『異邦人』、キャロル『不思議の国のアリス』、サン=テグジュペリ『星の王子さま』梨木香歩『西の魔女が死んだ』、宮沢賢治「注文の多い料理店」「やまなし」、辻村深月『ツナグ』などがおすすめである。

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登場人物

ジョナサン・リヴィングストン:飛ぶことを極めようとするカモメ。この思想のせいで群れから追放される。

サリヴァン:天国にいるカモメの教官。

チャン:長老。瞬間移動を会得している。精神が如何に重要かをジョナサンに教える。

フレッチャー:ジョナサンの一番弟子。ジョナサンがいなくなった後も、彼の思想をカモメたちに広める。

マーティン・ウィリアム:ジョナサンの弟子。低速飛行の名手。

アンソニー:ジョナサンが神格化された群れの中で、形骸化した儀式に不満を覚える。自殺を図ろうとしたところ、ジョナサンが現れ救われる。

名言

空間を克服したあかつきには、われわれにとって残るのはここだけだ。そしてもし時間を征服したとすれば、われわれの前にあるのはいまだけだ。そうなれば、このここいまとの間で、お互いに一度や二度くらいは顔をあわせることもできるだろう。そうは思わないか、え?(p.86)

あらすじ・内容

第1部

 カモメのジョナサン・リヴィングストンは、餌を得るためだけに飛ぶ他のカモメとは違う考えを持っていた。彼は飛ぶ行為自体に価値を見出し、高度な飛行法を独自に編み出していく。

 まず、低速飛行を試み、停止しそうなほどゆっくり飛ぶ技術を身につける。彼は食事のために生きることはせず、骨と羽だけになるまで痩せていた。親から飛ぶことを諌められるが、彼は構わず新たな技術を編み出そうとする。

 次に高速で飛ぶことを目標にしたジョナサンは、上空に飛び立つと一直線に急降下し、体勢を立て直すという練習を重ねる。一度コツを掴むと、カモメ史上最高速度で飛ぶことに成功する。

 ある日、カモメの「評議集会」に呼び出され、飛ぶことを極めようとする姿勢を糾弾される。反論するものの理解されず、群れから追放される。

 ひとりになったジョナサンは、飛ぶ練習を続けていた。そこに光り輝く2羽のカモメが現れ、ジョナサンをより高次の世界に連れていった。

第2部

 ジョナサンはこの高次の世界で、飛行を極めたカモメたちを見つける。最初は他のカモメよりも劣っていたが、そこでも高度な飛行術を練習し徐々に高い能力を身につける。

 さらに、長老チャンに師事することで、物質と精神の関係を理解し、瞬間移動の技を身につける。そのことで他のカモメからも一目置かれるようになる。チャンがより高次の世界に旅立つと、元いた世界のカモメたちにこの技術を伝授したいと思うようになる。

 ある日、下界におりたジョナサンは、飛行を極めようとして社会から追放されたフレッチャーの元を訪れる。フレッチャーはジョナサンの神々しさと飛行技術に驚き、彼に弟子入りする。

第3部

 ジョナサンはフレッチャーを引き連れて、飛ぶことを極めるという思想を下界に広めようとする。社会から追放されたカモメたちはジョナサンを師事し、少しずつ仲間が増えていく。

 ある日、ジョナサンたちは元いたカモメの群れに向かう。そこで高度な飛行技術を披露すると、次第にジョナサンに教えをこうカモメが現れる。

 仲間を増やしたジョナサンだったが、瞬間移動をしたことで、悪魔と恐れられてしまう。ジョナサンは弟子たちに思想を広めるよう言い残し、どこかへ消えてしまう。

第4部

 長い年月が流れた後、ジョナサンは神格化されるにいたった。ジョナサンに直接教えてもらっていたものがいたときは、まだ正しくジョナサンの思想を広められた。

 だが、彼らが死ぬと、ジョナサンの思想は歪められて広まってしまう。さらに時間が経つと、群れは飛ぶことに懐疑的な組織になり、ジョナサンの思想と真逆のものになってしまった。

 そんな中、全てが形骸化した群れに対し疑問を持つ若いカモメのアンソニーが現れる。アンソニーはジョナサンの存在を神話に過ぎないと考え、群れに対して懐疑が深まる。

 疎外感に耐えきれなくなったアンソニーは自殺を図ろうとするが、そこにもの凄いスピードで飛ぶカモメが現れる。アンソニーはそのカモメに美しいと声をかけ、何者かと問いかける。そのカモメは、自らをジョナサンと名乗るのだった。

解説

ヒッピー文化とマッチしてベストセラーに

 ここで描かれているのは、何かのメタファーなのか、それとも単なる寓話なのか。この書物は飛ぶという行為を極めようとした一羽のカモメの物語である。

 本書は2023年現在、世界で4000万部以上の出版数を記録している。日本でも270万部以上も売れていて、愛読している読者も多い。このように世界的ベストセラーを記録した『かもめのジョナサン』だが、出版当時はこれほどまで読まれるとは誰も予想をしていなかった。アメリカで出版されたのは1970年のことで、当初はそこまで売れていなかったのだ。だが、口コミで評判が徐々に広がり、ヒッピー文化と接続することで爆発的に売れることになった。

 出版されてから2年後の1972年に入ると、ヒッピーが買い漁り大ヒットを記録する。1973年には本書を原作とする映画が制作され、1974年になるとアメリカで『風と共に去りぬ』の記録を抜く1500万部のベストセラーになった。出版されてからわずか4年のことである。

 しかし、ヒッピーたちは本書のどこに心を揺さぶられたのだろうか?

