遠藤周作『沈黙』解説|今まで誰もしなかった一番辛い愛の行為|あらすじ内容感想・伝えたいこと考察

遠藤周作『沈黙』解説|今まで誰もしなかった一番辛い愛の行為|あらすじ内容感想・伝えたいこと考察

概要

 『沈黙』は、1966年に出版された遠藤周作の歴史小説。谷崎潤一郎賞を受賞した。

 20世紀小説における傑作の一つであり、海外でもキリスト教文学として高く評価されている。2016年にマーティン・スコセッシ監督が実写映画化

 舞台は江戸時代初期の日本で、キリシタン弾圧下における信仰と神についてポルトガル人司祭ロドリゴの視点から描いた物語。

 文学はほかに、安部公房『砂の女』、村上春樹「かえるくん、東京を救う」、川上弘美『センセイの鞄』、山田詠美『僕は勉強ができない』、田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』、梨木香歩『西の魔女が死んだ』、森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』などがある。

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登場人物

セバスチャン・ロドリゴ(岡田三右衛門):イエズス会のポルトガル人司祭。恩師フェレイラの棄教を知り、真相を探り宣教を引き継ぐために日本に向かう。モデルはイタリア出身の神父ジュゼッペ・キアラ。

キチジロー:ロドリゴが最初に出会ったマカオで唯一の日本人。死や拷問が恐ろしく棄教している。また刑罰が迫るとロドリゴを裏切り、踏絵を受け入れるのも憚らない。

クリストヴァン・フェレイラ:ロドリゴの師匠。弾圧が激しさを増す日本で棄教したと伝えられる。歴史上の実在人物。

フランシス・ガルペ:ロドリゴの同僚の司祭。ロドリゴとともに行動する。殉教する信者を追い命を落とす。

井上筑後守:幕府大目付・宗門改役。元は熱心なキリスト教徒。司祭の心情を熟知し、転ばせるのを得意とする。温和な性格であるが、苦しみが続く新たな拷問法を編み出すなど、凶悪な一面を合わせ持つ。

名言

この国は沼地だ。やがてお前にもわかるだろうな。この国は考えていたより、もっと恐ろしい沼地だった(p231、フェレイラ)

では、お前は祈るがいい。あの信徒たちは今、お前などが知らぬ耐えがたい苦痛を味わっているのだ。昨日から。さっきも。今、この時も。なぜ彼らがあそこまで苦しまねばならぬのか。それなのにお前は何もしてやれぬ。神も何もせぬではないか(p.262、フェレイラ)

「さあ」フェレイラはやさしく司祭の肩に手をかけて言った。「今まで誰もしなかった一番辛い愛の行為をするのだ」(p.266)

「ああ」と司祭を震えた。「痛い」(p.268、ロドリゴ)

強い者も弱い者もないのだ。強い者より弱い者が苦しまなかったと誰が断言できよう(p.294、ロドリゴ)

あらすじ・ネタバレ・内容

 江戸時代に突入した日本は、キリスト教の弾圧が勢いを増していた。島原の乱のあとイエズス会の司祭クリストヴァン・フェレイラが、弾圧に屈し棄教したという情報がローマにもたらされる。激化する弾圧と日本国内にいた司祭の棄教の知らせから、イエズス会は司祭の日本への派遣を禁止する。

 フェレイラの弟子セバスチャン・ロドリゴとフランシス・ガルペは、師の棄教を疑い日本に向かうことを決意する。立寄ったマカオでキチジローと出会い、彼の手配のもと二人は日本へと潜入する。

 五島列島のトモギ村に到着すると、迫害されていた隠れキリシタンたちに歓迎される。告解や祈りを捧げるという使命をやり遂げることで、ロドリゴは日本に来た理由を確信し充実感を覚える。潜伏中に隣町である五島の住民があらわれ来てほしいと言われる。悩んだ末にロドリゴは五島を訪れる。そこにもパードレを待つ信心深いキリシタンがいて、ロドリゴは自分たちの使命と存在意義を再び確認する。

 トモギ村に戻るとじいさまが捕らえられていた。奉行所は彼らにキリスト教を棄教しろと迫り、キチジローは裏切り、じいさまやモキチは処刑される。ロドリゴとガルぺは長崎奉行所に追われる身になり、二人は別行動をとることになる。

 海で処刑される信者を目撃し、彼らを助うためガルぺが現れるが全員命を落とす。逃走中に出会ったキチジローと行動を共にするが、裏切られロドリゴは捕まる。キチジローは褒美の銀を受け取るが、ロドリゴに謝罪し赦しを得るため追いかけるようになる。

 ロドリゴは長崎奉行所フェレイラに会い、日本で宣教することは無意味だと伝える。ロドリゴは牢屋にいれられ、キチジローは彼に接触し赦しを得ようとするが、キチジローに対する軽蔑は増すばかりだった。

