概要
『羅生門』は、1915年に執筆された芥川龍之介の短編小説。国語の教科書に採用されている。芥川龍之介は他に「鼻」「河童」「蜘蛛の糸」「芋粥」「アグニの神」などの短編がある。
1950年には黒澤明監督が、『羅生門』と『藪の中』の内容をミックスした映画『羅生門』を製作し、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した。この映画により『羅生門』の名は世界的に知られることになった。
飢餓に苦しむ青年が羅生門の上で死体から着物を剥ぐ老婆と出会い、彼女との問答の後にある決心をする物語。
純文学はほかに梶井基次郎の短編「檸檬」、宮沢賢治『注文の多い料理店』、太宰治『走れメロス』、中島敦『山月記』などがある。
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あらすじ・内容・ストーリー
舞台は平安時代の京都。この頃の京都は飢饉や天変地異によって、人々は飢えに苦しみ京都は衰退の一途を辿っていた。
ある日の夕暮れ時、京都にある荒れ果てた羅生門の下に若い下人がいた。下人は仕えていた主人からクビにされて途方に暮れていたのである。お金も仕事もアテもない下人は、この社会を憂いて盗賊にでもなろうかと思うが、どうしても踏ん切りがつかない。
下人は睡眠を取るために仕方なく羅生門を上に登ることにした。楼閣(羅生門の上)には身寄りのないたくさんの遺体が無残にも捨てられていた。そのような不気味な場所にもかかわらず、何やら人の気配を感じる。なんと驚くべきことに、老婆が松明を灯して、若い女性の遺体の髪を引き抜いているのだ。
老婆の行為に激しい怒りを覚えた下人は、老婆に襲いかかる。しかし、老婆は自分の置かれている境遇は酷いものであって、生活のためには仕方のないことなんだと弁明する。老婆は若い女性の遺体から抜いた髪で、カツラを作り売って生活の足しにしようというのである。
さらに老婆は、髪を抜かれている女性の生前の悪行を暴露した上で、その女性の行為は生きるために仕方のないことであり、彼女と同様に自分の行為も仕方のないことだと主張する。
老婆の話を聞いた下人は怒りを収めて、ある決断をする。それは老婆に悪事を働いてでも、飢餓を乗り越え自分のために生きることであり、老婆の言葉を借りれば仕方のないことであった。老婆にそのことを告げると、下人は老婆の着物を強奪し羅生門を駆け下りて、京都の闇の中へ消えていった。
下人の行方は、誰も知らない。
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解説
若くて多忙な当時の執筆状況を知ろう!
『羅生門』の読解に入る前に、芥川龍之介の執筆時の状況を確認しておこう。このとき彼が直面していた数々の困難と不安、そしてそれへの対応と決断が、本書の内容に大きな影を落としているからだ。
当時、芥川龍之介は23歳で、東京大学の学生だった。一年前から短編小説(『老年』など)を文芸雑誌『新思潮』に寄稿するかたわらで、雑誌の運営や学業などと多忙な日々を過ごしていた。
学業方面でいえば卒業論文が佳境を迎えていた。そのような多忙な日々でも、「ウィリアム・モリス研究」という題で提出された卒業論文は、20人中2位という高い評価を得た。彼は何に対しても超一流の成果をあげる天才だったのである。
そんな順風満帆にみえる彼にも大きな悩みがあった。吉田弥生との恋愛である。
吉田弥生との失恋が『羅生門』に反映されている
吉田弥生は芥川龍之介の父方の実家である新原家のご近所さんで、いわゆる幼馴染みであった。ここからも芥川のロマンティックな一面が窺える。彼の証言によれば、吉田への恋愛感情を自覚したのは彼女が他の男性との婚約を決めたときである。俗にいう「三角関係」である。芥川の師である夏目漱石は『こころ』で「先生ーお嬢さんーK」の「三角関係」を描いているが、芥川は現実で「三角関係」に悩まされていたのだ(夏目の作品:『坊っちゃん』『夢十夜』「現代日本の開化」)。
結局、この恋愛は、伯母のふきの反対にあい失敗に終わった。ふきは芥川の育ての親で、彼にとって最も大事な人物であった。ふきは結婚に猛反発し夜通し泣き続け、芥川は涙をのんで彼女の意を汲んだのである。
初めての恋を外的要因によって断念させられるというこの挫折の経験は、芥川に大きな後悔と影響を与えた。事実、その後の友人との書簡では、この決断を悔いていたことが知られている。
