拡張現実の時代とは何かーー宇野常寛|意味をわかりやすく解説

拡張現実の時代とは何かーー宇野常寛|意味をわかりやすく解説

概要

 宇野常寛が『リトル・プープルの時代』(2011年)以来提唱している概念である。

 社会学者の見田宗介は戦後日本の精神史を三つに区分する。敗戦後の復興や新たな政治体制がテーマであった〈理想の時代〉、の高度経済成長と「政治の季節」の〈夢の時代〉、消費社会到来以降の〈虚構の時代〉である。そして見田の弟子である大澤真幸は、この虚構の時代が地下鉄サリン事件のあった1995年に臨界点に達したとみなす。

 それらの議論を引き継ぎながら、1995年以降の時代を宇野は「拡張現実の時代」と位置づけた。

 またその時代を表している象徴的な出来事として『リトル・ピープルの時代』では「ポケットモンスター」シリーズを、『母性のディストピア』や『遅いインターネット』ではポケモンGOを挙げている(「母性のディストピア」という概念についてはこちら >> 【母性のディストピアとは何か】)。

意味

 いくつかの視点がある。まず、簡潔に『遅いインターネット』から引用してみたい。

ネットワークの世紀とは、拡張現実の時代とは、「ここではない、どこか」に脱出するのではなく、「ここ」に深く潜ることでこの現実を拡張し、変えていくための想像力こそが批判力のある虚構として機能する。

105頁

 この「ここではない、どこか」から現実の「ここ」への虚構観の移行が拡張現実の時代の特徴を端的に表している。この見方では、拡張現実の時代の前は仮想現実の時代であった。インターネットなどの情報技術は、この世界とは異なるもう一つの世界を構築するという夢を見させてくれていた。しかしそういったことにもはや人々はあまり関心を抱かない(虚構の弱体化)。むしろ、情報技術はこの現実を豊かにさせるものとして用いられている。

 あるいは見田宗介の図式を引き継げば、拡張現実の時代の前は虚構の時代であった。革命(政治)によって社会を変革することを信じられなくなった消費社会の中で、当時のサブカルチャー(オカルトやアニメ)を背景に、自己の内面を変えていく方向に向かったのが虚構の時代である。しかし、拡張現実の時代においては、自己の内面を変えていく想像力は衰退する。むしろよりより現実へ、より良い未来の現実にするために情報技術が使われるのである。

 このように虚構において現実の外部を志向するのではなく、現実そのものの変革を志向するのが「拡張現実の時代」である。

解説

『リトル・ピープルの時代』(2011年)における「拡張現実の時代」

 『リトル・ピープルの時代』では『ポケットモンスター』シリーズが象徴的に取り上げられている。このゲームは通信対戦や交換という新たなコミュニケーションを生み出した。このコミュニケーションはゲーム(虚構)を介したコミュニケーションであり、ここに現実のゲーム化が見られる。つまり現実を拡張されているということである。

 そこれではそういった『ポケットモンスター』シリーズの新たな時代をどのように位置づければよいのか。そこで登場するのが見田宗介の図式だ。見田が戦後日本の精神史を理想、夢、虚構の時代と区分したのは先に述べたとおりだが、最後の虚構の時代は1990年代前半までしか機能していない。そこで1990年代後半以降の新たな時代区分として、東浩紀は「動物の時代」を大澤真幸は「不可能性の時代」を挿入した。図式的には現実の側が「動物の時代」であり、その反現実の側が「不可能性の時代」とみなせると宇野は言う。しかし、大澤のいう「不可能なもの」は、極端な現実(リストカット)と極端な虚構(オウム真理教の最終戦争)の間に位置するものとされ、それ自体具体像を帯びない。

 そこで、具体像を帯びるものとして宇野が主張したのが「拡張現実の時代」である。拡張現実の時代で象徴的な出来事は、ポケモンゲームにおける通信対戦や交換だけではない。

わたしたちは今、(古い意味での)「歴史的」には何物でもない路地裏や駅前の商店街を「聖地」と見做して「巡礼」し、放課後には郊外の川べりにたむろしては虫取りをするようにネットワーク上のモンスターたちを狩る。複雑化する社会生活において、私たちは日常的にその身体とは半歩ずれたそれぞれのコミュニティごとのキャラクターとして否応なく振る舞ってしまう。