 刑罰が迫ったある夜、ロドリゴの元にフェレイラが訪れ、かつて自分もこの牢屋に入れられていたと語り始める。ロドリゴは聞こえてくる鼾を止めてくれと言うが、これは拷問にかけられた信者の声で、ロドリゴが棄教すれば信者は救われるとフェレイラは言う。フェレイラもかつて同じ境遇におちいり、なおかつ3日間も拷問をかけられたが棄教しなかったと告げる。フェレイラが棄教したのは、神がこの後に及んで沈黙していたからだった。同じ悩みを抱えていたロドリゴは、そのことを知ってついに踏絵を踏む。

 棄教し日本語名をもらったロドリゴのもとに、キチジローは赦しを求めてやってくる。ロドリゴはキチジローの弱さを理解し、神の教えの本当の意味を知る。そして、自分は日本に残る最後のキリシタン司祭であると思うのだった。

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解説

沈黙と「なすことをなせ」、相反する二つのテーマ

 『沈黙』は、キリシタン弾圧が激化する江戸時代の日本を舞台に、ポルトガル人司祭のロドリゴを通じて神と信仰の意義を問いた小説だ。キリスト教徒である遠藤周作は、『イエスの生涯』や『キリストの誕生』などで主題としているように、新たなキリスト像を問い直すことに生涯を捧げた作家である。イギリスの小説家グレアム・グリーンは「遠藤は20世紀のキリスト教文学で最も重要な作家である」と評し、『沈黙』は国内外でいまなお高く評価されている。

 舞台となるのは江戸時代初期の日本。その頃日本では徳川幕府のもとキリスト教の弾圧を推し進めていた。過酷な年貢の取り立てとキリシタンへの弾圧に対して対抗した島原の乱は、日本の歴史上最大規模の一揆であり死者数は8000人以上にも及ぶと言われている。島原の乱以後、日本ではついに鎖国が本格化、弾圧も激化しキリシタンにとってはいよいよ過酷な状況に変化していく。ロドリゴが潜入したのはそのような危険と過酷さが極限にまで高まった場所である。

 まずはテーマを確認しておこう。本書は対立する二つのテーマの組み合わせが幾つも登場する。ロドリゴとキチジロー、強きものと弱きもの、西洋と日本、沈黙と言葉、そして父としてのキリストと母としてのキリスト。最後の対立は遠藤にとって生涯をかけたテーマでもある。父性的で厳格なキリストではなく、母性的で包容力のある同伴者としてのキリストという像は、『イエスの生涯』やほかの作品でも追求されている。「沈黙と言葉」の言葉について少しだけ解説しておくと、キリストが裏切り者ユダに発した「なすことをなせ」のことである。何故キリストはこの言葉を発したのか、どのような意図で発したのか、ユダだけは救われることがないのか。これらの問いはロドリゴのなかで「沈黙」と双璧をなす一貫したテーマである

沈黙というキリスト信仰における根源的な問題

 弾圧が激化する過酷な日本で、信者と司祭はキリスト信仰における根源的な問題を突きつけられる。敬虔深く熱意にあふれた若き司祭ロドリゴが直面するのは、キリシタン弾圧による拷問の苦しさや処刑の残虐さなどではなく、信心深い日本人の信者たちが無意味に処刑されてもなお現れることのない神の存在、すなわち「神の沈黙」である。

 モキチとイチゾウが海水にさらされ無残に殉死したあと、それでも「神はその海と同じように黙っている。黙りつづけている」(p.104)とき、「神がいな」(p.104)いという恐ろしい想像が頭を過ぎる。神は「沈黙」しているのか、それとも、神はいないのか。そして神がいるならば、「なぜ、神は黙っておられるのか私にはわからな」(p.105)い。幾度もおとずれ試練に、それでもなお神が沈黙を守り続けるとき、ロドリゴは心のうちでこう叫ばずにはいられない。

よしてくれ。よしてくれ。主よ、あなたは今こそ沈黙を破るべきだ。もう黙っていてはいけぬ。あなたが正であり、善きものであり、愛の存在であることを証明し、あなたが厳としていることを、この地上と人間たちに明示するためにも何かを言わねばいけない。

p.262-p.263

 神の沈黙。これはキリスト教における根源的な問いの一つである。これに対する一つの解は、それでも信仰を貫けというものだ。どのような仕打ちにも意味があるが、それは神のみにしか理解できない。だからこそ人間は神を疑わず、それでも信じ続けなくてはならない。

 だがロドリゴの場合は、試練は自らに降りかかるものではない。ロドリゴは日本にいる間、自分たちのために無意味に殉死していく多くの信者たちを目撃した。自らに課された拷問や処刑ならば、神の試練として耐えられる。しかし棄教した者たちまでもが、自分が棄教しないばかりに死ぬのは間違っているはずだ。神を信じていれば救われるという言葉が欺瞞に聞こえてしまう今こそ、神は何かを言わねばならない。だが神の声は聞こえない。神は沈黙しているのだ。この極限の状態でロドリゴは、神と信仰について再び問い直し始める。

