芥川龍之介『鼻』解説|傍観者の利己主義とは何か|小説あらすじ感想・伝えたいこと考察

芥川龍之介『鼻』解説|傍観者の利己主義とは何か|小説あらすじ感想・伝えたいこと考察

概要

 『』は1916年2月に『新思潮』の創刊号で発表された芥川龍之介の短編小説。『今昔物語集』と『宇治拾遺物語』から題材を得ている。

 『羅生門』の次に発表された芥川龍之介の初期の傑作短編で、現在も国語の教科書に掲載されている。ユーモアと機知に富み、長きにわたり多くの人に愛されている。

 生まれながらに長い鼻を笑われコンプレックを持つ禅智内供が、あることをきっかけに鼻を短くすることに成功するも、それでも他人に笑われ違和感を持つ物語。

 芥川龍之介はほかに「河童」「蜘蛛の糸」「芋粥」「アグニの神」などの短編小説がある。

 哲学的小説はほかにミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』、ル=グウィンオメラスから歩み去る人々」などがある。

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登場人物

禅智内供:池の尾に住む僧侶。5〜6寸(約15−18cm)もある鼻を持っていて、劣等感を抱えている。

中童子:食事の際に禅智内供の鼻を持ち上げるなどの世話をする。

医者:禅智内供の弟子に、鼻を短くする方法を教える。

弟子の僧:京へ上った際に医者から鼻を短くする方法を教わる。

名言

人間の心には互に矛盾むじゅんした二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。

こうなれば、もう誰も哂うものはないにちがいない。

あらすじ

 池の尾(現在の京都)に禅智内供という僧侶がいた。禅智内供は上唇から下唇まで垂れ下がる5〜6寸(約15−18cm)ほどの長い鼻を持っていた。

 禅智内供の滑稽な長い鼻を知らないものはおらず、人々にからかわれるは馬鹿にされるはで、長い鼻のことを大変気にしていた。とはいえ、気にしていることを周囲の人に感づかれたくもないため、表面上はまるで気にしていない素振りを貫いていた。

 ある年の秋、弟子の僧が知り合いの医者から鼻を短くする方法を教わってきた。その方法は鼻を茹でては人に踏ませるという、至極簡単なものであった。さっそくこの治療法を試してみると、すぐさま鼻が短くなった。当初は鼻の長さが元どおりになるのではないかと不安もあったが、数日経っても短いままなので、大層のびのびとした気分になった。

 ところがあるとき、禅智内供は驚くべきことに気づく。鼻の長さが短くなったにもかかわらず、人々がそれを見て笑いだすのである。禅智内供も当初は、顔の変化のためだと考えたが、どうにもそれでは腑に落ちないところがある。鼻が長かったときの笑いと、短くなってからの笑いでは、その様子も違うように見える。

 禅智内供の誤算は、人間の相矛盾する感情についての理解が乏しかったことに起因する。もちろん他人の不幸に同情する感情は誰しもが持っている。だが、不幸を乗り越えてしまうと、他人は何となく物足りなさを感じるようになる。さらにいえば、もう一度不幸に陥れてやろうなどと敵意を抱くようにさえなるのである。

 禅智内供はとうとう、鼻が短くなったことを恨むようになる。 ある夜、禅智内供は鼻に違和感を覚えて寝付けない。鼻が痒かったり熱かったりするのである。翌朝に目が覚めると、鼻が元通りの長さに戻っている。それを確かめて禅智内供は、もう誰も自分を笑う者はいなくなるに違いないと思ったのだった。

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解説

芥川龍之介を取り巻く当時の状況

 芥川龍之介の執筆当時の状況を概観しておこう。

 この頃の芥川は後年の神経衰弱の時期とは違い、執筆に精力的に取り組み活力に満ちていた。一年前に書き上げた『羅生門』は文壇に好意的に受け取られ、小説家として生きる覚悟を決めようとしていたのである。のちに師と仰ぐことになる夏目漱石に出会あったのもこの頃で、充実した時期であると言える。

