メルロ=ポンティ哲学のおすすめ入門書・解説書を6冊紹介|メルロ=ポンティを読もう!

メルロ=ポンティ哲学のおすすめ入門書・解説書を6冊紹介|メルロ=ポンティを読もう!

メルロ=ポンティ哲学を学ぶためにおすすめの本

 モーリス・メルロ=ポンティの哲学を学ぶといってもいろいろな段階があるので、入門編から探究編まで難易度別に人気著作をここで紹介することにした。

 メルロ=ポンティ哲学を楽しみながら知りたいという人は入門編、メルロ=ポンティ哲学を深く知りたいという人は上級者編の著作から読むべしだ。自分のレベルに合わせて読んでみることをお勧めする。

 また、ベルクソンの入門書は「ベルクソンのおすすめ入門書・解説書」、フッサールの入門書は「フッサールのおすすめ入門書・解説書」、ハイデガーの入門書は「ハイデガーのおすすめ入門書・解説書」、サルトルの入門書は「サルトルのおすすめ入門書・解説書」、現象学の入門書に関しては「現象学のおすすめ入門書・専門書」で紹介している。ぜひこちらもご覧ください。

入門編

村上隆夫『人と思想 メルロ=ポンティ』

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¥1,100 (2024/05/24 09:17:12時点 Amazon調べ-詳細)

 「人と思想」シリーズの112がメルロ=ポンティである。本書ではまずメルロ=ポンティの生涯をたどりながらその後に簡単に彼の思想を紹介する。メルロ=ポンティの生涯から知りたい人にはおすすめである。

鷲田清一『メルロ=ポンティ 可逆性』

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 『現代思想の冒険者たち』シリーズの文庫化。メルロ=ポンティ生涯と主要著作をていねいにたどる入門書兼概説書である。「行動」「運動」「スティル」「偏差」から最後に「可逆性」にたどり着く、メルロ=ポンティの思想の遍歴が細かく解説される。

 「折々のことば」の連載でもお馴染みの、メルロ=ポンティ研究者である鷲田清一が解説します。

木田元『メルロ=ポンティの思想』

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 メルロ=ポンティの古典的入門書。現在では入手困難となっているが思想がコンパクトにまとめられている。

上級編

『メルロ=ポンティ読本』

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 メルロ=ポンティの著作や論考ごとに要約的な解説がついているスタイルの解説書。また、最初にメルロ=ポンティの詳細な経歴、そして最後にはメルロ=ポンティの論考や著作などの発表年が年別に並べられており、ほぼ全てを網羅している。メルロ=ポンティの著作の内容などを手軽に調べたいときにあったらうれしい一冊。

探究編

澤田哲生『幼年期の現象学』(2020年)

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人文書院
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 タイトル通りメルロ=ポンティの「幼年期」に関する現象学を研究した研究書。メルロ=ポンティは1949年の秋にソルボンヌ大学文学部の児童心理学と教育心理学のポストに准教授として就任した。そのソルボンヌ講義は彼が関心を持っていたテーマや領域を生徒に紹介するという内容だったのだが、そこでは発達心理学を中心に、精神分析や文学、社会学、現象学まで膨大なテクストを扱って講義を行なっている。そのうちのメルロ=ポンティの発達心理学の研究を中心に研究したのが本著作である。

 この著作の功績はメルロ=ポンティが幼年期と大人を完全に分離した存在として考えていたのではなく、幼年期に見出された現象は大人になっても消え去らず、むしろ大人の先取りであり、さらには子どもの中に大人的な性質が見出せると考えていたことを示したことだ。子供の創造性や暴力性などが大人なってから突如として予期せずして現れることがある。そういった実存のあり方は幼年期の蓄積との関連で捉えられるべきであり、メルロ=ポンティはそのことをさまざまな発達心理学のテキストを取りあげながら主張している。本著者はメルロ=ポンティのそのような考えをソルボンヌ講義を中心にこれまた多くのテキストを取り上げながらそれらをまとめ、的確にそして簡明に示している。

 アリエスの『子どもの誕生』以後、子どもという概念は普遍的なものではなくなり、むしろ近代化によって作られたものだという考えが生じてきた。その流れでニール・ポストマンは『子どもはもういない』(1982)という著作で、こどもという時期が近い将来消滅することを示唆した。

