『海辺のカフカ』考察|メタファーとソリッドなもの|あらすじネタバレ・意味解説|村上春樹

『海辺のカフカ』考察|メタファーとソリッドなもの|あらすじネタバレ・意味解説|村上春樹

概要

海辺のカフカ』は、2002年に刊行された村上春樹の長編小説。

 2005年、英語版が「ベストブック十冊」および世界幻想文学大賞に選出。これまでに蜷川幸雄によって、二度舞台化されている。

 カフカとナカタの二人の主人公を軸に、二つの物語が並行して進行するのが特徴的。父の予言から逃れるために四国に向かうカフカの物語と、入り口の石を閉じるためにホシノと共に四国に向かうナカタの物語。

 村上春樹はほかに長編『街とその不確かな壁』『風の歌を聴け』『1Q84』、短編「神の子どもたちはみな踊る」「かえるくん、東京を救う」など有名である。

 哲学的小説はほかにカフカ『変身』、カミュ『異邦人』、安部公房『砂の女』、村田沙耶香『コンビニ人間』などがある。

 本作は「日本純文学の最新おすすめ有名小説」で紹介している。

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登場人物

田村カフカ(僕):『海辺のカフカ』における一人目の主人公。「父親を殺し、母と姉と交わる」と父親に宣告され、家出を決意する。カフカは偽名。

カラス:カフカにアドバイスを与える謎の少年。

大島:甲村記念図書館の司書。21歳。性的少数者である。カフカに図書館に泊まればいいとアドバイスをくれる。

佐伯:甲村記念図書館の館長。50歳を過ぎている。20歳の時に恋人が亡くなっている。カフカに母親ではないかと疑われている。

さくら:カフカが夜行バスで出会った女性。

ナカタサトル(ナカタ):もう一人の主人公。知的障害があるが、猫と会話できる。

星野:ナカタと一緒に旅をするトラック運転手の青年。中日ドラゴンズのファン。

ジョニー・ウォーカー:通称「猫殺し」。近所の猫をさらって殺していた。ナカタさんに殺される。

名言

あなたには私のことを覚えていてほしいの。あなたさえ私のことを覚えていてくれれば、ほかのすべての人に忘れられたってかまわない」(佐伯、p.379(下))

世界はメタファーだ、田村カフカくん
でもね、僕にとっても君にとっても、この図書館だけはなんのメタファーでもない。この図書館はどこまで行っても―――この図書館だ。僕と君のあいだで、それだけははっきりしておきたい(大島、p.425(下))

君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年になる(カラス)

あらすじ・ネタバレ

 「僕」こと主人公の一人の田村カフカは、東京都中野区に住む15歳の中学三年生。過去に母に捨てられ父と暮らすカフカは、父親にかけられた「お前はいつか自分の手で父親を殺し、母と姉と交わるだろう」という予言(=呪い)を振り解くために家出をする。そこで「僕」の中に存在するもう一人の自分、カラスと呼ばれる少年と対話を続けながら、夜行バスで四国へ旅立つことになる。

 もう一人の主人公ナカタは、小さい頃の事件が原因で知的障害が残っており読み書きが苦手になってしまったが、その代わりに、猫と意思疎通ができるようになっていた。ナカタは都から補助金を得ながら、近所の住人に頼まれた猫探しの毎日を送ってた。

 ある日、ジョニー・ウォーカーと名乗る人物が猫を殺している場面に遭遇し、その男を殺害してしまう。そのことがきっかけとなり旅に出ることになったなったナカタは、旅の途中でトラック運転手の星野と出会い、彼とともに「入り口の石」を探し始める。

 カフカは夜行バスでさくらという女性に出会う。四国に着いてからは、ホテルとジムと図書館の往復をする規則正しい日々を過ごす。しかし、ナカタがジョニー・ウォーカーを殺した次の日、気付くとカフカは森の中に血だらけの状態で倒れていた。驚いたカフカはさくらに連絡をし家に泊めてもらう。翌日、カフカは通っていた甲村記念図書館に向かい、司書の大島に泊めてもらえるようお願いする。図書館に泊まるためには館長の許可が必要ということで、高知にある大島の別荘に泊まることになる。

