概要
宮沢賢治の童話小説。1924年の短編集『イーハトブ童話 注文の多い料理店』に3番目の作品として収録されている。元々12巻刊行する予定であった『イーハトブ童話』の第一巻となる予定であったが、思うように売れなかったため、その計画は断念される。
教科書に採用された小説としては他にヘッセ「少年の日の思い出」、中島敦「山月記」、太宰治「走れメロス」、夏目漱石『こころ』「夢十夜」、芥川龍之介「羅生門」「蜘蛛の糸」「芋粥」、梶井基次郎「檸檬」、魯迅『故郷』、ワイルド「幸福な王子」、志賀直哉『城の崎にて』などがある。
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登場人物
二人の若い青年:山に猟をしに遊びに来た人間。注文の多い料理店に入る。
山猫たち:注文の多い料理店を営んでいる。実は青年たちをだまして食べようとしている。
あらすじ
二人の若い青年が山奥に狩りをしに来ている。早くタンタアーンと獲物を仕留めたいとのこと。しかし獲物は一向に現れず、連れてきた白熊のような犬たちもめまいを起こして死んでしまった。しかたがないから帰ろうとすると、帰り道が分からない。風がどう、草はざわざわ、この葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴っている。
ふと後ろを見ると立派な西洋造りの家があり、玄関には RESTAURANT 西洋料理店 WILDCAT HOUSE 山猫軒という札が出ている。ちょうどいいということで二人はこのお店に入ることにする。
料理店には扉が多く、しかも扉にいちいち何かが書いてある。「決してご遠慮は入りません」「若く太った方大歓迎」「当軒は注文の多い料理店です」などなど。青年が中に進んでいくと早速注文が入る。「髪をきちんとして履き物の泥を落としてください」。青年らは「よっぽど偉い人たちがたびたびくるんだ」と拡大解釈して中に進んでいく。
その後も勘違いを続けながら進んでいくのだが、最後の注文「からだに塩をたくさんよくも見込んでください」でようやくおかしいことに気づく。たくさんの注文というのは向こうがこっちに注文しているのだ。自分たちが食べられる側であることを察し、がたがた震え出す。戸の向こうから声がして「早くいらっしゃい、いらっしゃい」というので、青年たちはあんまりにも心を痛めて顔がくしゃくしゃの紙屑のようになる。
それでも「いらっしゃい」というので、泣いて泣いて泣いて泣いていると、死んだはずの白熊のような犬が登場。勢いよく扉の向こうへと駆け込んでいく。「にゃあお、くゎあ、ごろごろ」。すると、部屋は煙のように消え、二人は草むらに立っていた。そこに「旦那あ」といって助けに来た猟師が登場する。二人は安心して山を出て東京に帰っていった。
しかし東京に帰っても、紙屑のようになった顔だけは元の通りにならなかった。
解説
文明批判とおかしみ
『注文の多い料理店』の特徴は二つである。文明批判と宮沢賢治ならではのおかしみ、滑稽さである。
文明批判についてはすでに言及が多い。というのも、『注文の多い料理店』の広告ちらしにこう記されているからである。
二人の青年 神(「紳」の誤植)士が猟に出て路を迷ひ「注文の多い料理店」に入りその途方もない経営者から却つて注文されてゐたはなし。糧に乏しい村のこどもらが都会文明と放恣な階級とに対する止むに止まれない反感です。
『広告文』
この文面を宮沢賢治が考えたものだとすると、『注文の多い料理店』には「都会文明と放恣な階級」に対する批判が込められていることがわかる。確かに読むとそうだなと思うだろう。イギリスの兵隊を真似た西洋かぶれの青年は、最後に分かるが、東京から猟を楽しみに山にやってきている。途中連れてきた犬が死んでしまうが、その死に感情は揺さぶられず、片方は2400円もう片方は2800円の損だ、と金換算するのである。しかも態度は横柄だ。最後の場面を思い出そう。助けに来た猟師に対して「おおい、ここだぞ、早く来い」である。この都会人の横柄で冷淡な輩が山猫に喰われそうになる話なのだから、そこに都会文明に対する批判を読み取ることができるだろう。