 しかし著者も述べているように消滅するどころか、ますますその重要性が高まっている。しかも幼年期というのは、我々大人からしてみれば、全く謎めいた現象でもある。子どもは世界をどのように見ているのか、大人は子どもをどのように引き継いでいるのか。メルロ=ポンティの思想だけでなく、その謎について知りたい人はこの著作をおすすめする。

 なおメルロ=ポンティ自身の発達心理学関係のテキストとして「幼児の対人関係」や「子どもの意識の構造と葛藤」などが翻訳されているが、翻訳されていないものもある。しかも難解であったりするし、それぞれにまとまりがない。「幼年期の現象学」の全体像を知りたい方は、この研究書がおすすめである。

谷徹『意識の自然』(1998年)

 とりあえずこれさえ理解できれば、メルロ=ポンティの現象学史の中での位置づけが把握できる著作。ハイデガーやフッサールとの比較の中でメルロ=ポンティの現象学を捉えることができる。なにより『見えるものと見えないもの』を中心に読解しているのに難しくない。哲学的にはメルロ=ポンティの思想は批判されている。高価であること以外はおすすめの一冊である。

著作

 彼の作品には著作だけでなく、いわゆる雑誌への寄稿やラジオ公演、講義録もある。『行動の構造』や『知覚の現象学』はれっきとした書物であるが、『シーニュ』とかは彼のそれまでの論考を集めて発表したものだ。遺稿は『見えるものと見えないもの』(1964)であるが、その後にも出版が相次いでいるのは彼の生前の講義録や論考を編集し直して出版しているなどの事情による。それでは著作を見ていこう。

行動の構造

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『行動の構造(上)』滝浦静雄・木田元訳、みすず書房、2004年【新版版】
『行動の構造(下)』滝浦静雄・木田元訳、みすず書房、2004年【新版版】

 1942年出版の著作である。アルフォンス・ド・ヴァーレンは『行動の構造』第二版の序文で、この著作が『知覚の現象学』のテーマに従属しているとしながらも、それでも「『行動の構造』から読み始めるのが良い」としている。主張の方向性はやはり『知覚の現象学』とは異なる。つまりこの著作は『知覚の現象学』よりも劣るわけではない

 『知覚の現象学』では客観化される以前の身体や知覚の経験の記述に焦点を当てた内容であった。序文で現象学的還元が示されたあと、その後の章では客観化される以前の生き生きとした経験を様々な側面から開示していく。他方で『行動の構造』はそういった経験の記述よりも、科学との対話による哲学的問題の提示を重視している。つまり科学の成果を重視しながら、科学の存在論的前提を批判して自らの論を進めるというスタイルをとっている。ここに『行動の構造』の独自性がみられるといってよいだろう。

知覚の現象学

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 1945年に出版された第二の主著だ。『行動の構造』との姉妹作であり、その二つを提出して博士号を取得した(序文の解説はこちら : 【『知覚の現象学』入門 – 初学者のために*なるほう堂】)。

 『行動の構造』と『知覚の現象学』は非常に内容が似通っている。少なくとも根本的な主題は同じである。それでは『知覚の現象学』には『行動の構造』と比べてどのような特徴があるだろうか。

 アルフォンス・ド・ヴァーレンによって書かれた『行動の構造』第二版の序文によると、違いは記述している「経験の型」だという。『行動の構造』の場合「科学的な経験の水準」が問題となっており、その水準で見出された事実や行動が科学的理論(実験心理学の理論)では理解できないということを主張するものであった。それに対して『知覚の現象学』では見出された事実や行動とは「自然的経験」(フッサールにおける「生活世界」の水準)のことであり、その自然的で日常的な経験を理論や解釈(哲学的・心理学的等々)からではなく、事象に即して露わにすることが『知覚の現象学』の主題なのだ。事象に即して・・・、それこそメルロ=ポンティのいう現象学である。したがって『知覚の現象学』では、実験心理学からのデータや事実が取り上げられるにしても、そこで記述されようとしているのはより包括的で日常的な生なのである。『行動の構造』が経験の範囲を科学で見出される経験に絞っているのに対して、『知覚の現象学』ではそれも含めたわれわれの経験(日常的な見る、聞く、話すという経験や精神病理学的な事例)を記述しているといっても良いだろう。