 だが、このとき精力旺盛な芥川は現実的な問題に直面していた。小説を書いても発表する媒体が『帝国文学』という小さい雑誌しかなかったのだ。作品はあっても発表の場がない、場が無いようでは小説を世に問うことができない。そのような苦しい状況で注目したのが『新思潮』だった。「新思潮」は元々東大の学生が作った同人雑誌で、芥川が参入する頃には第三次『新思潮』が発行されていた。

『新思潮』の刊行と夏目漱石の評価

 第四次『新思潮』は小説家を目指す同志達によって刊行された。その同志は芥川龍之介、久米正雄、菊池寛、成瀬誠一、松岡譲の5人である。菊池寛は小説家としても超有名で、文藝春秋社を立ち上げるなど実業家の面もあり、さらには芥川賞や直木賞の創設に関わるなど、現在にも残る文芸の文化の礎を築いた人だ。他の3人もみな名の残る人々である。

 しかし、刊行するためには乗り越えなくてはならない困難があった。費用が足らなかったのだ。5人がお互いに負担してお金を出し合うも十分ではない。そこでロマン・ロランの『トルストイ』を日本語に翻訳し販売することで、費用の足りない分を補うことになった。

 このように困難を乗り越え刊行された第四次『新思潮』に、芥川は『鼻』を寄稿することになる。『鼻』は喜ばしいことに、世間から高く評価された。何より師である夏目漱石が評価をしてくれた。『夢十夜』(1904年)や『坊っちゃん』(1906年)で地位を確立し、すでに『こころ』(1914年)まで書き上げていた夏目漱石は、「大変面白いと思ひます」「敬服しました」と絶賛した。師匠であり、第一の読者であり、理解者でもある夏目漱石の絶賛に芥川は大いに喜んだ

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考察

主題(テーマ)は、内面と外面の問題

 『鼻』が物語として魅力的なのは、「鼻」という外面の問題が一転して内面の問題へと接続されるからである。ここでは外面と内面という観点から作品をみてみよう。

 禅智内供は僧侶でありながら、自分の外面を気にする非常に繊細な性格の持ち主である。それは自分(=禅智内供)の鼻が長いことを気にしているという意味においてだけではない。長い鼻を気にしているということを他人に悟られないように気にしているという二重の意味においてそうなのである。

 一番身近にいる弟子の僧に対してですらその姿勢は変わらない。

内供は、いつものように、鼻などは気にかけないと云う風をして、わざとその法もすぐにやって見ようとは云わずにいた。そうして一方では、気軽な口調で、食事の度毎に、弟子の手数をかけるのが、心苦しいと云うような事を云った。内心では勿論弟子の僧が、自分を説伏せて、この法を試みさせるのを待っていたのである。(5)

 芥川龍之介の人間の本性に対する洞察はとても鋭い。醜くもあり人間的でもあるこのような感情に、誰しも心当たりがあるのではないか。コンプレックスを気にしていないように取り繕うのは、現代の人々にも通ずる感情である。外面を気にするのは、内面の問題である。そして内面を隠すのは、外面の問題である。内面と外面の必然的な結びつきがここに現れている。

 鼻が長いという外見的な特徴をもつ禅智内供が、「傍観者の利己主義」という人間的な感情に薄々感づけるのも、禅智内供が実は非常に繊細だからというところに遠因がある。自分の心の醜さがわかっているからこそ、「傍観者の利己主義」という他人の悪意もうっすらと感じてしまうのである。

「傍観者の利己主義」とは何か

 『鼻』には3つの笑いが存在する。1つ目は禅智内供の「長い鼻」に対して。2つ目は禅智内供の「長い鼻」から「短い鼻」への変化に対して。3つ目は普通になってしまった禅智内供に対して(「傍観者の利己主義」)。前節に繋げて言えば、1つ目と2つ目は外面の問題、3つ目は内面の問題となる。

