不気味なものとは何か – フロイト|意味をわかりやすく徹底解説

不気味なものとは何か – フロイト|意味をわかりやすく徹底解説

先行研究 – E・イェンチュの場合

 暗い夜道を歩いていてふいに立っている人が視界に入るとゾッとすることないだろうか?あるいはテレビでやっていた占いが思いがけず的中すると恐ろしい気分になることはないだろうか?

 このような対象をフロイトは「不気味なもの」と呼んだ(『不気味なもの』1919年)。「不気味なもの」は恐ろしいもの、不安を抱かせるようなものに近い対象であることは間違いない。上記の例を想像すると、そこにあるのは「不安」の感情のように思われる。しかし「不安」であることを思い浮かべてみると「不気味なもの」に当てはまらないものが多い。どうやら「不安」のうちに「不気味なもの」は存在しているようだ(キルケゴールの不安ハイデガーの不安はこちら)。

 では「不気味なもの」の核にあるのは何か。E・イェンチュは「不気味なもの」の例として蝋人形や自動機械オートマットを挙げている。

外見からすると生きているように見えるのに、生きているかどうかが疑問に感じられるもの、その反対に、生命のないように見えるるものが、生きているのではないかという疑問を呼びさますもの

『不気味なものの心理学へ』E・イェンチュ、『精神病理・神経症学週報』、1906年、22,23号

 確かにこの定義に当てはまる「不気味なもの」は多い。日本人形が何体も置かれていると不気味だと感じるだろう。だがこの定義に当てはまらないものがあることも確かだ。E・イェンチュの定義には何が欠けているのだろうか。

語彙論と事例研究

 フロイトは「不気味なもの」を研究するために、語彙を集めて比較する方法と事例を集めて検討する方法を取る。

 まずは語彙論から紹介しよう。ドイツ語の heimlich(ハイムリッヒ) は親しみのあるという形容詞である。heimlich の用例を調べてみると反対後の unheimlich(ウンハイムリッヒ)(不気味なもの))と近い意味を意味をもつ場合がある。heimlich は (1)親しみのあると (2)秘密の、隠された、の二つの意味を持ち (2)の用法が unheimlich と置き換え可能な場合があるのだ。heimlich は一義的な語ではなく、二つの異なるイメージのグループを含んでいる。不気味なものを意味する unheimlich は (1)の反対語なのである。

このようおに「親しみのある」(ハイムリッヒ)という語は、ある種の両義性の下でその意味を発展させたのであり、やがては反対語である「不気味な」(ウンハイムリッヒ)と同じ意味を持つようになったのである。

フロイト 『ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの』中山元訳、光文社古典新訳文庫、2011年、149頁

どうやら「親しみのある」ということは「不気味な」と関係があるらしい。しかしそれはどのような意味においてだろうか。

 次に事例研究をみてみよう。ここでは一つだけみてみる。紹介されるのはホフマンの小説『小夜物語』に収録されている『砂男』である。内容の詳細は省いてエッセンスだけ取り出しておこう。

 ナターニエルは幼い頃、眼球をついばむ砂男について母親から聞かされる。砂男が弁護士のコッペリウスであることを突き止めるも見つかってしまう。目玉を取られそうなところを父親が助けてくれて、ナターニエルは失神してしまう。一年後に砂男が父親を訪問すると、仕事場で爆発が起こり父親は死亡、コッペリニウスは消え去ってしまう。
 学生になったナターニエルはイタリア人コッポラから眼鏡を買い、スパランツァー二教授の住居を覗き見する。するとそこにいた自動機械オリンピアに恋をしてしまう。オリンピアの眼球はコッポラがお前(ナターニエル)から盗んだものだと言うと、ナターニエルは発狂しスパランツァー二教授を絞め殺そうとする。
 この事件ののち病気から回復すると、フィアンセのクララと結婚することを考えるようになる。ナターニエルとクララが塔にのぼると、通りに砂男を発見してしまう。再び発狂したナターニエルはクララを突き落とそうし、その後みずから飛び降りて死んでしまう。

 これが大雑把な筋になる。精神分析からすると、眼球を失う不安は去勢に対する不安に代わるものである。すなわち砂男に対する不気味さは、幼少期の去勢コンプレックスに由来する不安に関係している可能性がある。

 他にドッペルゲンガーや不幸な予感の的中、アミニズムなどが挙げられる。実例の詳細が知りたい場合は読むことをお勧めする。

不気味なものとは何か

 以上の実例から二つのテーゼが示される。

1. 精神分析の理論では、すべての情動は抑圧によって不安に代わると想定している。この<不安なもの>のうち、があり、それこそが<不気味なもの>である。

2.不気味なものとは新しいものでも異質なものでもなく、古くから馴染みのものであり、抑圧プロセスのために疎遠になっていたものである。すなわち不気味なものとは、である。

 この二つのテーゼが最も重要だ。巷では、不気味なものは親しいものがよそよそしくなると生じる、などと間違った説明がなされている場合もあるが、重要なことはである。この二つのテーゼだけでも覚えておこう。

 このテーゼから『砂男』を簡単に検討してみよう。『砂男』でナターニエルは子供の時に、目を失うという去勢不安を感じていた。大人になるにつれてこの不安は抑圧されていく。しかし砂男の出現で抑圧された不安が回帰してしまう。そのため砂男を「不気味なもの」と感じるのである。

 最後になるがフロイトの注に興味深い事例が書かれていたので紹介しよう。フロイトが汽車に乗っていると、自分の部屋に入ってこようとしている老人がいた。ここは私の部屋だと説明しようとすると、相手は鏡に写った自分であった。この体験はフロイトにとって極めて不愉快なものだったという。フロイトはドッペルゲンガーに仰天せず認識できていなかった。「しかしその経験で不愉快な印象が残ったことは、ドッペルゲンガーを不気味なものと感じる原始的な反応の残滓だったのだはないだろうか」とフロイトは言う。

 ある立場から異なる立場に自分の意見が変わる時、元の立場に居座る人に強い不快感をもつことがある。これはもしかすると<不気味なもの>で説明できるかもしれない。慣れ親しんだ立場から離れるということは、それを抑圧することを意味する。昔の自分にそっくりの元の立場に居座る人が現れるということは、まさにドッペルゲンガーの出現のようなものだ。するとその人に対してドッペルゲンガーをみるように不気味なものを感じ、それの残滓として不快感が残るのかもしない。

こちらは哲学用語特集 – 〇〇とは何か – に収録されています。こちらもぜひご覧ください。

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