『ウィリアム・ウィルソン』解説|ドッペルゲンガーは良心か|あらすじ感想・伝えたいこと考察|アラン・ポー

『ウィリアム・ウィルソン』解説|ドッペルゲンガーは良心か|あらすじ感想・伝えたいこと考察|アラン・ポー

概要

 「ウィリアム・ウィルソン」は、1839年に発表されたエドガー・アラン・ポーの短編小説。ポーはアメリカの小説家で奇怪な死や恐怖を描くゴシック小説を好んで執筆した。ほかに『黒猫』や『モルグ街の殺人』が有名である。

 ドッペルゲンガーを題材にしている。結末を冒頭に明かしてしまうポーの小説の特徴を、本作も踏襲している。このような特徴的な物語構成は探偵小説によく見られるもので、実は探偵小説のルーツはポーに遡ることができる。現在から始まり過去へと遡る構成的特徴は、探偵小説として現代まで受け継がれている。

 哲学的小説はクンデラ『存在の耐えられない軽さ』、カミュ『異邦人』、サルトル『嘔吐』、カフカ『変身』などがある。

 純文学はほかにカズオ・イシグロ日の名残り』、フロベール『ボヴァリー夫人』、モーパッサン『脂肪の塊』、谷崎潤一郎『春琴抄』などがある。

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あらすじ

 「ウィリアム・ウィルソン」と名乗る語り手は、ある恐ろしい過去によって破滅の道を進んでいると告白する。

 回想は幼少期に経験した寄宿学校の学生生活から始まる。規律があり厳格な教師のいた学校で、語り手は同級生を魅了し学校の人気者になっていた。ところが一人だけ思いのままにならない人物がいた。ウィリアム・ウィルソンという同姓同名の同級生である。

 彼は名前だけでなく、背格好、振る舞い、生年月日、全てにおいて似ていたのである。違いは声が低いことと大声が出せないことだけであった。仕草も模倣される日々が続き、次第に彼を気にするようになった語り手は、寝込みを襲うことに。夜に彼の寝床に忍び込みランプで顔を照らすと、彼の顔は語り手と瓜二つであった。恐ろしくなった語り手はその日のうちに学校を抜け出した。

 その後オックスフォード大学に進学するも、ギャンブルや夜遊びで堕落した生活を送る。ギャンブルで友達をハメて大金をせしめようとした瞬間、ウィリアム・ウィルソンが突然現れ、語り手のいかさまを暴露しだす。

 ウィリアム・ウィルソンから逃げるように国を移動する語り手は、その先々で野望を叶えようとするも、突如現れるウィリアム・ウィルソンにそのたびに邪魔をされてしまう。

 ローマで公爵夫人を誘惑しようとした際も、同じ衣装を着たウィリアム・ウィルソンが現れる。語り手はウィリアム・ウィルソンの正体を暴くため、彼を控室へと連れ出す。戦いの末、語り手はウィリアム・ウィルソンを刺してしまうが、一瞬のあいだ鏡に移った自分だと勘違いをする。そしてウィリアム・ウィルソンは死際に「よく見るがよい、ぼくの死において、この姿こそが君の姿なのだ。よく見るがよい、君がみずからを完全に殺したのだということを。」(No.482-483)と叫んだのだった。

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解説

統一から分裂へ

 当初は同姓同名で気に掛かる程度の間柄であった二人は、互いを殺し合うまでに至る。このドッペルゲンガーが一体何であるのかは本作で最も気になるところだ。

 同姓同名の彼がウィルソンの幻覚なのか現実に存在するのかは巧妙にぼかされている。一人称小説であるため判断がつかないのだ。さらに物語がすすむにつれてドッペルゲンガーに対する印象が徐々に変化しているのも見逃せない。前半だけなら同姓同名で気に掛かる程度であったのが、後半になると顔から服装まで全てがウィリアムと一致していることがわかる。ここまでくるとウィリアムの偏執的な妄想と思えなくもない。

 この小説は分裂あるいは統一のメタファーに溢れていて、物語全体を通して統一から分裂へと移行していることがわかる。典型的にはウィルソンが最初にいた学校の校長だろう。学校の校長でありながら教会の牧師であるブランズビー師は、しかめ面をしながら体罰用の鞭で校則を守らせる一方、親しみ深い表情を浮かべながら厳かなカツラをかぶりローブを身に纏い教会で説教をするのである。ウィルソンはブランズビー師の二面性に「どれほど驚異と困惑の気持ちに揺さぶられたことだろう」「なんとも巨大な逆説、解きほぐすこともできないまったく怪物的な逆説ではある」と驚きを禁じ得ない。ドッペルゲンガーが現れ自己が分裂してしまう前から、相反する二つの要素の統一がウィルソンには信じられていなかったのである

