形而上学とは何か|意味をわかりやすく解説|アリストテレス|公共・倫理

形而上学とは何か|意味をわかりやすく解説|アリストテレス|公共・倫理

意味

 「形而上学」はアリストテレスの著作『形而上学』で有名になった概念。古典ギリシア語では “τα μετά τα φυσικα“。英語では “metaphysics” となる。

 大雑把には「究極的な原理を追求する学問のこと」というような意味で、哲学と同義とされることが多い。「形而学」の反対語は「形而学」であり、この上と下という区別が重要になる。ここでいう「上」というのは、この世界から隔絶している、あるいはこの世界を支配している「上」のようなイメージである。例としては神が挙げられるだろう。もし神が創造主としてこの世を作ったのならば、神は世界の根源的・究極的な原理であり、ということはそれについて思考する学問は形而上学だということになる。ゆえに形而上学は「第一哲学」と呼ばれることもある。

 世界の始まりは神からではない、ビッグバーンだという考えもあるかもしれない(こういった考えはもう現代物理学においては古いのかもしれないが)。しかしどちらが正しいにせよ、ビッグバーン仮説も世界の究極的な原理(始まり)について考えた結果、生まれた仮説である。つまり、これも形而上学だということができる(し、哲学界隈で物理学的形而上学なんて呼ばれたりもする)。

 もちろん厳密には、どう定義するかは人によってかなりまちまちだ。例えば「あんなの形而上学だよ」と言って馬鹿にするために使う人もいる(意味としては「思弁に過ぎないよ、それは」みたいな意味である)。あるいは形而上学こそが哲学なんだと言って肯定する人もいる。人によって全く意味合いが異なるので、概念史として探究すると様々な発見がある。始まりは、アリストテレスからなので、まずアリストテレスにおける「形而上学」を見てみることにしよう。

解説

「形而上学」とメタフィジックス

 アリストテレスの主著に『形而上学』という著作がある。「形而上学」の語源はこの著作の名前であることは先ほど述べたが、その意味は「哲学」という概念と同様にその漢字だけ見てもいまいち分からないし、見当もつかないだろう。それでは原語はどのようなものなのか。「形而上学」となんだが堅苦しく訳すぐらいだから、原語もまた難しいのだろうか。

形而上学の原語:タメタタピュシカ

 原語は古代ギリシャ語の ΤΑ ΜΕΤΑ ΤΑ ΦΥΣΙΚΑ(タ メタ タ ピュシカ)である(小文字だと τα μετά τα φυσικα)。実はこれが『形而上学』というアリストテレスの著作の題名なのだ。これがラテン語になると Metaphysica になり、英語だと Metaphysics、メタフィジックスの完成である。

 ちょっとこの古代ギリシャ語を分解して意味を考えてみよう。ΤΑ というのはいわゆる定冠詞で英語だったらthe にあたる。ΜΕΤΑ は前置詞で「のあとに」という意味。ΦΥΣΙΚΑ は原型が ΦΥΣΙΚΟΣ で「自然の、自然学の」と言う意味の形容詞複数形である。しかしこれだけの説明だと文法的におかしいことになる。定冠詞があるのに名詞がないからである(中学英語の文法を思い出して欲しい!)。実は古代ギリシア語の場合、自明であれば定冠詞だけ挿入して名詞を省略できる。とりあえず今回省略されている名詞が「本」という意味の名詞だとしよう。するとΤΑ ΜΕΤΑ ΤΑ ΦΥΣΙΚΑ の意味は「自然学に関する本のあとの本」ということになる。それではどういう意味で「自然学のあと」なのか。

「メタ」の二つの意味

 「メタ」と聞いて何を思い出すだろうか。哲学を知っている人なら「メタ言語」とか「メタ倫理」とか聞いたことがあるかもしれない。他に哲学をかじったことなくとも知っているものなら facebook から社名を変更したMeta(メタ)とかメタバースがある。このメタも ΜΕΤΑ に由来する 。

 メタという言葉を聞いたとき、「超越的」とか「・・・超えた」という意味を感じないだろうか。実際現在ではそのような意味で一般的に使用されている。メタバースは Meta と Universe の合成語で、現在とは違う次元の世界を意味した言葉であり、このときの Meta も「・・・を超えた」という意味で使っている。しかしもともそのような意味はメタになかった。メタは古代ギリシャ語では前置詞で、普通は「・・・の後に」(時間的あるいは空間的)という意味で使用されていたのである。