 もう一つ挙げるとすれば、フッサールの遺稿読解である。『行動の構造』は1942年の出版であるが、脱稿は1938年である。メルロ=ポンティは1939年にフッサール文庫を訪れ『イデーンII』や『危機』の草稿を読んでいる。実際序文を見てみると『第六デカルト的省察』などそのとき未刊行であったフッサール著作からの引用が数多く見られる。つまり『知覚の現象学』はその草稿研究の結晶でもある。より現象学運動史の中に著作を落とし込めたということができよう(現象学運動についてはこちら:【現象学運動史とサルトル*なるほう堂】)。

 とはいってもやはり『行動の構造』のテーゼは『知覚の現象学』のテーゼに従属している。というのも科学的経験も自然的経験が土台となっているからである。その意味でメルロ=ポンティの思想や経験を理解するために『知覚の現象学』は外せない書物だ。

 特徴は「身体の現象学」と呼ばれるようなものを持ち込んだことだ。フッサールには実は草稿に数多くの身体論を残していたが、生前の著作ではその影は薄く、なんといってもハイデガーには身体の記述がほとんどない。「世界内存在」などのハイデガー概念をメルロ=ポンティが取り込んでいるにしても、そこにメルロ=ポンティの新しさがある。

 それで身体とは結局何なのか。哲学的にあるいは現象学的に言えば、それは物であると同時に意識でもあるというのを明らかにしたのがメルロ=ポンティの功績だ。身体は人から見られるという点で物であり、身体を通して世界をまなざすという点で意識でもある。古典的な哲学的議論はどちらかの立場に触れており、それが主知主義と経験論という立場で表される。しかしどちらの立場もそれだけで正当化されないことを様々な事例から読み込んでいく。どちらかの極に偏り、その立場から絶対的に理論を構築することなどできやしないのだ。そういうわけで、それを身体という現象に落とし込んでいくと、物であり意識であるという結論が導かれる。それこそ彼の哲学が両義性の哲学と呼ばれる所以なのである。『知覚の現象学』では序文でその哲学を現象学に輸入し、緒論で主知主義と経験論という見方がどちらも批判される。そして主知主義にも経験論にも陥らない両義性の哲学の中で身体(第一部)、世界【知覚された世界(第二部)】、主体【対自存在と世界における存在(第三部)】がそれぞれ現象学的に明されていく。

 私がお勧めしたい読んでほしい箇所は特に第一部第三章の症例シュナイダーなどの精神病理学的な事例の検討のところである。様々な患者の、いわゆる健常ではない事例が検討される。例えば、ある患者は指示によって自分の身体の一部を指で指し示すことはできないが、しかし同じ部位が蚊に刺された場合に素早くそこに手を持っていくことができる。こういった事例がいくつも検討される。するとよく分かってくるのは、我々の身体は現象の基礎であるにもかかわらず、知的/理性的ではないということである。逆に患者の方が知的/理性的あったりするのである。これは当たり前に見えるかもしれないが、哲学の歴史の中では大きな転換であった。いわばあいまいなもの、身体や習慣といった非反省的なものが知性/理性といった確実なもの、安定的なものを基礎づけるし、逆に知的/理性的という状態はそれが過度になれば病的になるということを示しているのである。基礎である身体は蚊を叩くときに、何も考えずに瞬時に場所を特定し、叩く。「考えず」「理解もせず」叩くという現象こそ私たちの生そのものなのである。

 理論に陥らない曖昧な領野である身体、その身体のよくわからない謎めいた現象を追求するのであれば、やはりこの一冊は欠かせないだろう。

 

ヒューマニズムとテロル

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『ヒューマニズムとテロルーー共産主義の問題に関する試論【新装版】』合田正人訳、みすず書房、2021年。

 1947年発表の著作。

意味と無意味

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『意味と無意味』永戸多喜雄訳、国文社、1970年。
『意味と無意味』木田元他訳、みすず書房、1982年。