 二人が完全に決別するのはウィルソンが寝ている彼を覗いたときに起こる。寝ていて意識がなくつまり物真似をしているわけではない彼の顔が自分と瓜二つなのだ。目覚めている時の彼の顔はこうではなかったと驚愕するウィルソンは、しかし目の前に広がる光景を否定することができない。物真似をする彼がウィルソンに似ているとはいえ、それはあくまで近似でしかなかった。ここで現れた無意識の状態の彼はウィルソンと完全に同一である。ウィルソンはそれに気がつき彼から逃げるように学校を飛び出す。ここでは自己の外にある完全な同一体は、統一体にはならず、完全な分離体としてウィルソンと対峙している。

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考察

ドッペルゲンガーは超自我である

 フロイトの精神分析の用語に自我・エス・超自我という概念がある。エスは欲求や衝動などの無意識の領域で、超自我は道徳観や理想などを自我とエスに伝える領域だ。超自我による統制とエスによる無意識の欲求によって自我は影響される。自己はこの三つの領域の相互作用により成り立つと考えられているのである。

 学校を抜け出したウィルソンは酒、ヤク、性、賭博と羽目を外すのを憚らない。それはまるで良心である超自我を失い、エスに身を委ねているかのようだ。酒でタガを外し欲求にまみれる毎日はドッペルゲンガーの存在を忘れさせてくれるが、むしろ彼の存在を忘れるために酒に溺れているようにもみえる。しかしウィルソンは完全に欲求を満たすことができない。野心を遂げようとすると彼が必ず邪魔をしてくるからだ。ウィルソンは彼から逃れた先、またその先、さらにその先でも彼の妨害にあう。それでいて邪魔をする理由が皆目見当もつかないときている。

 どうやら彼はウィルソンの超自我とみるのが妥当そうだ。特徴的な低い声は良心の呼び声である(哲学者ハイデガーに良心という概念がある。解説はこちら。ハイデガーの良心とは何か*なるほう堂)。一見すると大事な場面で邪魔ばかりする憎いやつだが、悪行が一線を越えそうになると現れる保護者のようでもある。統一されていた自我・エス・超自我の超自我だけが分離しドッペルゲンガーとして現れる。そう考えればウィルソンが彼のことを気にしてしまうのも肯ける。エスと自我からなるウィルソンを良心としての超自我が見張り叱っていたのであり、ウィルソンは超自我のご機嫌を伺っていたのである(この点はポーの『黒猫』に似ている。)

 最後にウィルソンがドッペルゲンガーを刺し殺すのは、つまり超自我の殺害を意味する。刺した彼を鏡に映った自分と勘違いするのはあながち間違いではない。超自我を殺害することで自分自身を失ってしまったのだ。その後の展開は冒頭に戻ることで明らかになっている。ウィルソンの美徳は心から抜け落ち邪悪なものになっている。もはや忍び寄る死を受け入れることしかできない

しかしそれは本当か?

 しかし本当にドッペルゲンガーは良心なのだろうか。実は腑に落ちない点も多い。例えば彼のウィルソンに対する仕打ちは、禁止や抑圧をするのではなく、悪行を自由にやらせてすんでのところで挫いて辱めを与えるものであった。実際、賭博の不正を暴かれたウィルソンは強烈な恥を感じていたのである。これは良心のするやり方とは思われない。また良心の死が自らの死を導くのは絶対なのだろうか。

 学校で出会った当初、ウィルソンは彼に親近感を覚えていた。それは自我・エス・超自我の分離以前であり超自我への愛着ともとれるが、他の見方もできるかもしれない。ある時ウィルソンは「幼年期の薄暗い幻想のかけら」を彼にみる。これは彼が可能性としての自分であるということを意味してはいないだろうか。彼に親近感を覚え、しかし同時に反発を感じたのは、あり得べき自己の存在の可能性が目の前に現れたからではないだろうか。

 一度は思い描きしかし否定してしまった自分の存在としてのドッペルゲンガー。それはウィルソンにとって不気味なものとして現れたことだろう不気味なものとは何か – フロイト*なるほう堂)。不気味なものは抑圧したものが回帰してきたものである。もし仮に抑圧されたものが超自我ではなく自己の可能性であるならば、ドッペルゲンガーの殺害は将来の自己の可能性を失ったことになる。可能性の消失はそのまま死の定義だ。すなわち冒頭であり結末でもあるウィルソンの死は何ら不思議なことではない。良心に富んだ可能性としての自己、ドッペルゲンガーをそのような存在ととっても面白いかもしれない。

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参考文献

『フロイト で読み解く分身小説1』中山元、2017年。

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