考察・感想

理想と現実のズレ、キリストへの同一化

 このクライマックスに向けて、ロドリゴには幾度となく理想と現実のズレに悩まされる。

殉教でした。しかし何という殉教でしょう。私は長い間、聖人伝に書かれたような殉教を——たとえばその人たちの魂が天に帰る時、空に栄光の光がみち、天使が喇叭を吹くような赫かしい殉教を夢みすぎました。だが、今、あなたにこうして報告している日本信徒の殉教はそのような赫かしいものではなく、こんなにみじめで、こんなに辛いものだったのです。

p.91

 日本に向かう前「この街にて迫害せられなば、なお、他の街に行くべし」(マテオ聖福音書)(p.20)と心のうちに唱えるロドリゴは、ある種の希望と理想に満ちていた。イエスの受難と日本で自らに降りかかる困難を重ねながら、殉教には赫かしさを、苦痛には神の信仰に対する試練をみていたのである。しかし現実の殉教はあまりに呆気なく「みじめで」「辛いものだった」(p.91)。それはロドリゴがキチジローの裏切りによって捕まった日ですら例外ではない。

長い間、怯えと不安の入り混じった空想の中で思い描いていた捕われの日が、こんなにのどかだったとは思いもしなかった。彼はそこに、言いようのない不満を——自分が多くの殉教者たちや基督のように、悲劇的で、英雄でないこと幻滅さえ感じた

p.126

 自己とキリストが同一化できないときロドリゴは幻滅する。だがそれは逆に、同一化が起きたときの喜びも意味している。「あの人と自分とが相似た運命をわかり合っているという感覚はこの雨の夜、うずくような喜びで司祭の胸をしめつけ」(p.196)、「自分がガルぺや彼等とつながり、更に十字架上のあの人と結びあっているという悦びが突然、司祭の胸を烈しく疼かせた」(p.249)。ロドリゴは受難に耐えるとき、神の存在を身近に感じ悦びに燃え「沈黙」の問題は前景化してこない。

共に苦しむ母性的なキリスト——遠藤周作が本当に伝えたかったこと

 だがそのような状態においても、ロドリゴには「神の沈黙」のほかにもう一つ重大な問題があった。キリストが裏切り者ユダに言った「なすことをなせ」というあの言葉である。キリストはユダを忌み嫌いあの言葉を発したのか。ユダは救われることのない存在なのか。そうであるならばユダはどのように生きていけばいいのだろうか

 最初に提示した二項対立を思い出しておこう。図式的にいえばユダの側にいるのは、キチジロー、弱きもの、日本である。ロドリゴが悩むのはこちら側のものたちの救いだ。キリストにまで「なすことをなせ」と見放された存在、死を前に怯え逃げ惑う存在、誰からも忌み嫌われる存在。つまりここでロドリゴが問題にするのは、忌み嫌われる存在が決して救われることはないのか、ということだ。

 あの長く暗い夜、信者たちの呻き声が響く「転び」を約束されたあの夜に、かつて棄教したフェレイラは「基督は、人々のために、確かに転んだだろう」(p.265)と断言し、「今まで誰もしなかった一番辛い愛の行為をするのだ」(p.266)と諭す。このときロドリゴが見出すのは「なすことをなせ」と言い放ち残虐な暴力に「沈黙」を貫く父性的なキリストではなく、共に痛みを感じ受け入れる母性的なキリストである。

この足の痛み。その時、踏むがいいと銅板のあの人は司祭にむかって言った。踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。

p.268

 ロドリゴが見出したキリストはすべてを受け入れる。踏むことも。棄教することも。そこで見つけた母性的なキリストは「沈黙」も「なすことをなせ」もすべてを包み込む。

「主よ。あなたがいつも沈黙していられるのを恨んでいました」
「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」
「しかし、あなたはユダに去れとおっしゃった。去って、なすことをなせと言われた。ユダはどうなるのですか」
「私はそう言わなかった。今、お前に踏絵を踏むがいいと言っているようにユダにもなすがいいと言ったのだ。お前の足が痛むようにユダの心も痛んだのだから」

p.294

 そばで共に苦しむ母性的なキリスト。この新たなキリスト像は正統な教えに反しているかもしれない。しかしここで見つけた母性的なキリストだけがキチジローを救えるのだ。「強い者も弱い者もないのだ。強い者より弱い者が苦しまなかったと誰が断言できよう」(p.294、ロドリゴ)。聖職者たちはロドリゴを「烈しく責める」かもしれない。そしてそのようなキリスト像を受け入れないかもしれない。だがそれでもロドリゴの人生が「あの人について語ってい」る(p.295)のである。

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参考文献

遠藤周作『沈黙』新潮文庫、1981年

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