『海辺のカフカ』あらすじ解説【考察】 メタファーとソリッドなもの

『海辺のカフカ』あらすじ解説【考察】 メタファーとソリッドなもの

概要

村上春樹の長編小説。カフカとナカタの二人の主人公の物語が同時にパラレルに進行するのが特徴である。2002年、新潮社から上下二分冊で刊行。2005年に文庫化。

2005年英語版が「ベストブック十冊」および世界幻想文学大賞に選出。これまでに蜷川幸雄により二度舞台化されている。

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登場人物

田村カフカ(僕)
『海辺のカフカ』一人目の主人公。「父親を殺し、母と姉と交わる」と父親に宣告され、家出を決意する。カフカは偽名。

カラス
カフカにアドバイスを与える謎の少年。

大島
甲村記念図書館の司書。21歳。性的少数者である。カフカに図書館に泊まればいいとアドバイスをくれる。

佐伯
甲村記念図書館の館長。50歳を過ぎている。20歳の時に恋人が亡くなっている。カフカに母親ではないかと思われている。

さくら
カフカが夜行バスで出会った女性。

ナカタサトル(ナカタ)
もう一人の主人公。知的障害があるが、猫と会話できる。

星野
ナカタと一緒に旅をするトラック運転手の青年。中日ドラゴンズのファン。

ジョニー・ウォーカー
通称「猫殺し」、近所の猫をさらって殺していた。ナカタさんに殺される。

あらすじ

 「僕」こと主人公の一人の田村カフカは、東京都中野区に住む15歳の中学三年生である。父親にかけられた「お前はいつか自分の手で父親を殺し、母と姉と交わるだろう」という宣言を振り解くため、カラスと呼ばれる少年からアドバイスをもらいながら、家出をして夜行バスで四国へ旅立つこととなる。

 さて、この本のもう一人の主人公がナカタである。 ナカタは、小さい頃の事件で脳に障害が残っており、読み書きが苦手で知的障害がある。 そのかわりナカタさんは、猫と話すことができるという変わった能力を得ていた。 そんなある日ジョニー・ウォーカーという猫殺しをしている人物を発見し、その男を殺害してしまう。 それがきっかけで旅に出ることになる。そしてその旅の途中でトラック運転手の星野と出会い、彼とともに「入り口の石」を探し始める。

 カフカは、四国に着いてしばらくは、ホテルとジムと図書館とを往復して規則正しい生活の日々を過ごす。しかし、ナカタさんがジョニー・ウォーカーを殺した日の次の日に、いつのまにか自分が森の中で血だらけで倒れていた。 驚いたカフカは、夜行バスの中で知り合ったさくらに連絡し、さくらの家に泊めてもらうことになる。翌日からは通っていた甲村記念図書館に、司書の大島、館長の佐伯さんの承諾を得て寝泊りすることに。カフカは佐伯さんが自分の母親なのではないかと考えるようになるが、その過程で佐伯さんの幽霊とある仕方で関係をもつようになる。

 一方ナカタさんは甲村記念図書館へとたどり着き、佐伯さんと出会う。佐伯さんはナカタにこれまで書いてきた記録を処分してほしいとお願いされ承諾する。ナカタが高村記念図書館を出ると、佐伯さんは机に突っ伏すようにして亡くなっていた。

 その頃、ニュースでカフカの父が殺されたことが報道され、それを知った大島はカフカに森の隠れ家を提供する。 そのカフカに身を潜めていたカフカは、ふとしたことからその森の奥へと進むことになる。森の奥でカフカは二人の兵隊に出会い、彼らに導かれて森を抜けた先の小さな街にたどり着く。そこでカフカは佐伯さんと出会い、元の世界に戻るよういわれる。承諾したカフカは、元の世界に戻ることを決意する・・・・・・

『海辺のカフカ』第49章のあらすじ

 『海辺のカフカ』第49章はこの本の最終章でクライマックスなのだが、今回はこの章のメタファーとソリッドに焦点をあてて考察してみたい。まずは第49話の展開を追ってみよう。

 『海辺のカフカ』では、最終盤になって主人公のカフカが兵隊のいる山奥の森の中で過ごすことになるのだが、第49章ではすでに兵隊のいた山奥の森からは降りている。そこに大島さんというカフカの知り合いの兄が向かいにきて、図書館まで連れて帰ることになる。トラックの中でお兄さんと会話が始まり、お兄さんも森に入って兵隊と出会っていたことがわかる。しかしそこで何をしていたかは隠される。隠されるというよりも、実際は「言葉で説明してもそこにあるものを正しく伝えることはでいないのだから。本当の答えというのはことばにできないものだから」伝えないのだという。しかもお兄さんの考えの面白いことは「自分に対しても、たぶんなにも説明しないほうがいい」ということだ。自分だけが知っている事実というのものがあって、それは自分だけしか原理的に知ることができないのだがら、他人に伝えることはできない、のではない。そもそも本当のことは誰も知らないのだ。厳密に言えば、知らないのではなくて、言葉にならならないものだ。そういう事実があって、僕たち人間がいる。