 しばらく高知で過ごしていると、館長の佐伯の許可がおりて図書館で寝泊まりすることになる。佐伯には20歳のときに許婚の甲村少年が無くなり、それ以降25年間行方不明になり、戻ってきて館長を始めるという過去があった。そしてカフカが寝泊りする場所は、過去に甲村少年が使っていた部屋だったのだ。ここでの日々を過ごすうちに、カフカは佐伯さんが自分の母親なのではないかと考えるようになる。毎晩部屋を訪れる15歳の佐伯さんの幽霊に恋をしたカフカは、佐伯さんの幽霊と関係を持つ。

 一方、ナカタさん星野と共に甲村記念図書館に辿り着き、佐伯さんと出会う。佐伯さんはこれまで書いてきた記録を処分してほしいとナカタに頼む。承諾したナカタが甲村記念図書館を出発すると、佐伯さんは机に突っ伏すようにして亡くなってしまう。

 カフカの父の殺害容疑で、警察はカフカを追っていた。そのことを知ったカフカは、大島の協力で高知の森の隠れ家に逃げ込み、そこでさくらを犯す夢を見る。隠れ家に身を潜めていたカフカは、ふとしたことから森の奥へと進むことになる。そこで戦争の演習中に行方不明になったという二人の兵隊に出会い、この場所には時間の概念がなく、「入り口」は少しの間しか開かないと教えられる。彼らに導かれて辿り着いた森の先にある小さな街には、15歳の佐伯さんや現在の佐伯さん、本のない図書館などがあった。佐伯さんは、自分は死んでしまったがカフカくんには生きていてほしいと伝え、「海辺のカフカ」というタイトルの一枚の絵を手渡す。そしてカフカは元の世界に戻ることを決意する。

 一方で、ナカタと星野は佐伯さんの記録を燃やす。するとナカタは眠るように亡くなってしまう。「入り口の石」を閉じる役を負った星野は、ナカタの亡骸と共にその時が来るのを待つ。ナカタと同じように猫と喋れるようになった星野は、猫から邪悪なものが入り口の石を狙いに来ると教えられる。その夜、奇妙な形をした白い物体が現れる。星野はなんとかそれを殺し袋に詰めて焼く。そしてナカタのことを警察に通報する。

 カフカは森を出て隠れ家に戻ると、そこには大島の兄がいた。一緒に図書館に戻ると、図書館は大島が引き継ぐという。カフカは東京に帰り、学校に戻ることを決意したのだった。

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解説

エディプス・コンプレックスと『海辺のカフカ』

 『海辺のカフカ』は2002年に発表された、村上春樹の10作目の長編小説である。カフカとナカタの二人の物語を軸に展開する本作は、豊かな想像力にあふれ力強い物語を描きながら、その豊潤なモチーフとメタファーのために、意味がわからないなどと言われてきた。しかし伝えたいことはちゃんとある。ここでは基本的な物語構成を確認しておこう。

 まず本作を貫く重要なモチーフは、エディプス・コンプッレクスである。エディプス・コンプッレクスとは、精神分析家のフロイトがギリシア悲劇の一つ『オイディプス王』から抽出した、人間に備わる無意識的な葛藤のことである。具体的には、母の所有を欲望し、父に対し対抗心を抱くという、幼児期における現状に対する心理的抑圧のことである。

 『海辺のカフカ』では、このエディプス・コンプッレクスが父によってカフカに明示される。ここで重要なのは、「お前はいつか自分の手で父親を殺し、母と姉と交わるだろう」という父の言葉が、抑圧として働くと同時に予言としても機能するということだ。カフカは父のこの発言を破るために四国に逃亡するが、図らずもそのせいで、この予言を完遂してしまう。つまり父の発言は抑圧でなく予言として機能し、田村カフカの人生はその予言をなぞるように動き出すのである。