 また論文集であり次の14作品が収められている。

  • 序文
  • セザンヌの疑惑
  • 小説と形而上学
  • ひんしゅくを買う作家
  • 映画と新しい心理学
  • ヘーゲルにおける実存主義
  • 実存主義論争
  • 人間の内なる形而上学的なもの
  • マルクス主義をめぐって
  • マルクス主義と哲学
  • 戦争は起こった
  • 真理のために
  • 信仰と誠実
  • 英雄、人間

弁証法の冒険

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『弁証法の冒険』木田元・滝浦静雄・田島節夫・市川浩訳、みすず書房、1972年。

 1955年発表の著作。いわゆる彼の政治哲学論集である。ここで彼はマルクス主義の革命的思考のあいまいさを批判し、そうした幻想に身を置くのではなく、資本主義体制とソヴィエト体制の「共犯関係の裏を書くこと」を任務とする「新しい自由主義としての非共産主義的左翼」(訳者あとがき)の立場を提唱した。

 全体としてはそれぞれの論がゆるくつながりながらも比較的独立した体裁を取っている。目次は「序」「I 悟性の危機」「II 「西欧」マルクス主義」「III 『プラウダ』」「IV 行動としての弁証法」「V サルトルとウルトラ・ボルシェヴィスム」「終章」となっている。メルロ=ポンティの政治思想を知りたい人にはおすすめであるが、当時の状況(資本主義と共産主義の対立)が背景にあり古臭く感じるところもある。

シーニュ

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筑摩書房
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『精選 シーニュ』廣瀬浩司編集翻訳、ちくま学芸文庫、2020年。(『シーニュ』より重要論考のみを厳選した新訳)

 邦訳は他に
『シーニュ1』竹内芳郎・粟津則雄・海老坂武・木田元・滝浦静雄訳、みすず書房、1969年。
『シーニュ2』竹内芳郎・海老坂武・木田元・滝浦静雄・佐々木宗雄・二宮敬・朝比奈誼訳、みすず書房、1970年。
がある。

 みすず書房の『シーニュ1』と『シーニュ 2』には以下の作品が収められている。

  • 間接的言語と沈黙の声
  • 言語の現象学について
  • 哲学者と社会学
  • モースからクロード・レヴィ=ストロースへ
  • どこにもありどこにもない
  • 哲学者とその影(ここまでが『シーニュ1』)
  • 生成するベルクソン像(ここから『シーニュ2』)
  • アインシュタインと理性の危機
  • モンテーニュを読む
  • マキアヴェリ覚え書
  • 人間と逆行性
  • 発言
    • パラノイア的政治
    • マルクス主義と迷信
    • ソ連と収容所
    • ヤルタ文書
    • 革命の将来
    • 非スターリン化について
    • エロチシズムについて
    • 三面記事について
    • クローデルについて
    • 危険について
    • インドシナについて
    • マダガスカルについて
    • 一九五八年五月十三日
    • 明日は・・・・・・

 『意味と無意味』に続く第二の論文集であり、1950年代の論文が収録されている。芸術論、政治論、哲学など様々な主題の論文が収められているが、最も比重が高いのが言語論である。「間接的言語と沈黙の声」の最初に「シーニュ(Signes)(=記号)」についての言及があり、そのことからこの論文集の題名がシーニュと名付けられたのだと推測される。

 メルロ=ポンティの言語論の特徴は言語の不透明性を強調したことである。言語は沈黙する物を間接的に語る。そこには直接的関係はない。この両者の不透明を架け橋するのが言語的意味であり、その間に彼の身体論を組み込んだりする。「間接的言語と沈黙の声」は芸術論も混ざっており少々難しいが、現象学的言語論として読むべき価値はあるだろう。

 作品としては他に「哲学者とその影」が有名だ。これはフッサールの『イデーン II』を論じた論文で、『知覚の現象学』から一貫して本論文でもフッサールの現象学の生き生きした部分(生活世界など)を肯定的に取り扱っている。

見えるものと見えないもの

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  • 『見えるものと見えざるもの』中島盛夫監訳、法政大学出版局、1994年
  • 『見えるものと見えないもの 付・研究ノート』滝浦静雄・木田元訳、みすず書房、2017年【新装版】

 『見えるものと見えないもの』は1964年に弟子のルフォールの編集で出版された遺稿である。全体としては未完であり、おそらく序論の第一部になったであろう文章が前半に掲載され、後半に彼の研究ノートが日付つきの断片として収録されている。

