哲学の最重要「概念」の一覧|古代ギリシアから現代まで|哲学初心者&入門者のために

哲学の最重要「概念」の一覧|古代ギリシアから現代まで|哲学初心者&入門者のために
目次

哲学者と概念はセットで覚えよう!

 哲学には概念がたくさん。哲学者の仕事は概念の考案と言っていいくらい、哲学者と概念はセットで語られます。プラトンはイデア、フッサールはエポケー、カントはアンチノミー、デリダは脱構築、マラブーは可塑性といった具合に。

 とはいえこのような概念は日常的に使ってないと忘れてしまうことがあります。また、原著を読まなきゃ理解できないと?という疑問もあると思います。そこで、哲学を学びたい全ての人類に向けて、最重要概念をまとめてみました。それぞれにリンクされた関連記事には、より詳しく分かりやすい解説があります。

 概念の確認や、未知の概念の勉強にぜひお使いください!!

 また、哲学書の一般向けは「哲学初心者向けの人気おすすめ著作」、本格向けは「本格的な人向けおすすめ哲学書」、現象学入門は「現象学のおすすめ入門書と専門書」で紹介しています。ぜひこちらもご覧ください。

ソクラテス(紀元前470年頃 – 紀元前399年)

無知の知

 君たちは何事かを知っていると思い込んでいるが、実は何も知らない。逆に自分は何も知らないと思っている。どちらが偉いか?

 こう問いたとき、何も知らないことを知っているぶん、自分のほうが知恵があるというのが「無知の知」であり、ソクラテスの哲学的態度はまさに「無知の知」でありました。

>>関連記事はこちら:無知の知とは何か

アリストテレス(紀元前384年 – 紀元前322年)

形而上学

 形而上学という単語を説明せよ!と言われたら、なんと答えるだろうか。

 「形而上学」はアリストテレスが主著『形而上学』で初めて取り上げました。今日では「形而上学」=「哲学」と思われていますが、アリストテレスは違う意味で使っていました。

 形而上学の意味をアリストテレスまで遡りながら詳しく解説しています。

>>関連記事はこちら:形而上学とは何か

アリストテレスの錯覚

 アリストテレスには有名な「アリストテレスの錯覚」という錯覚があります。アリストテレスは錯覚を夢とつなげて論じています。

 この「アリストテレスの錯覚」はのちにメルロ=ポンティも取り上げて論じました。

>>関連記事はこちら:アリストテレスの錯覚とは何か

ルネ・デカルト(1596年 – 1650年)

方法的懐疑

 私の目の前にあるものは本当にあるのだろうか?あるいはリンゴは本当に赤色だろうか?

 方法的懐疑とは『省察』でデカルトが提唱した哲学的探究の実践的な方法です。疑えてしまうものはすべて排除した先に何があるのか、と問う方法的態度のことでもあります。

 方法的懐疑を応用して導かれる「我あり」のアクロバットな証明方法をご覧あれ。

>>関連記事はこちら:方法的懐疑とは何か

我おもう、ゆえに我あり

 「コギト、エルゴ、スム」。哲学において最も有名な言葉の一つではないでしょうか。

 「我おもう、ゆえに我あり」はどのようにして導かれるのか、『方法序説』は何故フランス語で書かれたのかなどを解説します。

>>関連記事はこちら:我おもう、ゆえに我あり

イマヌエル・カント(1724年 – 1804年)

アンチノミー

 ドイツ最大の哲学者であるカント。カントは三大主著『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』を発表し、認識論における「コペルニクス的転回」をもたらしました。

 そんなカントの中でも最重要概念が「アンチノミー」です。アンチノミーは二律背反のことで、どちらも妥当である命題同士が互いに矛盾する状態であることをいいます。単純なようで難しいこの概念ですが、実は『純粋理性批判』の中でも最も重要な概念でした。

 詳しくは以下の記事をお読みください。

>>関連記事はこちら:アンチノミーとは何かーカント『純粋理性批判』

啓蒙

 カントは三大批判書で認識論の刷新をおこなう傍ら、永遠平和や啓蒙についても論じていました。

 啓蒙とは知識をもつ者が教えるということですが、それを行うためにはある基準がありました。そこで重要になるのが「理性の公的使用」と「理性の私的使用」という使い分けで、「公的使用」が肯定されます。ここがカントの独特なところで、理念や永遠平和を追いかけるカントらしさが現れていると思います。