もう一つが独特のおかしみ、ユーモアである。題名からしてユーモアに溢れている。「注文の多い料理店」と聞くと、単純に、こうしてくださいああしてくださいという注文が多いというふうに聞こえるだろう。もちろんこの注文の多い料理店である山猫軒もそうである。しかし実は、皆さんも知っている通り、注文をする側と注文を受ける側が普通の店とは逆なのである。普通は、注文するのは「お客」であり、注文を受けるのが「お店」だ。しかし山猫軒ではお客自体が食事なので、注文するのが「お店」で、注文を受けるのが「お店」だったのだ。しかしそのことに途中まで青年たちはまるで気づかない。むしろ自分たちに都合の良いように合理化してしまうのだ。例えば「髪をきちんとしてそれから履き物の泥を落としてください」という要求に対して「作法の厳しい家だ。きっとよほど偉い人たちが、たびたび来るんだ」と考えしまう。
最初は読者にも気づかないような仕組みになっている。最初の要求は「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」である。これだとまだ酔っ払いでも大丈夫だということかな、ぐらいに解釈できるだろう。ここではおそらく読者も山猫軒が注文していることに気づかない。しかし「ことに肥った方や若い方は大歓迎します」でおやおや?となり、「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください」「注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえて下さい」に至ってはなんのことを言ってるんだ?と流石に訝しることになる。ここらへんで読者はおかしいと気づくはずだ。しかし青年たちは全く気づかない。気づかない間、読者はずっとその愚鈍さをクスクスと笑っていられることができる。「すぐたべられます」という言葉は、読者からすれば受け身の意味だということがわかるはずだが、青年たちにとっては可能の意味である。とにかく愚鈍なのである。それで策略に気づいた時には時すでに遅しで、原型にもどらないほど「顔をしわくちゃ」にしてしまうのだ。
この独特のユーモアが非常に面白い(これでも一応「童話」である)。『注文の多い料理店』の他にはない味わい深い特徴である。
滑稽な青年たちと間抜けな山猫たち。
さて、さきほどの『広告文』があるので、なるほどこの本は都会文明に対する批判なんだなと考えられてきた。もちろん都会文明の象徴もかなりはっきりしている。二人の若い青年のことである。
しかしそうすると、反感をもったこどもらとは誰のことなのか。山猫と考えるとものすごくすっきりとした二項対立が出来上がる。文明の反対は「自然」である。「文明」が青年二人に代表されるなら、「自然」は山猫に代表されるということだ。宮沢賢治は自然を愛した作家である。しかし、そんな簡単な話なら山猫が青年を食べてそれで終わりでいいだろう。しかしそうはならない。
自分が料理される側なのに気づかない青年はかなり滑稽だが、山猫もそれに負けず劣らず間抜けである。親分も子分もである。子分は言っている。
あたりまえさ。親分の書きようがまずいんだ。あすこへ、いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう、お気の毒でしたなんて、間抜けたことを書いたもんだ。
あったりまえだのクラッカー、それだけでなく全体的に要望が気づかれそうな文章であり、実際気づかれている。体に塩を揉み込め、はいくらなんでもないだろう。しかしながら子分もどんぐりの背比べである。子分たちは青年に騙していることがバレると、到底だれも騙すことのできない誘い文句を並べ立て、結局失敗する。
いらっしゃい。お皿も洗ってありますし、菜っ葉ももうよく塩でもんで置きました。あとはあなたがたと、菜っ葉をうまくとりあわせて、まっ白なお皿にのせるだけです。はやくいらっしゃい。
そんなんだから、山猫は青年たちを取り逃すのである。