 ハイデガーの『存在と時間』も未完であるが、この著作の未完は次元が違う。全体的な枠組みさえもよくわからず、ほとんど序論だけが書き上げられている印象を受ける。しかしそこでは主著である『知覚の現象学』では使われなかった概念がいくつも登場する。彼はそれらの概念をつかって新たな思想をこの著作で描き出そうとした。そういうわけでこの著作は「始まりつつある思想」を胚胎した書物としてよく取り扱われる。

 「野生の存在」「キアスム」「転換可能性(réversibilité)」などの概念が有名だけれども、何と言っても「肉(chair)」という概念こそこの著作の中心となる概念だ。この著作もやはり身体の不透明性を議論の中心に据えており、その意味で基本的な方向性は『知覚の現象学』と変わらない。しかし「肉」という概念によってメルロ=ポンティ自身が『知覚の現象学』からの突破を目指していたことがわかる。その突破の仕方は主に存在論による乗り越えを行うことだ。その含蓄を二つほど示してみよう。

 二元論ーー哲学
 『知覚の現象学』立てられた諸問題が解決不可能なのは、そこでは私が「意識」-「客観」の区別から出発していたからである。

1959年7月の研究ノート(みすず書房、285頁)

 存在論による乗り越えは、メルロ=ポンティの場合、まずもって存在から存在するものを考えることを意味する。それゆえ「意識」「客観」の区別から出発するのではなくて、「肉」から出発してそこから逆に「意識」「客観」の区別を考えなければならない。そして、存在論を考えることはその区別の架け橋としての何かを考察することでもある。彼の場合はそれが「肉」だ。このようにただ両義性の哲学としてどっちでもあるという態度から、そのどちらもを成り立たせるものを考えるように思索を転換させた。それが後期メルロ=ポンティの哲学であり、「肉」の現象学であり、『見えるものと見えないもの』なのである。

 存在論的に考えようとしたことで、この著作は完成すればより思弁的で難解そうな著作となった。『知覚の現象学』のように、精神病理学や心理学の事例がふんだんに検討されるなどということはない。『見えるものと見えないもの』でやろうとしたことは徹底的な起源への問いなのだ。がっつりと哲学的な問題意識(起源への問い)を持っている人はこちらをまず先に読むのをお勧めする。後世の現象学者(思想家)への影響を考えてみても、おそらくこちらの方が『知覚の現象学』の方が重要だ。

 メルロ=ポンティの存在論ということで最後に一つ言及しておきたい。存在論ということでもちろんハイデガーの影響をかなり受けているわけだが、そのまんま同じ存在論なのではない。リシールがはっとする言及をしているのでここに記しておこう。研究ノート1960年6月「肉ーー精神」の最後から引用だ。

問いかけとしての哲学(省略)の本領は、無でないような存在のゼロ点から出発して世界がどのように分節されるかを示すところ、言いかえれば、〈対〉自のうちにでも即〈自〉のうちにでもなく、存在の縁に、継ぎ目に、世界の多くの入り口が交叉しているところに身を据えるというところにしありえない、ということを示すこと。

みすず書房、383頁

 「存在に」ではなくて「存在の縁に」なのである(みすず書房の訳では「存在者の縁に」となっているが、原文では「存在者」のところは「l’être」なので変更した)。つまり存在論と言っても肉の現象学で重要となるのは、存在までいかない(いけない)ところの手前、あるいは縁であり、このことこそメルロ=ポンティの現象学をどこかハイデガーとは別の形で深淵にさせているものである。読む人はそれを存分に味わってほしい。

眼と精神

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「眼と精神」『眼と精神』滝浦静雄・木田元訳、みすず書房、1966年。

 「眼と精神」は1961年に『アール・ド・フランス』誌に掲載され、彼の死後1964年にガリマール書店から単行本として出版されたものである。みすず書房の邦訳ではその他に「人間の科学と現象学」「幼児の対人関係」「哲学をたたえて」が収録されている。

 「目と精神」は後期メルロ=ポンティの論考で、遺稿となった『見えるものと見えないもの』に収録される予定だったものである。内容としては絵画論であり、絵画を取り上げるのは絵画こそが感覚的世界の基礎的なあり方を示しているからなのだが、やはりその議論は難解である。絵画を現象学的にどう扱えば良いのか知りたい人は必読である。