>>関連記事はこちら:啓蒙とは何かーカント

コペルニクス的転回

 カントが自らの哲学を示すために用いた表現です。

 一般的には、物事の見方が180度変わることを意味します。元々は天動説から地動説への説への転換のことで、地動説の発見者がコペルニクスだったので、コペルニクス的転回と呼ばれるようになりました。

 カントは自分の超越論的哲学への転換が、そのようなコペルニクスの転換に類似していると語っています。このことから、カントの超越論的哲学への転換そのものをコペルニクス的転回と呼ぶようにりました。

>>関連記事はこちら:コペルニクス的転回とは何か

セーレン・キルケゴール(1813年 – 1855年)

不安

 ハイデガーの「不安」という概念が有名ですが、それは実はキルケゴールの「不安」由来なのです。キルケゴールは神の前で対峙する自己を徹底的に考えた哲学者です。

 原罪以前の「不安」や原罪以後の「不安」を論じながら、神と人間の関係を探ります。ハイデガーの「不安」の概念の違いに注目しながら、勉強すると面白いと思います。

>>関連記事はこちら:不安とは何かーキルケゴール

フリードリヒ・ニーチェ(1844年 – 1900年)

永劫回帰

 ニーチェの根本思想。永遠回帰とも呼ばれます。簡単に言えば、あらゆる出来事が永遠に繰り返されることをさします。

 ニーチェはこれを歴史にも適用し、さらにそれ自体を肯定します。永劫回帰の肯定とは結局のところすべての肯定です。それはありのままの生の肯定であり、生の事実の肯定になるのです。

>>関連記事:永劫回帰とは何か

ニヒリズム

 元々存在していた言葉ですが、哲学史的にはニーチェによって有名になった概念です。日本語では虚無主義と訳されることもあります。

 現在でも「それはニヒリズムだ」とか「ニヒルだね」と批判的に使うことも多々あります。

>>関連記事:ニヒリズムとは何か

ルサンチマン

 無力ゆえの「憎悪」「嫉妬」に基づく下からの「復讐」に対する名称がルサンチマンです。復讐心、反逆心と訳せる場合も多いです。

れ、ドイツ語として「傷つきやすさ」「不満」「憎悪」などの意味で用いられるようになっていた。

 ニーチェによれば、キリスト教道徳はこのルサンチマンによって発生した価値観であり、その価値観をニーチェはニヒリズムと呼んでいます。

>>関連記事:ルサンチマンとは何か

ジークムント・フロイト(1856年 – 1939年)

不気味なもの

 精神分析学の開祖であるフロイト(1856年–1939年)の重要概念が「不気味なもの」です。1919年の論文で取り上げられました。

 「不気味なもの」とは、暗い夜道を振り返ってざわざわと動く物体を見つけてしまった時のあの感覚です。一体あのざわつくような感覚は何なのか。そこに注目したのがフロイトでした。

 ざっくり定義を言いますと、「抑圧されたものの回帰」です。この概念はのちの哲学者にも注目され、デリダなどが取り上げています。

>>関連記事はこちら:不気味なものとは何かーフロイト

エトムント・フッサール(1859年 – 1938年)

 フッサールは現象学者の創始者です。ハイデガー、サルトル、メルロ=ポンティなど様々な哲学者に影響を与えました。

現象学

 現象学といえど一枚岩ではない。フッサール、ハイデガー、サルトル、メルロ=ポンティと多くの現象学者がいるのだが、その人たちが使う現象学は意味や注目するポイントが少しずつ違うのだ。

 ということでここでは元祖現象学、フッサールの現象学について解説します。学ぶとわかりますが、後の現象学者は基本的にフッサールの現象学を批判して、自らの現象学を打ち立てています。したがってフッサールの現象学を学ぶことは極めて重要だといえるでしょう。