『万延元年のフットボール』と旅小説

 上記のギリシャ悲劇『オイディプス王』だけでなく、『源氏物語』や『雨月物語』などの日本の古典も随所に題材として用いられている。さらにいえば、本作が日本を東から西へと横断する旅小説であることも重要であろう。旅小説は成長の物語と相性が良く、実際カフカは東京から四国へと旅にでて、東京に戻る頃には「世界でいちばんタフな15歳の少年」(p.8)に成長している。カフカは様々な人と交流しながら、四国の森の奥にある死後の世界(=異界)へと入り、何かを掴み取り成長して戻ってくるのだ。

 もう一つ指摘しておくべきは、ノーベル文学賞の大江健三郎の代表作『万延元年のフットボール』との類似点である。バスで四国に向かう点や近親相姦、そして森での出来事など驚くほど一致している。つまり村上春樹は日本を横断する旅小説を描く際に、日本近代文学の代表作を下敷きに物語を再構成しているのだ。

過去の長編の総決算——『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と『ねじまき鳥クロニクル』

 村上春樹の長編小説という文脈でいえば、本作が過去の作品の要素を融合していることは見逃せない。

 先ほど言及した旅小説という観点から言えば、北海道に旅する『羊をめぐる冒険』を想起させる。さらにカフカとナカタの二人を軸に交互に物語を展開していく構造は、「世界の終わり」と「ハードボイルド・ワンダーランド」の二つの世界を交互に描き並行して進んでいく『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と一致している。戦争の演習中に行方不明になった二人の兵士との遭遇は、戦争というテーマの接近を意味しているが、それは『海辺のカフカ』の前前作『ねじまき鳥クロニクル』で取り上げられた主要なテーマでもある。

 このようにみると『海辺のカフカ』は古代ギリシャの悲劇や日本近代文学の代表作を下敷きにしながら、村上自身の作品を二次創作的に書き換えた総決算の小説といえる。そのため解釈や意味を一意に決定することは難しく、村上自身多様な解釈を重視し答えを明示していない。逆に言えば、この豊潤なモチーフとテーマから、自分の耳に届く声をしっかりと聞き入れるべきである。

 次の「考察・感想」では、大島が「世界はメタファーだ、田村カフカくん」という台詞で言及された重要なモチーフ「メタファー」と「ソリッド」なものの関係について、最終章の「研究読解」では文学者小森陽一の研究から、ジョニーウォーカーの正体と擬似オイディプス神話について探究する。

考察・感想

可能性としての世界はあるのか

 それでは最終章に登場する「メタファー」と「ソリッド」について考察してみたい。

 最終章中盤あたりで、カフカが図書館に到着すると、まず佐伯さんが亡くなったことを知らされる。それに対してカフカは「わかっていた」と思い、そこまで驚かない。そして図書館の話になる。大島さん曰く、ぼくらはみんな頭のなかに図書館を持っていて、そこに大事な記憶だとかを保存している。そうはいっても日々大事なものを失い続けている。しかしそうした図書館は、その人自身の同一性のようなものを作り出す。「言い換えるなら、君は永遠に君自身の図書館の中で生きていくことになる」。この図書館というメタファーが、後に登場する〈ソリッドな〉図書館と深い関係を結んでいる。

 そしてカフカは佐伯さんの部屋に行くことになり、佐伯さんの話に移行する。彼女がその書斎で何を書いていたかは誰も知らない。しかし分かっているのは、大島さん曰く「彼女はいろんな秘密を呑みこんだまま、この世界からいなくなってしまった」ということである。その発言に対して、カフカは心の中でこう付け加えている。

(下)522頁

 実際その通りで、佐伯さんは結局のところ、カフカの母親だったのかどうかその真実を明かさなかった。これは、カフカにとっては仮説が仮説のまま永遠に立証されなくなったということだろう。これは、村上作品(例えば『ねじまき鳥クロニクル』)にはよく出てくる何かだ。なにかが常によく分からないものとして残る。『ねじまき鳥クロニクル』なら、夢の中にでてきたのは本当に妻だったのか、という問いだ。それと同時にその謎に対してある種の肯定した姿勢も登場人物は示す。つまりそれらは「言葉にならない」から分からないのであって、最初から分からないものとしてそこにあるのである。仮説があったとしても、それが必然的に立証されるべきものなのかどうか、村上の作品を読むと、その問いに対して頭を縦に振ることはできなくなる。