 「人間の科学と現象学」はフッサールの肯定的読解を軸とした講義である。フッサールは孤立した絶対的意識みたいなものを記述しようとしたのではない。むしろ科学と現象学の架け橋を問うたのだということである。『知覚の現象学』から続くメルロ=ポンティ風のフッサールに対する積極的読解がここでもよく感じられる。「幼児の対人関係」は児童心理学に関する講義である。幼児という青年になる前の段階で「知覚」はどのように分節されていくのかが詳細に検討される。「哲学をたたえて」はコレージュ・ド・フランスの就任講演である。この論考ではメルロ=ポンティのベルクソン理解や哲学への態度、歴史性への問いなどを読み取ることができるだろう。

世界の散文

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『世界の散文』滝浦静雄・木田元訳、みすず書房、1979年。

 弟子のクロード・ルフォールの校訂により死後出版された著作。1951−52年頃執筆したとされる未完の草稿群で構成される。

 この著作には言語と表現を主題とした草稿が収められており、『知覚の現象学』から『見えるものと見えないもの』への思想の発展には、新たな言語論の発見が重大な転機となったことを知らしめてくれるものとなっている。

自然

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みすず書房
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『自然 コレージュ・ド・フランス講義ノート』松葉祥一・加國尚志訳、みすず書房、2020年。

コレージュ・ド・フランス講義草稿

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『コレージュ・ド・フランス講義草稿 1959-1961』廣瀬浩司・松葉祥一・加國尚志訳、みすず書房、2019年(講義ノート 1958−1961(Notes de cours 1958-1959, 1960-1961, 1996))。

「幾何学の起源』講義

『フッサール「幾何学の起源」講義ーー付・メルロ=ポンティ現象学の現在』加賀野井秀一/伊藤泰雄/本郷均訳、法政大学出版局、2005年。

知覚の哲学

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『知覚の哲学 ラジオ講演1948年』菅野盾樹訳、ちくま学芸文庫、2011年(訳者による注解付)

 タイトルにある通り1948年のラジオ講演を収録したもの。ラジオなので一般聴衆も想定したものとなっておりそれなりに易しい。主題も「知覚」であり、まさにメルロ=ポンティ哲学のど真ん中を講じているので、『知覚の現象学』を読んだ読者からすると物足りないかもしれない。

 この文庫版では400頁ほどあるのだが、半分以上が訳者の注釈である。そこでは用語・人名解説などもあるので、メルロ=ポンティの周辺事情などを知りたい場合はこの本を読んでみるのが良いだろう。

知覚の本性

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『知覚の本性ーー初期論文集』加賀野井秀一編訳、法政大学出版局、1988年。

 メルロ=ポンティの初期論文集。初期の7編の論文が収録されている。

  • 知覚の本性に関する研究計画
  • 知覚の本性
  • キリスト教とルサンチマン
  • 『存在と所有』
  • J・P・サルトル著『想像力』
  • J・P・サルトル著『蠅』
  • 実存の哲学

メルロ=ポンティ・コレクション

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『メルロ=ポンティ・コレクション』中山元編訳、ちくま学芸文庫、1999年。

  1. 表現としての身体と言葉(『知覚の現象学』第一部)
  2. 言葉の問題
  3. 問い掛けと直観(『見えるものと見えないもの』)
  4. 絡み合い––キアスム(『見えるものと見えないもの』)
  5. 自然の概念
  6. プロレタリアから人民委員へ
  7. 歴史の理論のための資料
  8. 個人の歴史と公共の歴史における「制度」
  9. セザンヌの疑い

サルトル/メルロ=ポンティ往復書簡

『サルトル/メルロ=ポンティ往復書簡––決裂の証言』菅野盾樹訳、みすず書房、2000年。

概念解説

【自由】

関連論考

アリストテレスの錯覚とは何か

『知覚の現象学』入門ーー初学者のために

メルロ=ポンティと『第六デカルト的省察』

現象学運動史におけるサルトル

主な資料、サイト

・メルロ=ポンティ・サークル https://www.merleau.jp

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