 そして微妙な進展のない会話を繰り広げたあと、甲村図書館まで戻ってきてそこで大島さんと対面する。

考察①:可能性としての世界はあるのか

 図書館に着くとまず佐伯さんが亡くなったことを知らされる。これはカフカには「わかっていたと思う」ようなことだったのでそこまで驚かない。そして図書館の話になる。大島さん曰く、ぼくらはみんな頭のなかに図書館を持っていて、そこに大事な記憶だとかを保存している。そうはいっても日々大事なものを失い続けるわけだが。しかしそうした図書館は、その人自身の同一性のようなものを作り出す。「言い換えるなら、君は永遠に君自身の図書館の中で生きていくことになる」。この図書館が後のソリッドな図書館と深い関係を結んでいる。

 そして佐伯さんの部屋に行くことになり佐伯さんの話に移行する。彼女がその書斎で何を書いていたかは誰も知らない。しかし言えるのは、大島さん曰く「彼女はいろんな秘密を呑みこんだまま、この世界からいなくなってしまった」ということである。そこにカフカは心の中で付け加えている。

(下)522頁

 実際そうで、佐伯さんは結局のところカフカの母親だったのかどうかは分からない。これはカフカにとっては仮説が仮説のまま永遠に立証されなくなったということだろう。これは、他に『ねじまき鳥クロニクル』を念頭に置いて言うのだが、村上作品にはよく出てくる何かだ。なにかが常によく分からないものとして残る。それと同時にその分からないものに対してある種の肯定した姿勢も登場人物は示す。つまりそれらは「言葉にならない」から分からないのであって、最初から分からないものとしてそこにあるからだ。仮説があったとしてもそれが必然的に立証されるものなのかどうか、村上の作品を読むと、その問いに対して頭を縦に振ることはできなくなる。

考察②:メタファーとソリッドなもの

 そして美しい大島さんとの描写の後大島さんはこう言うのだ。

世界はメタファーだ、田村カフカくん

(下)523頁

 これは、あとで調べておこうと思うが、すでに『海辺のカフカ』のどこかででてきた言葉だ。世界は何かを暗示している。つまりそこにあるのとは別の意味を。しかし

でもね、ぼくにとっても君にとっても、この図書館だけはなんのメタファーでもない。
・・・・
とてもソリッドで、個別的で、特別な図書館だ。ほかのどんなものにも代用はできない。

同頁

  今回最も触れたいのはこの場面だ。ここに何か私は不思議な感触を持ったからだ。それは『ねじまき鳥クロニクル』と比較してのことだ。思うにだが、世界はメタファー的なことは、村上作品に一貫して言えることだと思う。例えば夢だ。夢は完全にメタファー的なものを持っているし、『ねじまき鳥クロニクル』でもそこになにかしらの暗示があるように思わせている。だからこそ最終的に夢の中に出てくる人が、自分の妻であると主人公は確信するわけだ。

 しかしながら、あっちではこのメタファーではない部分、ソリッドで、個別的で、特別な部分が強調されていないように思えるのだ。だからこそ最後は非常に不安定な形で幕を閉じる。主人公は妻を別のところで待つわけである。

 それに対して、カフカにはソリッドで、個別的で、特別な図書館がある。これは大島さんとカフカとの絆だ。こういったものは非常に精神に安定と安らぎを与えるものだ。というのも全てがメタファーということは、ある意味で全てが可能性ということであり、これはなんでも疑えるということだからだ。その不安定な足場を固定させるのが図書館だ。

 そしてまた図書館は記憶の倉庫でもある(これ自体はメタファーではないか?)。その意味で、図書館は大島さんとカフカの安定的な絆であると同時に、自分自身との絆でもある。世界はそこを中心に回っていくわけである。

 たぶんこういった安定的なものは『ねじまき鳥』にはなかったのではないだろうか(ただ図書館は『世界の終わり』の方にとてつもなく重要な意味を帯びたものとして、やはり記憶と関係のあるものとして出てきたのではあるが)。だかろこそ、カフカの最後は開放的で、前進というかポジティブなものを持っている。カフカは逃げて東京に帰るのではなくて、「本当にタフ」になって東京に帰るわけである。

 かといって全てがこの図式できっぱりと収まるわけでもなさそうである。自分の「悪いことは何も起こっていない」という発言に対して

、僕は自分にそう言い聞かせる。

(下)526頁

 そう言い聞かせる、ここが妙に心に響く。色々な仮説をのみこんだまま、は僕は付け加えるだけだった。しかし、そう言い聞かせる、とは、「悪いことはなにも起こっていないか?」というカフカの漠然とした気持ちを僕に読み取らせるのだ。メタファーが現実のメタファーであるなら、なにかしら現実との接点が、悪いことは起こっていないが、しかし起こっているとも言えなくもない、そんな感じではないだろうか。

 これらは雑多な感想である。村上春樹に関して論じた本などは山ほどあるだろう。今後書く機会があったら、それらの情報をせっせとこの下に積み足していきたい。

参考文献

村上春樹『海辺のカフカ(上)(下)』新潮文庫、2005年。

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