『一握の砂』解説|大胆に率直に|あらすじ内容感想・意味伝えたいこと考察|石川啄木

『一握の砂』解説|大胆に率直に|あらすじ内容感想・意味伝えたいこと考察|石川啄木

概要

 石川啄木の最初の歌集。1920(明治43)年12月1日刊行。「食ふべき詩」(明治42年11月)のころに、旧来の新詩社風の詩風を脱して、率直な現在の生活に即した歌を歌うようになり、それを反映させたのがこの歌集である。

 ほかに文学は小川洋子『博士の愛した数式』『ことり』、夏目漱石こころ』「夢十夜 第一夜」、芥川龍之介羅生門」「蜘蛛の糸」「芋粥」、梶井基次郎「檸檬」、宮沢賢治「注文の多い料理店」、魯迅『故郷』、アルベール・カミュ『異邦人』、カフカ『変身』、クンデラ『存在の耐えられない軽さ』、ル=グウィンオメラスから歩み去る人々』、カズオ・イシグロ日の名残り』、志賀直哉『城の崎にて』「小僧の神様」、リチャード・バック『かもめのジョナサン』などがある。

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名言

つまりあってもなくてもいいわけだ。そうして一切の文学の価値と意義とはそのところにあると思う。

明治43年4月20日付 宮崎郁雨宛書簡

内容

 『一握の砂』の新しさは二つあって、一つが「三行書きにした新しい表記方式」である。もう一つが「日常語を用いた平易な表現」である。これが読者に啄木の短歌への親しみやすさを与えている。

章は5つありそれぞれ題がついている。

1.我を愛する歌(151首):大部分が43年の作であるが、冒頭の「東海の小島」の歌は41年の作である。啄木の有名な歌はここに収録されている場合が多い。

2.煙(101首):大部分が43年の作。幼少期を回想した歌が収録されている。

3.秋風のこころよさに(51首):41年作が主体である、啄木はこの年に上京してきて、金田一京介氏の下宿に転がり込む。章題からもわかるように、明るい歌が多い。

4.忘れがたき人々(133首):函館から札幌、小樽を経て釧路まで転々とするなかで経験してきたことを回想した歌が収録されている。(一)(二)とあり、(二)では、函館の弥生尋常小学校の同僚であった教師橘智恵子への思いを歌った歌が収録されている。

5.手套を脱ぐ時(115首):大部分が43年の作。最後の長男真一哀悼の歌は非常に悲しい歌である。

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解説

 よく言及される箇所を取り上げて解説しよう。

題名『一握の砂』の意味について

 「一握の砂」というフレーズは、歌集の2番目に登場するので、それを元にした題名である。

につたふ
なみだのごはず
一握いちあくの砂を示しし人を忘れず

歌の意味を考えてみよう。内容とか主語が誰なのかとか、よくよく考えてみるとすこし難しい。

 一段落目は、「頬を流れる」という意味で二段落目の「なみだ」に繋がっている。二段落目の「なみだのごはず」は、「なみだの、ごはず」ではなく「なみだ、のごはず」と区切るのが正しい。「のごはず」というのは、のごう=ぬぐう(拭う)の否定形で、拭わないということである。つまり「頬を流れる涙を拭わない」という意味になる。

 問題は三段落目だ。一握の砂を比喩ととればよいのか、それとも実際の砂ととるべきなのか。そして、「示しし人」とは一体誰なのか。

 「砂」に関しては比喩だと取るのが一般的であり、「一握の砂」とは短歌のことだとする見方が有力である。すると「示しし人」とは、このような歌の題材となった名もなき人たちのことになる。そうすると、「頬につたふ なみだのごは」ないのは啄木自身で、自分を感傷的にさせてくれた人々(例えば橘千恵子や長男真一)のことを私は忘れない、というような意味となろう。主語は啄木なのだ。

東海の小島とはどこのことか

東海の小島こじまいそ白砂しらすな
我泣きぬれて
かにとたはむる

 よくこの「東海の小島」がどこかということが話題にあがる。啄木の短歌で「砂」は函館の大森浜である場合が圧倒的に多い。しかし、そうだとそると「東海の小島」と合点がいかない。北海道は地理的には北海で東海ではない。また北海道は小島ではない。だとすると「東海の小島」とはどこのことを指すのだろうか。

 ここには象徴的な意味が重ね合わされているという見方が有力である。つまり、「東海の小島」とは北海道や北海道全体や日本そのものを指しているという見方だ。例えば西欧からすれば、日本は「極東」に位置し、ヨーロッパの大きさと比べると「小島」である。つまり見方を変えれば、北海道も日本全土も「東海の小島」である。つまり、そのような東の国としての日本というイメージを重ね合わせたのが「東海の小島」である。

我の命を愛する歌と手套を脱ぐ時

 「我の命を愛する歌」に彼の有名な歌がだいたい収録されている。最も有名な歌を二つ取り上げよう。

たはむれに母を背負ひて
そのあまり軽きに泣きて
三歩あゆまず

はたらけど
はたらけど猶わが生活くらし楽にならざり
ぢつと手を見る

 『一握の砂』の最後の八歌は、生まれてすぐに亡くなった長男真一の哀悼の歌である。

かなしくも 
夜あくるまでは残りゐぬ
息きれし児の肌のぬくもり

 これが最後の歌である。まさに、率直の真髄とも言われる哀愁漂う歌である。それに比べて「東海の」などは、抒情豊かであるが上滑りしている感もある。時期的に見ても、「東海の」は、1943年に作られた歌ではない。しかし、最も有名な「たはむれに」や「はたらけど」などは率直さがにじみ出ている、また「かなしくも」も率直に、子を亡くした悲しみを歌い上げている。この率直さが、次の作品である「悲しき玩具」へと繋がっていく。

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考察・感想

心に染み入る歌ばかり

 それにしても「大胆で率直な」歌をよくもこんなに多く残したものだ。そして、素人にもよく分かる心に染み入る歌ばかりである。彼の境遇は幸福だったとはいえない。だから、歌も悲しい歌が多い。しかし、心が落ち込んだ時に読むと逆に元気が出る場合もある。なぜなら、これらは啄木の「我を愛する歌」なのだから。

 彼の生活は苦しいものであった。北海道での生活上の切実な経験の前に、これまで得意になって作っていた詩歌は、嫌悪すべき空想文学に過ぎず、象徴詩という輸入物は「一時の借物」しかないことを悟ったのである。そこから生まれたのが、これらの「率直な」歌だ。つまり啄木の場合、生活と歌が一体化しているのである。この一体感にどうも心を打たれてしまうのが、啄木の魅力である。

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