>>関連記事はこちら:現象学とは何か

志向性

 人間の意識とはどのようになっているのでしょうか。

 フッサールは意識は何かに向けられていると考え、それを志向性と呼びました。志向性こそが、人間の意識のあり方だと論じたのです。

>>関連記事はこちら:志向性とは何か

現象学的還元

 現象学的還元は、現象学の方法論のことで、重要概念の一つになります。エポケーとほとんど同じ意味なのですが、意味合いが少し違う場合もあるので確認しておきましょう。

 判断停止、宙吊り、と言われたりもします。原著を引用しながら、フッサールが与えた定義を解説していきます。

>>関連記事はこちら:現象学的還元とは何か

エポケー

 現象学的還元とほぼ同じ意味で使われています。

 現象学的還元と同じく、判断停止や宙吊り、と言われることもありますが、普通はそのまま「エポケー」と使います。

 こちらも原著を引用しながら確認してみましょう。読むと実はよくわかっていなかった、と発見があるはずです。

>>関連記事はこちら:エポケーとは何か

ヒュレー

 エポケーによって明らかとなる意識の部分についての解説です。

 ヒュレー/モルフェー、という対概念になります。

>>関連記事はこちら:ヒュレーとは何か

間主観性

 フッサールの現象学は、主観的で自分のことしか論じていないと思ったら大間違い。現象学は「他者」についても考えます。

 そこで土台となるのが「間主観性」という概念です。主観をもつ個人個人の間にある主観のことですね。この議論を発展させて、後世の哲学者は他者論を組み立てるので、絶対に抑えておきたい概念です。

>>関連記事はこちら:間主観性とは何か

生活世界

 フッサールの現象学は、我々が生活するこの世界についても論じています。

 それが「生活世界」になります。この概念は、我々一般人にとっても馴染み深いというか、わかりやすいと思われます。

>>関連記事はこちら:生活世界とは何か

マルティン・ハイデッガー(1889年 – 1976年)

現存在

 ハイデガーの主著『存在と時間』で最も重要な概念の一つ「現存在(Dasein)」。現存在とは、「現というあり方を持った存在」のことです。『存在と時間』では、「現存在」は「人間」のことであるとされています。

 とはいえ、「現存在」は「人間」のことだ、で満足してはいけません。『存在と時間』を引用しながら、「現存在」を読み解いていきましょう。

>>関連記事はこちら:現存在とは何か

不安

 人間は不安に陥ることがあります。しかし、あの「不安」とは一体何者なのでしょうか。

 ハイデガーは、不安を根本的な情態性、と位置付けます。そして現存在の本来性に開かれる端緒を、不安にみるのです。

 ここらへんの議論もスリリングですね。以下の解説を片手に、『存在と時間』を読んでみましょう。

>>関連記事はこちら:不安とは何かーハイデガー

手許存在

 物のあり方には二種類あります。手近存在か、手許存在か。

 大雑把にいうと、道具としてみるか否か、ということになるのですが、この観点からだけでもハイデガーの独創性が見受けられます。道具としての存在はほかのものと関連しながら、その全体が世界の世界性をあらわす、という世界観を提示します。大変面白いです。

>>関連記事はこちら:手許存在とは何か

良心

 ハイデガーにとって「良心」も非常に大事な概念になります。

 これは決して倫理や道徳を説くために、導入された概念ではありません。現存在が本来性に開かれるための、一つの段階として「良心の呼び声」が重要になるのです。

 この議論は順々に進んでいくので前進している感じがして読んでいて楽しいです。

>>関連記事はこちら:良心とは何かーハイデガー

ジャック・ラカン(1901年 – 1981年)

想像界、象徴界、現実界

 精神分析の重要な基礎概念です。

 ラカンはこの概念で、人間の生きる世界の在り方を論じようとしました。

>>関連記事:想像界、象徴界、現実界とは何か

ジャン=ポール・サルトル(1905年 – 1980年)

実存主義

 時代の寵児として注目されたサルトル。彼の実存主義は絶大な人気を誇り、当時はサルトルの著作から多くのことを学びました。

 サルトルの実存主義をわかりやすく解説したのが、『実存主義はヒューマニズムである』(1946年)という1945年に行った彼自身の講演です。

>>関連記事:実存主義とは何か

エマニュエル・レヴィナス(1906年 – 1995年)

他者・責任

 他者の現象学者と呼ばれるレヴィナス。彼の思想には、「他者」と「責任」をどう考えるか、という根本的な問いがあります。この思想はデリダにも引き継がれていくものです。

 レヴィナスはユダヤ人としての戦争の経験が思想に色濃く影を落としています。そのため「他者」という概念も重く深いものになっています。

 最新の研究ではレヴィナスの「他者」の見方に変更が見られています。以下の記事では、初心者にも分かる丁寧な解説で最新の研究まで勉強できます。

>>関連記事はこちら:他者に対する私の責任:レヴィナスの哲学について

モーリス・メルロー=ポンティ(1908年 – 1961年)

自由

 メルロ=ポンティは現象学者で独自の身体論を構築した人物です。フッサールやサルトルの後にでてきた現象学者ですね。

 フッサールとの違いは、現象学的に身体論を論じたことです。そしてその立場から「自由」についても考えたのですね。

 多くの哲学者が「自由」について論じていますが、メルロ=ポンティの立場からは、どのように「自由」を記述できるのでしょうか。

>>関連記事はこちら:自由とは何かーメルロ=ポンティ

ジョルジョ・アガンベン(1942年 -)

