いつまでも忘れないこと  『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』を観る

いつまでも忘れないこと  『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』を観る

1. 30年越しの「新作」

 近隣のTSUTAYAで閉店ラッシュが続き、レンタルビデオ文化で生まれ育った私は寂しい思いをしている。そんな私の身に最近、明るい出来事が起きた。近所のレンタルビデオ店を覗くと、『ちびまる子ちゃん 私の好きな歌』のDVDが新作レンタルの棚に並んでいたのだ。新作?1992年の作品なのに?・・・それには理由がある。確かに劇場公開は1992年だったが、その後VHS化されるも廃盤、さまざまなアーティストの音源を使用している関係からかDVDにはされず、鑑賞する手段がなかったため、長らく「伝説の作品」となっていた。その間、ミニシアターでリバイバル上映されるや長蛇の列ができていたと聞く。かく言う私は、昔テレビ放送された際に(「3倍」でなく「標準」で)録画したテープのツメを折って(と言う言葉もとうに死語だろうが)自作のラベルを貼ったうえで厳重に保管し、2010年頃まで時々観返しては一人涙を流していた。ビデオデッキが故障してからは再生できなくなり、とそうなると今度はVHSテープ自体もどこかに行ってしまい、ただ記憶の中で名場面をシャッフル再生するのみだった。それでもいつも、私のアニメ映画オールタイムベスト第1位だ。

 2022年12月に劇場公開30周年を記念してDVD/Blu-ray化されていたということで、「新作」としてレンタルも開始され、私にとって本当に嬉しい再会となった。2023年4月からは、Netflixでも視聴可能になったとのこと。ソフトでも配信でも、ぜひ一人でも多くの人にこの傑作を観てほしいと思う。できれば、当たり前に観られるようになったことの奇跡を噛みしめながら。

 私が言いたいことは、本当はこれだけだ。以下、ネタバレを含めて作品を論じていくが、未見の方は興味を感じた瞬間に記事を閉じて映画を再生し始められますよう。

2. ちびまる子ちゃん meets ミュージカル!

『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』が通常放送のアニメとテイストが異なる(多くは感動的な)ストーリーを劇場版に持ってくることはよく知られている。『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』(以下、「本作」または『わたしの好きな歌』と表記)も、鋭い人間観察と温かいユーモアが共存する、あの日曜夕方を象徴する通常放送の『ちびまる子ちゃん』とはかなり異なっている。『ちびまる子ちゃん』の劇場版は、前作『ちびまる子ちゃん』(1990)と本作(1992)の2作しか長らく製作されなかったという厳選されたものであり(2015年に第3作『映画ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年』が公開された)、また原作者さくらももこ自身が脚本を担当していることからも、劇場版での路線変更は熟慮の結果と考えられる。大きく異なる点を2つ挙げると、①ミュージカル場面の挿入②まる子の幼さの強調、である。本節で①について、次節で②について論じる。

 映画が始まると、まる子たち3年4組のメンバーは声をそろえて歌を歌っている。通常放送でおなじみの男性の先生でなく、大石先生という年配の女性の先生がピアノを弾いている。音楽の時間のようだ。黒板には「めんこい こうま」という題と、小学生向けにひらがなで書かれた歌詞。まる子は隣の席のたまちゃんに「わたしこの歌好きだなー」と感想を語る。すると場面は黄金色の草原に移り、「めんこい仔馬」を歌いながらまる子が仔馬のたてがみを撫でている。まる子はやがて馬の背に乗り、うっとりと目を閉じて草原を駆けてゆく。つまりこの映画では、各人物が思い描いた想像上の光景が、「わたしの好きな歌」に乗せてそのままアニメ化されていくのだ。これはもはや、「ちびまる子ちゃん」の世界を借りて展開されるミュージカル映画である!