山猫は一体何をしたかったのだろうか。実はあれは狩りであり、青年と山猫は対立するというより似たもの同士なのだと考えることができる。青年たちが狩りを楽しんでいるように、山猫の親分も狩りを楽しんでいる。田近洵一が指摘するように、山猫は「決して賢治が交歓し、融合し、同化したいと願った自然」ではない(田近洵一「童話『注文の多い料理店』研究」『日本文学』1977年7月号、23頁)。
山猫の世界にも親分がいて子分がいる。親分は「骨も分けてくれない」らしい。なのに子分が責任を取らされる。なかなか残忍じゃないか。その残忍さは文明も自然も同じなのだ。なるほど、たしかにこの話は文明批判である。しかし反感は、山猫に託されているわけではない。
最初から最後まで青年たちは横柄だった。喰われそうになった恐怖の体験をしたのに、青年の心は最後まで変わらなかった。人間そんな簡単に変わるものではない。でも変わってしまったのがある。それが顔である。
石原千秋が漱石を解説した文章の中の「消費者にとって、都市は広告とモノの価格として現れる」という言葉を引っ張ってきて、反感は「外面性」にむけられるべきであり。その代表が顔であるとしたのは秦野一宏である(「宮沢賢治と言葉ーー『注文の多い料理店』考」29頁)。顔のしわくちゃだけが治らないなんてそんなうまい話はない。だからこそ、そこには願望込みの反感が透けて見える。心は変わらないけれど、都市のなかで一番大事な広告としての顔を変えてしまうことで、宮沢賢治はちょっとした隙間をこの作品に埋め込んだのだ。
感想・考察
糧に乏しい村のこどもらはどこに?
自然が山猫というのは無理がある。というのも彼らは犬にやられているからである。しかもこの矛盾はどう頑張っても解きほぐせない。
それでは「糧に乏しい村のこどもら」をどう考えたら良いのか。ここからは想像力を広げておもしろく感がてみたいと思う。
もう一度『注文の多い料理店』について考えてみると、この話がとても幻想的な話だということに気づく。死んだ犬は生き返る。山猫軒は突然消える。村上春樹の『海辺のカフカ』がふと思い出される。『海辺のカフカ』では最終盤で森の奥で兵隊さんに出会い、森の奥の別の世界に入り込むことになるのだが、これも似たような感じなのではないか。山奥まで行くと、いつの間にか別世界に迷い込んでしまっている、あるいは山猫が作り上げた幻想世界に迷い込んでいる。だから最初についてきた猟師はいつの間にかいなくなる。そうすると、犬が死んだのも錯覚であり、そのように見せられているだけで本当は生きている。山猫軒が騙していることがばれると幻想世界が崩れ、犬に侵入されることで崩壊し、消えて無くなる。猟師も青年たちが現実に戻ってきたので助けることができる。
この犬と猟師に関して心理描写はほとんどないが、実際この話で一番健気なのは猟師と犬である。彼らは労われることもないが、青年を助ける。ほっこりもしないが健気である。
例えば「こどもら」というのは、この猟師の村のこどもらのことで、西洋かぶれの都会人がずかずかと山に入ったり東京に帰っていったりするのを見て、想像の中で山猫を出現させて倒そうと夢想したお話、ぐらいに考えると面白いのではないだろうか。青年たちは東京に帰るときに宿屋で10円の山鳥を買って帰っていく。子供たちの目の前で10円の山鳥を買っていくのだがら、このシーンだけは話の筋として外すことができない。青年が山に入っていって、帰りに山鳥を買って東京に帰る。山で何があったのかは想像の世界である。そこに反感を込めると、宮沢賢治『注文の多い料理店』の出来上がりである。さて、どうなのでしょうか。
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参考文献
宮沢賢治『注文の多い料理店』https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/43754_17659.html
秦野 一宏「宮沢賢治と言葉ーー『注文の多い料理店』考」(『海保大研究報告 第 62 巻 第1号 ― 1』1ー30頁)、海上保安大学校、2017年。