ビオス・ゾーエー

 「ビオス」と「ゾーエー」はどちらもギリシャ語で、「生」を表すのですが、意味合いが少しずつ違います。

 「ゾーエー」は動物を意味する「zoo」の語源であることからも分かるように、動物的な「生」を意味します。一方、「ビオス」は人間的な文化的な「生」を意味することになります。

 ジョルジョ・アガンベンが『ホモサケル』で取り上げたことで有名になりました。

>>関連記事はこちら:ビオスとゾーエーとは何か

スラヴォイ・ジジェク(1949年 – )

否定性

 ジジェクの思想の核心には「否定性」があります。物事を眺めるラカン独自の視点は、象徴界に裂け目をいれる「否定性」を探すことで特徴付けられるとも言えるでしょう。

>>関連記事はこちら:「クリームなしコーヒー」と「ミルクなしコーヒー」からみるジジェクの思想

カンタン・メイヤスー(1967年 -)

思弁的実在論

 最新の最重要思想、それが「思弁的実在論」です。どれくらい最近かというと、2007年のワークショップが発端になってるんです。そのワークショップのメンバーが、カンタン・メイヤスー、レイ・ブラシエ、イアン・ハミルトン・グラント、グレアム・ハーマンです。

 この思想を知るためには、カンタン・メイヤスーの『有限性の後で』を読むのがおすすめです。そして『有限性の後で』を中心に、「思弁的実在論」を詳しく解説してるのが下の記事です。『有限性の後で』を読まなくても「思弁的実在論」の大枠が掴めます!!

>>関連記事はこちら:「思弁的実在論」の主張をわかりやすく徹底解説––カンタン・メイヤスー『有限性の後で』を中心に

大澤真幸(1958年 – )

第三者の審級

 第三者の審級とは何か。ざっくりいうと、それは人間を超越する何かで善悪の基準を与えてくれるもののことです。それは人それぞれ違うのですが、例えば神、キリスト教、国家、父などが典型的で、さらにいえば精神分析家にとってのフロイトのテクストや、マルクス主義者にとってのマルクスの『資本論』まで含まれます。

 何故この概念が重要なのかというと、現代は従来の第三者の審級が衰えた時代だからです。とはいえ、「第三者の審級」が消滅してしまうと、「善悪の基準」も失われてしまい大変なことになってしまいます。さてどうしたものか、というのが問題意識になります。詳しくは以下の記事を参照して下さい。

>>関連記事はこちら:第三者の審級とは何か

不可能性の時代

 社会学者の見田宗介は戦後の日本社会を論じるにあたって、現実の反対である「反現実」という観点から眺めることの重要性を説きました。見田の区分に従えば、戦後は「理想の時代」「夢の時代」「虚構の時代」と区分できます。

 それを発展させたのが見田の弟子の大澤真幸です。大澤は見田の区切りを変更し、「虚構の時代」のあと、つまり1995年以降は「不可能性の時代」に突入したと論じました。

 日本を語る上で絶対に欠かせない論点です。必読です。

>>関連記事はこちら:不可能性の時代とは何か

村上靖彦(1970年-)

超越論的テレパシー

 村上靖彦は日本を代表する精神分析学・現象学者の一人。「超越論的テレパシー」は村上が提唱した概念で、かなり面白いと思います。

 空想におけるテレパシーと創造性などを絡めながら論を展開しています。

>>関連記事はこちら:超越論的テレパシーとは何か

國分功一郎(1974年 – )

中動態

 意志がある行為と、意志のない行為。能動的な行為と、受動的な行為。行為にはこの二種類しかないと思われています。そして意志のある行為は責任が伴う、と。

 しかし古代ギリシャまで振り返ってみると、能動的な行為と受動的な行為、という二項対立は自明なものではありませんでした。そう、古代ギリシャには中動態という、知られざる「態」があったのです。

 中動態とは、自らの行為が自らに戻ってくるような行為のことです。汎用性が高く、この概念を知っておくだけで目が開かれると思います。詳しい解説は以下。

>>関連記事はこちら:中動態とは何か

その他

フェミニズム

>>関連記事はこちら:フェミニズムとは何か

動物論

>>関連記事はこちら:動物論入門

フーコー=デリダ論争

>>関連記事はこちら:フーコー=デリダ論争とは何か

ドイツ観念論

>>関連記事はこちら:ドイツ観念論とは何か

フェミニスト現象学

>>関連記事はこちら:フェミニスト現象学とは何か

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