 アニメでも現代では当たり前となった映像と音楽の同期(新海誠作品のPV的演出がその最高峰である)だが、30年前に全て手描きのセルアニメでこの難題に挑んだスタッフには敬意を表したい。しかも、この「ミュージカルパート」は今観返してもなお驚きと興奮に満ちている。破格なほどの尺を取って、ほぼ1曲丸々流しているのも素晴らしいので、ぜひご覧いただきたい。使用される楽曲名とアーティスト名は、以下の通り。

① めんこい仔馬(軍歌/童謡)

② 1969年のドラッグ・レース(大滝詠一)

③ 山の奥の薬屋さん[「めんこい仔馬」替え歌](不詳)

④ ダンドゥット・レゲエ(Campur DKI)

⑤ ヒロシの入浴(インストゥルメンタル、作曲・近藤達郎)

⑥ はらいそ(細野晴臣)

⑦ 買い物ブギ(笠置シヅ子)

⑧ 星を食べる(たま)

⑨ B級ダンシング(はまじ&関口&ブー太郎)

 これら緻密なアニメーション1つ1つの素晴らしさについて書いていくといくら紙幅があっても足りないので、かいつまんで記すことにしたい。まず傑出しているのが、まる子が花輪君のロールスロイスに乗って(いつもの舞台である清水から)静岡に行く、というシーンで流れる②。「地下街でまる子が絵描きのお姉さんに会う」という段取りのためのシーンなのに、作画と色使いが斬新すぎて一瞬も見逃せない。お嬢様気分に浸って有頂天にあるまる子の想像の中で、都会的な大滝詠一サウンドが鳴り響くと、とたんに人物や車の輪郭はゆらゆらと揺らめき、縮尺は伸び縮みし、原色が鮮やかに点滅する。アニメーションを担当したのは、若き湯浅政明。はまじが好きな歌に挙げる⑦も湯浅が担当した(「買い物」をするオバチャンの顔が湯浅アニメのキャラクターっぽすぎて今観ると面白い)。ディズニー映画『ダンボ』(1941)でのダンボが酔って幻想を見るシーンにしか比するものがないような、ドラッギーな色使いと自由奔放な線の伸縮は最高だ。湯浅は後に、『夜明け告げるルーのうた』(2017)や『犬王』(2021)で素晴らしい音楽とアニメーションの同期を達成するが、その原点は既に刻印されている。(湯浅政明自身、1998年のインタビューで本作について「あれは初めてコンテを自由にやった作品」「みんなが自由に作ったんじゃないですかね。船越(英之)さんとか、小林(常夫)君とか、芝山さんも」と自己裁量の大きさを振り返っている。小黒祐一郎『アニメプロフェッショナルの仕事1998-2001 この人に話を聞きたい』飛鳥新社、2006年、p.60。また、『犬王』についてはIto Naoki氏による論考が必読。)

 他、花輪君が「わたしの好きな歌」に挙げる、「インドネシアの歌謡曲ダンドゥットから選ぼうと思うんだ」という小3とは到底思えぬ(!)前振りから繰り出される④も、下手に子どもに見せたらトラウマになりそうな強烈なパワーを持っている。インドネシアの遺跡で繰り広げられる花輪君と姫?との幻想的なロマンスなのだが、衣装・仮面・影絵をはじめ美術方面の考証が徹底されていることがクオリティーを押し上げている。担当したのは、後に『コジコジ』のアニメ放送でも活躍する船越英之。さらに⑤は、ヒロシとまる子が入浴して夢心地になるという何ということのない心理描写にもかかわらず、さくらももこの漫画から抜け出してきたような動物たちが暮らす熱帯雨林を湯船が船となって川下りする、という素晴らしいシーンとなっている。担当したのは、『ドラえもん』の劇場版監督としてもお馴染みの芝山努(本作全体の監督も共同で務めている)。名前を挙げた以外にも腕を揮った多種多様な才能を見事に調和させ、一本の作品にまとめ上げた監督の須田裕美子・芝山努の力量も途方もない。

 他、⑥の大きな時計と共に浮かぶ都市のオリジナリティ、⑧の魚と列車が一体となったデザインの不思議さ、⑨の初期ビートルズ・オマージュの見事さ(永沢君のドラム、手の位置が完全にリンゴ・スターだ!)、など細部を語り出せばキリがない(⑥は芝山演出、⑧・⑨は『ちびまる子ちゃん』第1期通常放送の演出をした小林常夫による演出)。映画では、図画の時間に担任の先生が出した課題、「”わたしの好きな歌”について絵を描き来週提出すること」をめぐって、まる子と絵描きのお姉さんとのストーリーが進んで行く。視点を変えると、先生がまる子に出した課題は、映画全体の比喩ともなっている。稀代のアニメーターたちが仕上げ「提出」したアニメーション群は、「一つの歌について、解釈(≒アニメーション化)は無数にあり、唯一の正解はない」というこの映画の重要なテーマを、これ以上なく雄弁に訴えているのだ。