メタファーとソリッドなもの

 そして、大島さんとの美しい描写の後、大島さんはこう言うのだ。

世界はメタファーだ、田村カフカくん

(下)523頁

 これは、あとで調べておこうと思うが、この言葉はすでに『海辺のカフカ』のどこかで登場している言葉だ。世界は何かを暗示している。つまり表面的に現れているのとは別の意味を。しかし、

でもね、ぼくにとっても君にとっても、この図書館だけはなんのメタファーでもない。
・・・・
とてもソリッドで、個別的で、特別な図書館だ。ほかのどんなものにも代用はできない。

同頁

 今回最も触れたいのはこの場面だ。ここに私は非常に不思議な感触を持っている。それは『ねじまき鳥クロニクル』と比較してのことである。思うにだが、世界はメタファーだ、的なことは村上作品に一貫して言えることだと思う。例えば夢だ。夢は完全にメタファー的なものを持っているし、『ねじまき鳥クロニクル』でも、そこになにかしらの暗示があるように思わせている。だからこそ『ねじまき鳥』では、最終的に、夢の中に出てくる人が自分の妻であると主人公は確信するわけだ。

 しかしながら、『ねじまき鳥』では、このメタファーではない部分、ソリッドで、個別的で、特別な部分が強調されていないように思える。だからこそ最後は非常に不安定な形で幕を閉じる。主人公は妻を別の場所で待つわけである。

 それに対して、カフカにはソリッドで、個別的で、特別な図書館がある。これは大島さんとカフカとの絆だ。これは精神に安定と安らぎを与えることができる。というのも、全てがメタファーということは、ある意味で全てが可能だということであり、これはなんでも疑えるということだからだ。その不安定な足場を安定させるのが図書館だ。

 そしてまた、図書館は記憶の倉庫でもある。その意味で、図書館は大島さんとカフカの安定的な絆であると同時に、カフカ自身との絆でもある。世界はそこを中心に回っていくわけである。

 おそらくこういった安定的なものは『ねじまき鳥』にはなかったのではないだろうか(ただし図書館は『世界の終わり』ではとてつもなく重要な意味を帯びたものとして、やはり記憶と関係のあるものとして登場していたが)。だからこそ、『海辺のカフカ』の最後は、開放的前進的であり、ポジティブな終わり方をしている。カフカは東京に逃げ帰るのではなく「本当にタフ」になって東京に向かうのである。

 かといって、全てがこの図式できっぱりと収まるわけでもなさそうである。自分の「悪いことは何も起こっていない」という発言に対して

、僕は自分にそう言い聞かせる。

(下)526頁

 そう言い聞かせる、ここが妙に心に響く。色々な仮説をのみこんだまま、は僕は付け加えるだけだった。しかし、そう言い聞かせる、とは、「悪いことは本当に何も起こっていないのか?」というカフカの漠然とした不安の気持ちを感じさせる。メタファーが現実のメタファーであるなら、なにかしら現実との接点が、悪いことは起こっていないが、しかし起こっていると言えなくもない、そんな感じではないだろうか。

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研究読解

小森陽一『村上春樹論』の場合

 海辺のカフカの考察は様々になされているが専門家はどのように述べているのだろうか。批評家小森陽一『村上春樹論』の意見に耳を傾けてみたい。

ジョニーウォーカーとは誰か

 ジョニー・ウォーカーは『海辺のカフカ』において根源的な悪の役割を担っている人物である。実際『海辺のカフカ』では、彼は猫を殺して回っている。極悪人と言っても良いぐらいである。