 1つ目と2つ目はわかりやすい。一般と特殊という分類があったときに、一般が特殊を笑うというだけの話である。『鼻』の内容に則して言えば、禅智内供の「長い鼻」と、鼻の長さの急激な変化がそれにあたる。それは外見にのみ留まる、動物的で即物的な笑いである。

 3つ目の笑いは、1つ目や2つ目と比べて少し位相が異なる。外面の問題でなくて内面の問題、特に「傍観者の利己主義」という問題なのである。不幸な者が一転して幸せそうにしていると、不幸が取り除かれることを望んでいたはずの人が、幸せになった者を恨めしく思うことがある。これが「傍観者の利己主義」である。

 まずは「傍観者の利己主義」の意味を完璧に把握しておこう。「傍観者」というのは不幸な者を客観的に観察している者のことである。観察者は他者の不幸を身に染みて感じることはないが、不幸の原因が取り除かれて幸せになってほしいと感じている。ところが、その優しい感情は不幸者が不幸な状態にいることが前提になっている、というのだ。傍観者の望みが叶って不幸者が一転して幸せになると、今度は不幸になってほしいと望むのである。共感や思いやりは、幸せになるということは実現しないという大前提のもとで生じるのであり、その大前提が崩れてしまうと面白くないのである。

 「傍観者の利己主義」は一節の「内面と外面の問題」と同様に、人間の本質を穿つ芥川龍之介の鋭い指摘だ。自らの心の内を見渡せば、この利己的な感情をすぐさま発見できるだろう。貧乏人、田舎者、社会的弱者。それらの人々には幸せになってほしいし、そのためには少しの犠牲を払うことも厭わない。が、貧乏人が富裕人に、田舎者が都会人に、社会的弱者が社会的強者に変わっていく姿を見ると、素直に喜ぶことができない。むしろ貧乏人に、田舎者に、社会的弱者に戻ってしまえと望むのである。芥川龍之介が見抜くのは誰もが感じるその利己主義なのである

伝えたいことは、気分と外面の相互作用

 物語は禅智内供の鼻が長くなったり短くなったりすることで進展する。ところが、鋭い読者はお気づきのように、実は冒頭と結末で禅智内供の外見の変化は一切起きていない。長かった鼻は長いままなのだ。では一体、禅智内供の何が変化(=成長)したのだろうか。

 禅智内供あるとき目が覚めると、禅智内供の鼻は元の長さに戻ってしまう。物語冒頭の禅智内供であったら、笑われることを遅れて不安に陥ったに違いない。なにせ人よりも長い鼻は周りからすれが滑稽に見えるからだ。だが禅智内供は不安を感じることはもはやない。むしろ「そうしてそれと同時に、鼻が短くなった時と同じような、はればれした心もちが、どこからともなく帰って来るのを感じ」(10-11)るのである。

 これはまさに内面の成長を意味している。外面が笑われることを恐れていたのは遠く彼方、遥か昔の話だ。いまや禅智内供は長い鼻を持つ自分をそのまま受け入れている。要するに、禅智内供はコンプレックスを乗り越え、ありのままの自己に対して前向きになったのだ。この変化は「傍観者の利己主義」が必要とする、観察対象の不幸という大前提を崩している。

ーーこうなれば、もう誰も哂うものはないにちがいない。

内供は心の中でこう自分に囁いた。長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら。(11)

 もちろん禅智内供の長い鼻は滑稽であることにかわりない。しかしもはや誰も笑うことはないだろう。何故なら禅智内供が長い鼻を恥ていないからである。外面が笑われるから他人の目が気になるのではない。自体は真逆なのだ。笑われるのは外面でなく、外面を気にする内面である。これこそが『鼻』が解き明かした人間の本性なのである。

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参考文献

関口安羲『芥川龍之介』岩波新書、1995年

芥川龍之介『鼻』青空文庫、 kindle

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