自由とは何かーメルロ=ポンティ|意味をわかりやすく徹底解説

自由とは何かーメルロ=ポンティ|意味をわかりやすく徹底解説

自由とは何か

完全に自由かまったくの不自由かという二者択一的思考は自由を不可能にする

 自由とは何なのだろうか。私たちは自由であるか完全に不自由であるかのどちらかである、そのような考え方から自由を考えるべきなのか。古典的な自由の意味を覆し、生き生きとした自由をメルロ=ポンティは明らかにする。『知覚の現象学』最終章「自由」から、メルロ=ポンティの自由論に迫っていくことにしたい。

 自由をどう考えれば良いのだろうか。私の意思や決定の根拠となるようなものはどこにあるのか。それが物の側にあり、何らかの物によって私が動かされるのであればそれは因果性の枠組みの中にあることになり、私は自由ではないということになる。逆に私自身に根拠があれば、私は絶対的に自由だということになり、決定論から免れる。因果性という概念が無理だとすれば我々は自由であり、絶対的自由を否定すれば因果性という概念を選択することになるだろう。そうするとこの議論は「すべてが我々の自由になるか、それとも何一つ我々の自由にならないか、のいずれか」(邦訳、345頁)になりそうだ。カントなら自由をそのような図式で考えただろう。しかし果たしてそうなのだろうか。メルロ=ポンティは言う。

けれども、自由についてのこの最初の反省は、自由を不可能にするという結論に達するだろう。

345頁

 仮に完全に全ての人が自由だとしたら、どの人の自由も差はない。苦しんでいる人も心晴れやかな人も同様に自由である、ということになる。そうなると、自由というのは我々が普段生きている一般的な状況には登場しないということだ。自由な選択とか自由な行為といった言葉も意味をなさず、あるのは、私たちは因果関係に完全に規定されているわけではないのだから自由だといったような、可能性の条件としての自由でしかない。しかしそんな自由を生きることはできないのだ。というわけで自由を意味付与〔Sinn-Gebung〕というフッサールの概念を再検討することで、もう一度取り上げ直してみようとするのである。

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自由を下から支えている基盤

 メルロ=ポンティの主張は実は簡単だ。それは序文から一貫している(詳しくは【『知覚の現象学』序文入門ーー初学者のために*なるほう堂】参照)。要するに、絶対的な主観性とかそのような極端な観念論(主知主義)だったり経験論的考え方は思弁であり、私たちの生きた経験とは、決して明晰になることはない盲目的で受動的な領野を基盤として浮かび上がってくるのだ。その領野を序文では作動的志向性とか匿名性とか呼んでいる。古典的な図式で最下層と考えられてきた絶対的何かは最下層ではなく、絶対的ではない曖昧なものが最下層なのである(完全な現象学的還元は不可能である)。自由もそういった考えを背景にして考察されている。

①外的知覚:土着の意味

 まず外的知覚という状況(何かを見たり聞いたりしている状況)で自由がどのように現れるか見てみよう。たとえば次のような点

•• •• •• •• •• ••

は「ある間隔をおいて対をなしている6組の点」として知覚される。この点を12個の点として自由に考えることはできるが、そういったものとして知覚することはできない。そういうわけで絶対的自由の一歩手前にこの点を「6組の点」として知覚される構造が存在しているのである。メルロ=ポンティはそれを土着の意味と呼んでいる。

したがって、たしかに即自的な障害物というものもないが、しかしそれを障害物として性格づける自己もまた無世界的な主観ではなく、この自己は自己自身に先駆けて物のもとにあり、それに物の形態を与えてやるのである。われわの受肉した実存と世界との交渉のなかで構成される、世界の土着の意味というものがあって、これが決意にもとづくすべての意味付与の基盤となっているのである。

352頁

 意味付与は文字通り意味を与えることであるが、絶対的に主体が意味を与えるのではない。意味付与にはそれを成立させる基盤があり、その基盤を養分として意味付与が可能となる。その養分こそ土着の意味なのである。

②価値付与(苦痛や疲労):沈殿作用

 価値に関しても同様なことが起こる。例えば苦痛とか疲労とかに対して私は絶対的な自由を行使できない。疲労や苦痛を感じているとき私たちの多くはやる気の減退を感じたりするわけだが、それを自由というもので跳ね返すことはできない。というわけで価値付与の場合にも、絶対的自由の一歩手前で何かが働いているのだ。たとえば劣等コンプレックスによってその人はある決断を下せない場合がある。つまりそういったものが背景となり自由が浮かび上がってくるのだが、それをメルロ=ポンティは一種の沈殿作用と呼んでいる。