 さて彼にとって重要な論点は「戦争」である。ナカタさんは最終的にジョニー・ウォーカーを殺してしまうのだが、ジョニー・ウォーカーがナカタさんに自分(ジョニー・ウォーカー)を殺せと迫る際に、「戦争」の比喩を取り出して語ることである。つまり、猫を殺されたくないなら自分(ジョニー・ウォーカー)を殺せという状況は、戦争状態と同じだということである。

 たしかに殺らなければ(この場合は猫が)殺られるという状況ではある。しかし小森陽一はここで試されている殺すか殺されるかという二者択一は「偽りの二者択一」であるという。よく考えてみると、猫を殺すことと人を殺すことは法的に等価ではない。また、個人が人を殺すことと国家の兵士となって人と殺すことも等価ではない。つまりナカタさんが迫られている状況は、実際は戦争状態ではないのだ。しかしながらこれは戦争であり、戦争なら人(ジョニー・ウォーカー)を殺しても良いという隠れたレトリックが存在している。やっていいことといけないことの線引きなんて恣意的に過ぎない、そういう考えをジョニー・ウォーカーは知らず知らずのうちに私たちに植え付けているのである。

 というわけで、小森陽一は次のように結論づけている。

ジョニー・ウォーカーと、ナカタさんとの対話劇の根幹には、実は〈法〉による暴力の制御という人間社会の一つの前提に対する拒絶が潜んでいるのです。

『村上春樹論』106−107頁。

『海辺のカフカ』の逆エディプス・コンプレックス構造

 少しでも文学好きなら、この本がオイディプス神話を下敷きにしていることはすぐに了解できるだろう。オイディプス神話とは、ギリシア神話に登場するオイディプスという人に関する神話である。簡単にいうと父殺しと近親相姦の神話である。

 まず、「お前の子がお前を殺し、お前の妻との間に子をなす」と神託を受けたオイディプスの父親であるテーバイの王ライオスは、自らの子供(オイディプス)を捨てるのだが、隣国コリントス王に拾われて生きながらえる。コリントスでスクスクと育った後、父と同じ神託を受ける。自分の父がコリントス王のことだと勘違いしたオイディプスは、殺してしまわぬよう旅に出る。

 その頃テーバイはスフィンクスの呪い(謎)に苦しめられていた。その呪いを解くためにライオスは神託を受けにデルフォイに向かうが、その途中でオイディプスと遭遇する。一悶着あった後、ライオスはオイディプスに殺されてしまうが、かたやオイディプスはスフィンクスの謎を解き、紆余曲折の末テーバイの王となる。そして、自分の本当の母親と結婚して子供を授かる、という話である。その後も話は続くのだが、解説でも述べたとおり、この神話の前半部分が『海辺のカフカ』の物語の下敷きとなっている。

 オイディプス神話というのは、フロイトの「エディプス(オイディプス)・コンプレックス」という概念で学問にも導入された。エディプス・コンプレックスというのは、母親を手に入れたいという欲望と父親に対する強い対抗心の葛藤という心理的な抑圧のことを指す。この葛藤が父、母、息子の間で繰り広げられるのだ。

 しかし、この観点からみてみると、カフカ少年にはエディプス・コンプレックスは見られない、と小森は言う。というのも、カフカ少年が4歳の時点で、母親が姉を連れて家を出てしまっており、それは父に対する敵愾心が生じる前の段階だからである。つまり、母親を手に入れたいし父親を排除したいと気づく前の段階でエディプス・コンプレックス的構造は破綻してしまっているのである(『村上春樹論』「『海辺のカフカ』の逆オイディプス的構造」)。エディプス・コンプレックス的な父親ならば、母親と交わってはならない、というはずだが、むしろ逆の構図になっている。ここから、父親である田村浩一は善悪を超えた何かであるという解釈が生まれる。実際、作中で大島さんも、それを「力の源泉と言えばいいのかもしれない」というふうに解釈している。父親はエディプス・コンプレックスにおける父よりももっと根源的な何かだという風に小森は読み解いたのである。

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参考文献

村上春樹『海辺のカフカ(上)(下)』新潮文庫、2005年。

小森陽一『村上春樹論『海辺のカフカ』を精読する』平凡社新書、2006年。

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