このような状況で『羅生門』は執筆された。したがって、下人の逡巡と最後の決断は、芥川自身の決断と並行していると解釈できる。冒頭で途方に暮れていた下人は、吉田との結婚が破談になって悩んでいた芥川を、老婆の衣服を剥ぐという下人の決断は、恋路が阻まれても小説を書き続けようとする芥川の決意を表現している。
ここまでは芥川の執筆当時の状況と、作品の関係を簡単にまとめてみた。次は豊かなモチーフに溢れた作品の分析に進み、下人と芥川の関係から作品を読解する。最後には、謎に包まれた「下人の行方は誰も知らない」の意味について考察する。
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考察
「上」「下」のモチーフ – 生者の国と死者の国の中間
まずは「上下のモチーフ」に注目してみよう。
羅生門の「下」で途方に暮れていた「下」人は、羅生門の「上」に登ることで老婆に会う。老婆との会話は羅生門の「上」で行われる。そして「下」人は老婆から服を強奪すると羅生門の「下」に降り闇の中に消えてしまう。
「上」は34回、「下」は「下人」を含めると55回も登場する。では、これほどにまで強調される「上下」のモチーフは如何なる意味を持つのだろうか。
下人と老婆が会話を交わす場所は、羅生門の「上」であった。そこは人間界(下界)と天界のちょうど真ん中、つまり、生者と死者の間の世界である。人間界の酷さに呆れた下人は、羅生門の「上」に登ることで死者の国に近づこうとする。このことが疑わしいと思う方は、羅生門の「上」にいたのが誰であったかを思い出してほしい。そこに居たのは精神的にも肉体的にも死に近い老婆と、文字通りの死者であった。
全体の構成を「上下のモチーフ」から把握してみよう。すると、下人は羅生門の「上」に登ることで死者の国に近づき、老婆が代表する死者の国から決別して羅生門の「下」へ、つまり人間界へと舞い戻る、とまとめることができる。『羅生門』はこのようなダイナミックな運動が描かれているのだ。
では、なぜ死者の国から戻ることになったのか。次は、下人と老婆の鏡写しの関係に注目してみよう。
鏡写しの関係 – 下人は老婆の何を不快に思ったか
何故、下人と老婆は言い争いになったのか。下人の老婆に対する強い不快感は、無残に転がっている死者の着物を老婆が盗むことで生じる。老婆の盗みが、死者への冒涜にあたると感じたからだ。だが倫理的な不快感だけを言い争いの原因と理解するならば、片手落ちである。
途方にくれる下人と着物を盗む老婆は、仕事と生活の術がないという意味で、同じ境遇にいる。異なる点を挙げるとすれば、それは人生のステージだけだろう。「生きるため」に死者の着物を剥ぐ老婆を、倫理的に嫌悪する下人は、しかしながら、決して他人事には思えない。荒廃した都で仕事を失った下人にとって金銭の問題は、早晩深刻になるだろう。つまり、下人は老婆に自分の将来の姿をみているのである。
この意味で下人と老婆は鏡写しの関係にある。下人は老婆に自分の将来の姿を写す。老婆の死者の冒涜に不快感を示すのではない。(将来の)自分が死者を冒涜していることが不快なのだ。だが生き抜くためには、老婆と同じ倫理に反した行為が必要なこともまた事実である。老婆に対する強い不快感は、老婆に将来の自分を投影すことで生じた、自己嫌悪とも言える。
伝えたいこと(主題)は、許される悪はあるか
許される悪はあるか。端的に言えば本作の主題(テーマ)は、これに尽きる。
死者の着物を剥ぐ老婆の論理を確認しておこう。まず老婆は、自らの境遇が大変であると主張する。そして生きるために仕方なく死者の着物を剥いでいる。ここに転がっている死者も、存命中は生活のために悪事を働いていた。したがって私(=老婆)の悪事も許してくれるだろう。
老婆の論理で肝となるのは「生きるためであるならば悪も仕方がない」という命題である。悪のなかにも程度の差があると考えられる。盗み、傷害も悪行である、が、死者の冒涜は悪行のなかでも最も質の悪い部類にはいる。老婆は生きるために死者に近づく。それは物理的な意味だけではない。死者を冒瀆するとき、老婆は精神的にも死者に近づく。倫理的に悪である行為は、老婆を魂の次元で比喩的に死者に近づかせている。だからこそ、鋭い読者はお気づきのように、老婆は羅生門から「下」に降りることはない。死者の国のメタファーである羅生門の「上」に、彼女は留まり続けるのだ。
下人は老婆の「生きるためであるならば悪も仕方がない」という命題を逆用して、老婆の着物を剥ぎとる。この行為によって下人も老婆と同じように、魂の次元で死者に近づいたのだろうか。