物語内容と本書の広がり方の類似点

 本書の広がり方は、図らずもこの物語の構造と酷似している。

 第三部でジョナサンは、カモメの人生は飛ぶことにあるという「思想」を下界のカモメたちに教えようとした。それは忍耐が必要な仕事であって、この思想の意味を理解するものも僅かであった。しかし、評判が評判を呼び、一羽また一羽と仲間が増えていく。思想は静かにでも着実に広がっていった。そして物語におけるこの思想の広がり方と、現実における本書の広がり方は大変よく似ているのだ。

 ここで注意しなくてはならないのは、ヒッピーたちに読まれていた当時、本書は第三部で終わっていたということである。第四部は元々執筆されていたものの、出版時には収録されていなかった。 2012年に作者のリチャードが飛行機事故をおこし重傷を負ったことで、幻の第四部を発表することを決意し、2014年に「完全版」として刊行された。

 第四部で描かれるのは、ジョナサンが広めた「思想」が長い年月をかけて形骸化し堕落していく様子である。最初から第四部が収録されていたら、本書がヒッピーたちの心を掴んだかはかなり怪しい。ヒッピーはおそらく、第三部までに描かれる精神的かつ宗教的な寓話に魅了されたのである。

考察・感想

宗教と自己啓発

 本書が宗教的な読みを誘うのは致し方ない。イエス・キリストのように思想を布教するジョナサン、思想を教えてもらう7人の弟子たち、下界から天界へという世界観。そこかしこに散りばめられた宗教色に、思わず深読みをしたくなる。

 ただ、この寓話をキリスト教のメタファーだけに収まるものではない。訳者の五木寛之は法然や禅といった東洋の思想を感じたと記しているし、キリスト教の異端的潮流ニューソートの思想が反映されているとも指摘される。本書は正当なキリスト教だけではなく、さまざまな思想と宗教の影響を受けている可能性がある。

 どちらにしろ、何かしら宗教めいた印象を受けるのは間違いない。事実、ヒッピーたちは本書の精神的かつ宗教的な側面に惹かれ自己啓発本のように受容したし、オウム真理教の村井秀夫は「かもめのジョナサンの心境になった」といって入信したようなのだ。

身体の無関心と精神の優位性

 ジョナサンの関心は一貫して飛ぶことにあるけれど、向上させる能力は身体から精神へと徐々に移行していく。

極度の集中力を発揮して目をほそめ、息を凝らし、強引に……あと……ほんの……数センチだけ……翼のカーヴを増やそうとする。その瞬間、羽毛が逆立ち、彼は失速して墜落した。(p.20)

ジョナサンはわずか「数センチ」の身体のカーブに異常なこだわりを見せる。それは高度な飛行を成し遂げるという目的しているが、逆から見れば、この目的を達成するためには身体を自在に操る必要がある。

 だからこそジョナサンの身体に対する無関心が気にかかる。ジョナサンは両親に「どうして餌を食べないの?あんたったら、まるで骨と羽根だけじゃないの」(p.22)と問われても一向に気にしない。身体に無関心でいるにも拘らず、身体を自在に動かそうとする努力は、必然的に身体を制御する精神の次元に関心を移す。そして身体よりも精神を、欲よりも忍耐を極めたジョナサンだけが、天国へと迎えられるのだ。

 精神力を高めることと飛ぶことを極めることは、一見すると前述の回路以外に繋がりがない。しかし第二部で明かされるのは、念じれば移動できるという、精神と飛ぶことの奇妙な結びつきである。瞬間移動を覚えたジョナサンは、さらに高次の存在として天国のカモメにも尊敬されるが、身体をわずかに曲げることで高度な飛行を成し遂げた冒頭のジョナサンから、なんと遠くに来たことか。

 冒頭のジョナサンはどこか職人肌なところがあった。飛行機の部品を変えることで最高速度を達成しようとする職人のようなそんな印象があった。だが、本書が目指す先は、そのようなフェティッシュの快楽ではなく、もっと精神的なものであり、この精神力を高めれば身体を超越できるという思想である。

幻の第四部と物語の円環構造

 問題の第四部では、長い年月を経ると思想は堕落するという悲惨な現実を示そうとする。

 ジョナサンに直接教えられた弟子たちがいたときは、思想は正しく受け継がれていたが、彼らが年老いていくと次第に思想がなおざりにされるようになった。そして思想は歪曲されて受け継がれ、ジョナサンは神格化され、集まりは儀式と規律で形骸化する。

 これはキリスト教の布教の寓話である。重要なことは、思想の退廃から新たなジョナサンが、つまり冒頭にいたジョナサンのような人物が生まれるということだ。形骸化した組織に違和感を持つアンソニーは、若かりし頃のジョナサンと同じ立場にいる。第四部の終わりは第一部の終わりと同型であり、いわば物語は円環しているのである。

ああ、楽しく飛んでただけだよ。急降下、急上昇から、緩横転して、頂点で横転宙返り。ただの暇つぶしさ。(p.157)

突然訪れたジョナサンは、飛ぶことに生きていた。彼は長い年月を経て多くのカモメたちが亡くなってなお、「楽しく飛」ぶことに邁進していたのだ。一途に思想を追求する姿勢は、周囲を巻き込み広がっていく。そして思想が堕落したとしても、何度でもまた始まるのだ。

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