 さて、それでは「自然学のあと」とはどういう意味なのか。これはアリストテレスの著作の順序が関係する。アリストテレスの著作は彼の死後、紆余曲折を経て、紀元前1世紀頃にアンドロニコスによって編集公刊された。今日私たちが知ることのできるアリストテレスの著作は、大部分がアンドロニコスが編集したアリストテレスの草稿に由来するのだが、そのアンドロニコスが編集配列をおこなったとき『形而上学』は「自然学のあと」に置かれたのだ。どういうことかというと、順番に著作を並べていったときに、最初に論理学関係の著作が並べられたあと、次に自然学関係の著作が並べられ、その次に「第一の哲学」と呼ばれるものに関する著作が並べられた。その「第一の哲学」に関する著作が『形而上学』なのである(さらに次に「人間のことについての哲学」に関する著作→「制作術」に関する著作へと続く)。つまり配列的に自然学関係の書物の後に並べられたので、著作名が「自然学関係の著作のあとの著作=メタフィジックス」となったのである。

 しかし単に著作の配列を示しただけではない、もう一つの意味が「メタ」に込められていると言われている。アリストテレスは学習の順序に関して、まずは私たちにとって明らかな事柄から出発して、次に客観的な真理へと向かい、そしてそれ自体で明らかなこと(客観的な真理)が私たちにも明らかになるようすべきだと述べているのだ。

それがいかに誤って知られているにせよ、その知られているもの〔我々に可知的なもの〕から出発して、今も言ったように、この可知的なものどもを介して、端的に可知的なものを、我々自らにとっても可知的な〔真に知られた〕ものたらしめるように、努力すべきである。

『形而上学(上)』233頁(第七巻第三章 1029b10)

 「我々に可知的なもの」とはすなわち自然学に属する事柄である。そう考えると、アリストテレスは弟子達に対して、まず明らかな感覚的事物に関する学問、すなわち自然学の学習が終わったあとに、第一の哲学とよばれる形而上学を学べと言っていたということが想定される。というわけで、メタは配列の順序だけでなく、学習の順序も指していると考えても何ら間違いではない。実際どうなのかは分からないが、アリストテレスは「メタ」をこの二重の意味で使っていたに違いない。

形而上学と第一の哲学

 さてここまで「第一の哲学」という言葉をほとんど説明なしに使用してきた。それで頭がこんがらがってしまった人もいるかもしれない。そこで第一の哲学と形而上学の関係はどのようなものなのか、説明していきたい。

 まずかなり重要な事実を述べておきたい。形而上学=メタフィジックスという言葉、この言葉はアリストテレスの著作の題名にもなっているにもかかわらず、衝撃的なことに『形而上学』では一度も使われていない。それだけでなく他の著作でも使用されていない。そもそもアリストテレスからしたら、メタフィジックスという言葉は哲学的概念ではなかったのである。

 それでは自然学のあとにくる学、すなわち形而上学では何が語られているのか、それが第一の哲学と呼ばれるものなのである。なぜ第一の哲学なのか。実はアリストテレスにとっての哲学の範囲は現代よりもかなり広い。自然学や数学も哲学の仲間なのである(詳しくは【哲学とは何かー哲学者による定義を解説*なるほう堂】を見てほしい)。数学は「第二の哲学」とよばれる。しかしその哲学の中には究極の原因を探究する学問が存在する。それが「第一の哲学」である。

 ややこしいのは、このような究極の原因を探究する学問の呼び名がアリストテレスの時代にはまだ定まっていなかったことである。例えば第一の哲学は、またの名を「神学」と呼ぶ。そしてその学問自体をアリストテレスは『形而上学』で「今我々の探究している学」とか呼んだりする。固定した名称がなかったのだ。そういうわけで書名にメタフィジックスが当てられると、それがそのまま第一の哲学を表す名称となっていったわけである。

補足:形而上学という訳語について

 さて最後の問題である。直訳すれば「自然学のあとの学」なのに、どうしてメタフィジックスが「形而上学」になってしまったのか。

 最初に「形而上学」はラテン語では Metaphysica と書くと述べておいたが、中世になると meta の意味が転じて、自然界・感覚界を「超越」したものに関する学を指す語として用いられるようになった。現代の「メタ」に通じる意味である。もともとの意味からだいぶずれてしまったが、『形而上学』という名前もその意味に応じて訳されたものである