しかし、まさしくここでもまたわれわれは、われわれの生活に備わる一種の沈殿作用を認めなければならない。

353頁

 こういった沈殿作用は「特別な重み」「現在の雰囲気」(354頁)となって、自由を下支えしている。

③歴史的状況(階級意識など):共存や実存的投企

 歴史的状況を確認しても同様である。例えば階級意識や革命意識はどのように生じ、革命はどうして実行に移されるのか。労働者が革命的な状況に身を投じるようになるのは、絶対的な自由によってではない。それは徐々になされる。その人は日雇い労働者として働いているが、労働条件や景気などが一向によくならず、自らの運命に不満を感じている。その他の仲間も同じような状況であり、自分の生活が何か押し付けられたものだと感じている。こうやって集団意識が生じてきて自分たちが属している階級とかもまた意識されるようになる。つまり歴史の一部として自らを認識することになるのだ。歴史の一部として自らを理解させる土台をメルロ=ポンティはここで共存の地盤実存的投企と呼んでいる(実存主義についてはこちら:実存主義とは何か)。

そうしてみると、このような事実は、労働者は無からex nihilo〕いきなり労働者や革命家になるのではなく、彼がそうなるのは、むしろある共存の地盤のうえでなのだということを証明していることになる。われわれが検討している考え方の誤りは、要するに知的投企だけを考慮して、決定されていると同時に未決定な目標ーーそれ自身この目標のいかなる表象ももっておらず、そこに到達した瞬間にはじめてそれとして認めることになるような目標ーーへ向かっての生の集極化ともいうべき実存的投企を考慮に入れていないところにある。

360頁

 例えば、革命の退潮の中で軍事独裁者が熱望され、ナポレオンが登場した。しかしナポレオン以外にもそれを企てた連中はいて(ドュムリエやキュスティヌ)、歴史の運動がそのような方向性を目指していたということが本当は重要である。つまりナポレオン個人もそういった歴史の方向性を土台として独裁者になったのだ。そういった歴史の運動をメルロ=ポンティは「ひと」の具体的投企と呼んでいるが、要するに匿名的な歴史的主体というものがあって、それが個人的主体に宿っているのである。共存の地盤や実存的投企があるというはそういうことなのだ。

したがって我々の発意や、我々自身がそれであるところの厳密に個人的な投企の周囲に、一般化された実存とすでになされた投企の地帯、つまりわれわれと物とのあいだをさまよい、われわれに人間とかブルジョワとか労働者といった資格をあたえるさまざまな意味の地帯を認めることになる。

366頁

結論

メルロ=ポンティにとって自由とは何か

 これまで外的知覚や価値付与、歴史的状況における、絶対的自由の土台となる運動を確認してきた。そういった結論を踏まえると、自由とはどういうことになるのか。

私が完全に取り込まれてしまう事件などない。だがそれは、そのとき私が私の自由のうちに身を引くからではなく、私が他のことに身を任せるからなのである。私は自分の悲しみについて考える代わりに、自分の爪を見つめたり、朝食をとったり、政治に没頭したりする。私の自由は常に孤独であるどころか、それが共犯者を伴わぬことはけっしてないのであり、その不断の剥離の能力は、世界への私の普遍的参加を支えにしている。

369頁

 非常に具体的でわかりやすい例だと思う。私は完全に運命によって規定されているわけではない。しかしながらそのことは私が完全に自由だということを意味していない。私が何かの状況を逃れるためには、また別の状況(これまた不自由な状況)を利用するしかないのである。悲しみを完全に消し去ることができるのではなくて、悲しみは背景に退くだけである。つまり自由とはそういった世界を行き来する能力のことであって、それ自体絶対的な自由でも絶対的な不自由でもない。逆に、そういったものの「ありえなさ」が自由なのである。したがって

我々の自由は全面的なものであるか、そうでなければ皆無だと言われる。だが、このジレンマは客観的思考と反省的分析のものであり、その共犯行為なのである。

372頁

 私たちは自由である。そのことの意味は、悩んだり苦しんだりしながらも決して完全に縛られたりせず、その中で選択や決定をするその生のことなのである。

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関連項目

参考文献

M. メルロ=ポンティ『知覚の現象学2』竹内/木田/宮本訳、みすず書房、1974年。

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