ポイントは二つある。一つは下人の行き先、もう一つは行為の能動性。
一つ目については、繰り返しになるが、下人が最後には羅生門の「下」に降りたことを強調しておきたい。下人は羅生門の「上」(=死者の国)から羅生門の「下」(=生者の国)へと戻るのである。
二つ目は、悪行の受動性と能動性について。老婆は自分の行いを「仕方がない」と弁解する。老婆の発言に「仕方がない」が三回もあることから、それが彼女の主張の核にあると言える。つまり、老婆は自分の悪行を、受動的なものと考えている。社会がそれを強いてくるから「仕方がない」、やりたくないがやらざるを得ない、そう強弁しているのだ。その点、下人は老婆と大きく異なる。下人は悪行に手を染める必要がないのに、盗人になることを積極的に望む。下人の悪行は、受動的で「仕方がない」ものでは決してない。下人は能動的に決断して、自ら盗人になるのだ。
繰り返しになるが、芥川龍之介は吉田との恋愛を、外的要因によって受動的 / 強制的に破局に追いやられた。芥川龍之介のこの経験は、その後に執筆された本作に反映されている。
下人の心には、ある勇気が生まれて来た。
下人に生まれた勇気と決断は、芥川龍之介の伝えたいことであり、生き方の宣言でもある。社会から弾き出された力(=仕事を失う / 外的要因)に逆らうのではなく、ましてや、死者(=老婆 / 意気消沈)のように生きるのではなく、社会の流れにのりながら能動的に力強く生きること(=羅生門の「下」に降りる / 執筆意欲)、それこそが下人(芥川龍之介)の決断なのだ。
下人の行方、その後のストーリーの予想
『羅生門』の最後はこのように終わる。
下人の行方は、誰も知らない。
下人は盗人になることを決意し、老婆の着物を剥ぎ取り、追いすがる老婆を蹴倒して、梯子を駆け下りる。老婆は下人の行先を確かめようと羅生門の下を覗き込む。そのあとに続く文が「下人の行方は、誰も知らない」だ。しかし一体、下人の行方はどうなるのだろうか。
候補は以下の5つ。(i)下人は盗人になった(ii)羅生門に戻り老婆に服を返した(iii)街で仕事をみつけ懸命に働いた。(iv)自分の悪事を反省し慈善事業に励んだ(v)罪を償い亡くなる、あるいは餓死。
どれにも可能性はある。だが老婆から着物を剥ぎ取る行為に下人の積極的な決断を読み解いた以上、改心や自殺は想像しづらい。あるとしてもそれは、続編ではなく二次創作になるだろう。ということで、死の予感がある(v)はあり得ず、改心する(ii)(iii)(iv)も考えづらい。したがって、下人の行方は(i)の盗人になるが最も妥当だと思われる。
下人の行方は誰も知らない?書き換えられたラストの文学性の高さに注目
(i)の可能性を補強する事実を、もう一つ挙げておこう。最後の「下人の行方は、誰も知らない」という文章は、初稿では全く違うものであった。『羅生門』は1918年の『鼻』に収録されるさいに改稿されていたのである。初出である1915年の雑誌『帝国文学』に載せられた最後の一節を確認しておこう。
下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあった。
「強盗を働きに急ぎつつあった」と書かれているのだ。やはり芥川自身は、下人は盗人になると考えていたようだ。
比較をしてみると、1915年版は想像力を働かせる余地がずいぶん少ないことが分かると思う。ただし、代わりに文章に力がこもっているともとれる。1915年版は、文壇にデビューしたばかりの芥川龍之介の心意気が反映されているのだろう。そして改稿版は、小説家としての力量が格段にあがっていることを如実に物語っている。
しかし改定後の文章を読むさいに重要なことは、芥川は下人の行方についてはっきりとは断定していないことだ。むしろ下人の行方を明言しないことで、読者は想像力を羽ばたかせ下人の将来を夢想することができるようになる。下人は盗賊になった可能性は一番高いだろう。だが、京都で仕事を見つけたかもしれない、もしかしたら死んでしまったかもしれない。
「下人の行方は、誰も知らない」という一文は、「文学性」が伴うとして高く評価されている。下人の行方を断定しない効果として、読者はその空白を埋める必要に迫られる。それは想像するのが読書の楽しみであり、文学のもつ力である。
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参考文献
関口安羲『芥川龍之介』岩波新書、1995年。