 哲学の概念の翻訳は漢文から拾ってきたものが多い(哲学もそうである)が、形而上学もそうである。『易経』の繋辞伝に「形而上者謂之道、形而下者謂之器」という言葉がある。意味は「形より上なるもの、これを道といい、形より下なるもの、これを器という」となる。形より上というのは、形を持たない万物の原理や根拠を指し、形より下というのは、形を保ったもの、すなわち自然の事物を指す。この「形而上」という言葉がメタフィジックスの「自然界・感覚界を「超越」したもの」にピッタリだったのだろう。西洋哲学、というよりむしろ中世哲学だとそれは道ではなく神という言葉がふさわしいものだが、なんにせよどちらも形はない。というわけでメタフィジックスは日本語で形而上学と呼ばれるようになったのである(中国語も同じである)。

歴史・発展史

アリストテレス以後の「形而上学」概念の展開

 中世哲学では形而上学が「超越」に関する学であったことは先ほど述べたが、その後はどうだったのだろうか。実は人によって定義がまちまちでそれだけで一つ記事が作れる状況である。形而上学を神に関する学問だと定義した人なら、とりわけ近世哲学の哲学者からしたら否定的に捉えられる概念となるし、そうではなくて神ではないけど形のないものに関する学問と定義したら、刷新された形而上学の意味として肯定的に扱われるだろう。カントやヘーゲル、マルクス、ハイデガー、レヴィナスなどの哲学者が形而上学という概念について言及している。

カントの時代

 16世紀ごろに現れた「第二スコラ哲学」の泰斗フランスシコ・スアレスは一般形而上学(存在者そのもの)と特殊形而上学(神、人間、世界の特殊的存在者)を区別した。17世紀のドイツ講壇哲学はこの区別を継承する。そして、18世紀前半に活躍したクリスティアン・ヴォルフもこの構図を引き継ぎ、さらにカントもその図式を引き継いだ。

 カントの場合、特殊形而上学の三分野は新たに「神・自由・魂の不死性の理念」となったが、『純粋理性批判』では、その問いは弁証論的仮象に陥いり、決してそれらの実在性を証明することはできないとした。この弁証論的仮象に関しては、「自由」に関するアンチノミーが一般的に有名である。

フッサールの場合

 フッサールにとって、形而上学とは現象学的な事実学という領野に分類される。現象学的還元によって経験を遡っていくと、どうしてもそれ以上は遡れない現事実というものに到達する。その事実とは、誕生や死、自我、間主観性、世代、歴史、などである。これらがフッサールにおける形而上学の問題群となる。フッサールは最晩年にこれらの問題(ex. 超越論的自我はどのように誕生するのか?)に取り組んだ。

ハイデガーの場合

 ハイデガーにおける形而上学とは、プラトン・アリストテレス以来の西欧伝統の形而上学のことである。その伝統の中では存在者の存在が問われないままであったと彼はいう。ハイデガーの存在論はこうした西欧形而上学の伝統の破壊に他ならない。なお彼には『形而上学入門』という著作があり、そこでは「形而上学とは何か」が詳しく探求されている。

デリダの場合

 デリダの有名な言葉に「現前の形而上学」という言葉がある。デリダはハイデガーの目論見に示唆を受けつつ、西欧形而上学の特徴を「現前の形而上学」と規定したのである。その意味は《主観の前にありありと現前すること》をもって真理の基準とする態度のことである。しかしそうした見方は一種の形而上学的偏見に過ぎず、それゆえデリダの哲学では現前の形而上学が脱構築されることとなる。

レヴィナスの場合

 レヴィナスにおける形而上学概念はハイデガーのような見方を引き継がない。レヴィナスは倫理学こそ第一哲学であると説いたが、その第一哲学としての倫理学は、他者が直接は現前しない限りにおいて、形而上学であるとする。つまり自らの他者の哲学こそ、良い意味で「形而上学」なのである。

関連項目

アンチノミー
無知の知
コペルニクス的転回
アタラクシア
無意識

参考文献

アリストテレス『形而上学(上)』出隆訳、岩波文庫、1959年((下)1961年)。

created by Rinker
¥1,177 (2024/03/19 08:13:28時点 Amazon調べ-詳細)

>>哲学の入門書の紹介はこちら:哲学初心者向けの人気おすすめ著作を紹介!

>>本格的な人向け哲学書の紹介はこちら:本格的な人向けおすすめ哲学書を紹介!

>>本記事はこちらで紹介されています:哲学の最重要概念を一挙紹介!

哲学カテゴリの最新記事