『リトル・ピープルの時代』454頁

 このように生きながら現実にキャラクターとなることを『リトル・ピープルの時代』では、現実の多重化と語っている。その多重化は、我々がインターネットや携帯電話などの使用を通じて、日常的に情報の発信者となることで、ほぼ無意識的かつ不可避に行なっている操作に他ならない。このような想像力は巨視的な視点で言えば、世界のコミュニケーションのあり方を変える力を持っている。このように現実に介入することを宇野は現実をハックするという言葉で語っている。反現実の想像力は、今ここの現実をいかに変えていくかという方向性に向かったのである。

『遅いインターネット』(2020)における「拡張現実の時代」。

 『遅いインターネット』第二章の題が「拡張現実の時代」である。前作『母性のディトピア』でも第六部に「拡張現実の時代」論が登場し、『遅いインターネット』での拡張現実の時代論の大きな枠組みはすでにこの頃に出来上がっていたことがわかる。『リトル・ピープルの時代』には無かった新たな発想が、IngressとポケモンGOの登場である。「Ingress」も「ポケモンGO」も拡張現実型ゲームである。IngressやポケモンGOによって人々は世界中を歩き回る。歩き回った先でその自然や歴史に触れ、学習させるというのが開発責任者ジョン・ハンケが考えた基本的なコンセプトだ。こうやって人々の現実(ここ)を拡張させていく想像力がネットワークの世紀の最先端の想像力なのである。

 また、既に『リトル・ピープルの時代』で予兆はあったが、より明確に「他人の物語」から「自分の物語」の時代という移行を押し出している。

彼らの敵は、Facebookであり、Instagramであり、そしてTwitterだ。彼らの顧客は、モニターの中のヒーローやヒロインの自分ではない他の誰かの物語に感情移入するよりも、自分が週末に出かけたセミナーで、終了後に話しかけた著名人とのセルフィーをFacebookのウォールにアップロードすることの方に夢中だ。あるいは夕食後にベッドでだらだらと、数時間前までカフェで話し込んでいた彼氏と自宅に帰ったあともLINEでメッセージをやり取りすることのほうに充実感を覚えはじめているのだ。

89−90頁。

 人々が欲望を抱き始めているのは「他人の物語」を享受することではない。自分の物語を作ること、語ることなのだ。そこに「Ingress」や「ポケモンGO」の狙いも合致してくる。「ポケモンGO」の狙いは自分の足で歩くこと、すなわち「自分の物語」を紡ぎ出すことなのだ。

 『リトル・ピープルの時代』との違いという観点で言えば、ネット社会の発展がある。9年間でインタネットの状況も様変わりしたのである。

僕たちは情報技術を「ここ」を、この場所を、この世界を豊かにするために、多様化するために、多重化するために用いている。多くの人たちが実社会の人間関係の効率化とメンテナンスのためにFacebookを用い、夜の会食の店を食べログで検索して予約し、移動中はApple Musicでヒットチャートをチェックする。退屈な会議中は、海外出張中の友人にメッセンジャーで愚痴をこぼす。

99頁。

 他にもFacebook、LINE、Twitter、Instagramなどが『遅いインターネット』では言及されている(Youtubeももちろんされているが、Youtubeへの言及は『リトル・ピープルの時代』にもあった)。Instagramの発達などを聞くと、「自分の物語」の時代が進行してきているのを実感できると思う。「ポケットモンスター」での通信交換対戦は昔は子供のものであった。しかし「ポケモンGO」は大人たちもやっている。「拡張現実の時代」はいよいよ説得感を増してきている。

考察

 実際、拡張現実型ゲームなどがスマホなどで誰でも簡単に行える現代において、「拡張現実の時代」はいよいよ強くなっていると思われる。また『遅いインターネット』は2020年の著作だ。その記述を見てみると、2022年現在においてはさらに時代が進行しているのがわかる。宇野がそこでは言及していないSNSが台頭してきている。tiktokなどである。安倍元総理の国葬でもセルフィーが話題となった。お葬式でさえ「自分の物語」に回収される時代となったのである。デジタル技術の発展によって、これから「ポケモンGO」以上の拡張現実型ゲーム(想像力)が登場してもおかしくなく、「拡張現実の時代」の勢いはとどまることを知らない様相を呈している。

参考文献

宇野常寛『リトル・ピープルの時代』幻冬舎文庫、2015年。

宇野常寛『遅いインターネット』幻冬舎、2020年。

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