不可能性の時代とは何か|意味をわかりやすく解説

不可能性の時代とは何か|意味をわかりやすく解説

理想の時代、虚構の時代

created by Rinker
¥946 (2024/03/19 19:28:36時点 Amazon調べ-詳細)

 私たちが生きているこの時代は、他の時代と比較して一体どのような特徴を持つといえるのだろうか。

 社会学者の見田宗介は現実と現実ならざるもの(反現実)の関係を中心に据えて、戦後日本を三つの時代に区分した。それが理想の時代、夢の時代、虚構の時代である。どの時代も「理想と現実」「夢と現実」「虚構と現実」のように、現実と反現実(=理想、夢、虚構)の対立する二つの軸を持っていたのである。

 理想から虚構へ、この変化は何を意味するのだろうか。

 「将来〇〇になることが理想だ」と言うとき 、「理想」は未来のあるべき姿という意味を持つ。現実の延長線上にあるという点において「理想」は現実との接点が強いのである。逆に作り物である「虚構」は目指すべきものではないという点において現実との接点は少ない。そのように捉えると、「反現実」は時代を経るにつれて反現実度を増してきたと言える。

 「夢」は「理想」と「虚構」の中間の意味合いをもつ。「夢に向かって」と言えば「夢」は「理想」に近い意味を持ち、「夢と幻」と言えば「夢」は「虚構」に近い意味を持つのである。したがって大澤真幸は『不可能性の時代』で「理想、夢、虚構」という見田の区分を「理想、虚構」の二つの区分へと組み換えた。そして理想の時代から虚構の時代への区切りを1970年にみる(ここで重要とされる「第三者の審級」の解説はこちら:第三者の審級とは何か*なるほう堂)。

 理想の時代と虚構の時代について簡単に見ておこう。1945年から1970年の間は、戦争によって荒廃した土地から新たな街を作り上げる時代であり、そのために理想(=目指すべき姿)が必要だった。理想を語ることがそこに向かって行為することを意味していたのだ。しかしその理想は次第に弱くなってしまう。象徴的な出来事が1970年に起きた三島自決事件だ。三島は理想を掲げ、それに失敗する。理想が理想として機能しなくなったのだ。それから始まるのが虚構の時代である。虚構の時代を特徴付けるのは、ディズニーランドのような空間と家族の崩壊である。この時代以降、家族ですら自明ではなく虚構の存在になってしまったのだ。

不可能性の時代

 虚構の時代は時を経るにつれてさらに虚構度を増しついに臨界点を迎える。決定的なのが1995年に起きた地下鉄サリン事件である。虚構的な宗教から現実への暴力的な介入が起こったのだ。大澤は地下鉄サリン事件を虚構の時代の終わりと位置付ける。

 では1995年以降はどのような時代なのだろうか。大澤はこの時代に二極化した分裂をみる。

現実への回帰と虚構への耽溺という二種類のベクトルの中で、虚構の時代は引き裂かれることで、消え去ってきた。

大澤真幸『不可能性の時代』岩波新書、2008年、157頁

「現実への回帰」はリストカットやリアリティーショーに代表される。暴力的な身体への介入や、虚構では飽き足らず現実そのものの享受は、どちらも「現実」への逃避、あるいは「現実」への熱狂といえるような現象である。一方でネット空間に代表されるような身体性の伴わない虚構空間の指向も強まっている。この二つの相反する現象、現実への逃避と極端な虚構化へと引き裂かれるのが1995年以降の特徴なのだ。

 一見すると真逆のベクトルに二極化してしまったようにみえる。しかし大澤は偽記憶の研究を紹介した上で、現実への逃避で見出される「現実」=「現実の中の現実」こそが「最大の虚構」であることを指摘する。

究極の「現実」、現実の中の現実ということこそが、最大の虚構であって、そのような「現実」がどこかにあるという想定が、何かに対する、つまり<現実>に対する最後の隠蔽なのではないか。

大澤真幸『不可能性の時代』岩波新書、2008年、165頁

 隠蔽されるものは決して立ち現れることははない。「現実への逃避」と「極端な虚構化」が矛盾しながら両立するのは、どちらも隠蔽された<現実>に対する症状なのだ。隠蔽された立ち現れない何かを大澤は「不可能なもの」とし、このような現象が起こる時代を「不可能性の時代」と呼ぶ。

 まとめると1945-1970年は「理想の時代」、1970-1995年は「虚構の時代」、1995年- は「不可能性の時代」と言えるのである。

補遺 – 不可能性の時代のその先へ

 だが「不可能性の時代」は妥当な診断だろうか、そして「不可能性の時代」という時代区分はいまだに有効なのだろうか?

 前者について軽く述べておこう。1970年から1995年まで続いた虚構の時代が終わり、1995年以降を「不可能性の時代」と診断した大澤に続き、多くの論者が様々な診断を下した。東浩紀は「動物の時代」、宇野常寛は「拡張現実の時代」、佐々木敦は「諸虚構の時代」といった具合にである。それぞれの論者の本に当たって、どれが一番しっくりくるか確認してほしい。

 現代は2000年代に論じられていた時と比べると、リストカットは激減しリアリティーショーはかつてほど盛り上がってはいない(リアリティーショーを題材にした映画としては『トゥルーマン・ショー』がおすすめ)。虚構度は増したとも言えるがしかし完全なバーチャルを指向しているようにはみえない。最近、2014年前後の政治運動団体「SEALDS」を総括し、社会と政治を論じた小峰ひずみ『平成転向論』が出版された。この本は運動論でありながら一種の社会論でもあり、本文では言及されていないが「不可能生の時代」の政治を論じているようにもみえる。

 そもそも大澤の区分をみると偶然かもしれないが、時代の変わり目は25年おきに起きている。「不可能性の時代」が1995年に始まったとすると、その25年後、つまり2020年付近に次の時代への変わり目があってもおかしくない。

 2020年はコロナの世界的流行によって幕を開けた。われわれが生きるこの時代はどのように変化していくのだろうか。そろそろ「不可能性の時代」を論じた大澤の時代の診断を踏まえて、現代の時代を見極める議論がでてくるかもしれない。

本記事はこちらで紹介されています:哲学の最重要概念を一挙紹介!

関連項目

シャカイ系
母性のディストピア
動物論
フェミニズム

関連書籍

created by Rinker
¥1,562 (2024/03/19 12:38:10時点 Amazon調べ-詳細)
created by Rinker
¥1,485 (2024/03/19 19:28:37時点 Amazon調べ-詳細)
created by Rinker
¥1,485 (2024/03/19 19:28:38時点 Amazon調べ-詳細)

参考文献

大澤真幸『不可能性の時代』岩波新書、2008年

>>哲学の入門書の紹介はこちら:哲学初心者向けの人気おすすめ著作を紹介!

>>本格的な人向け哲学書の紹介はこちら:本格的な人向けおすすめ哲学書を紹介!

哲学カテゴリの最新記事