3. まる子の幼さと成長 「映画的」とは何か

 通常放送の『ちびまる子ちゃん』との差異、もう1つはまる子の幼さが強調されていることだ。アニメ『ちびまる子ちゃん』の一般的なイメージは、小3女子のはずのまる子が「あたしゃ・・」という語り出しに代表される世間知にあふれた達者な発言をして大人たちをはっとさせ、あるいは困らせ、しかし最後にはまる子自身の思惑をも外れた結果を招いてしまい、登場人物全員が報われない状況をキートン山田の突き放したナレーションが浄化していく、とそんな感じではないだろうか。その時のまる子の顔は、横長の白目に小さい点のような黒目、顔半分には縦の線が(「ガーン」と音がせんばかりに)かかって口は半開きで震えている、といったものだろう。

 しかし、『わたしの好きな歌』のまる子は、ほとんどの場面で年齢相応にまだ幼い少女の振る舞いを見せている。絵描きのお姉さんと出会って(初対面から僅か二日後)部屋に招かれても、いつものまる子のように「このままさらわれちゃうんだ、きっと…」「短い人生だったよ、最後にヒデキに一目会いたかったけどね」等の不謹慎なことは何も連想せず、ただひたすらにお姉さんに興味を抱き尊敬している。それどころか、帰宅した後、母や姉に「知らない人について行っちゃダメ」と(しごく真っ当なことを)言われても「平気だもん、お姉さんいい人だもん」「やだもん、わたしお姉さん大好きだもん」とお姉さんを疑わず信じ続け、日曜日に水族館に行く約束をしたと主張する。この時、危険性を説く母・姉・父が白目に小さい点のような黒目という表情なのに対し、まる子の表情だけが黒目のみで描かれていることは象徴的だ。本作を通じて、まる子はすぐ「あたしゃ・・」と口走るアイロニカルな白目の半-大人としてではなく、「だもん」を貫く真ん丸な黒目の少女として描かれている(数秒「お約束」のように白目がちになるシーンがあっても、すぐ元に戻る)。キートン山田のナレーションも、まる子とお姉さんとの出会いには介入せず、ということで冒頭ほとんど出番がなく、初めてオンになるのは開始から22分後、ヒロシが風呂場で有頂天になってから盛大に滑って転ぶシーンだ(その時のセリフは、「風呂場で極楽から地獄まで味わった男、ヒロシ。」とまる子でなくヒロシに茶々を入れるもの)。

 まる子の幼さは、お姉さんの部屋で「めんこい仔馬」の別の意味を知る時に機能する。少女と仔馬の楽しい様子がなかなか描けないと悩むまる子に対しお姉さんは、「めんこい仔馬」が五番まであるのを知っているかと尋ねる。

 まる子が大石先生から習った1番の歌詞は、以下である。

一. ぬれた仔馬のたてがみを 撫でりゃ両手に朝の露 

   呼べば答えてめんこいぞ オラ 掛けて行こかよ丘の道 

   ハイド ハイドウ 丘の道

お姉さんは、2番以降の歌詞を歌う。

二. 藁の上から育ててよ いまじゃ毛並みも光ってる 

    お腹こわすな風邪ひくな オラ 元気に高く鳴いてみろ

    ハイド ハイドウ 鳴いてみろ

 三. 紅い着物(べべ)より大好きな 仔馬にお話してやろか

    遠い戦地でお仲間が オラ 手柄を立てたお話を

    ハイド ハイドウ お話を

 四. 西のお空は夕焼けだ 仔馬かえろかおうちには

    お前のかあさん待っている オラ 唱ってやろかよ山の唄

    ハイド ハイドウ 山の唄

 五. 明日は市場かお別れか 泣いちゃいけない泣かないぞ

    軍馬になって行く日には オラ みんなで万歳してやるぞ

    ハイド ハイドウ してやるぞ

 まる子は「めんこい仔馬」が悲しい別れの歌だったことを知り、ミュージカル内の飼い主の少女(まる子にそっくり)と同じように涙ぐむ。「やだよそんなの!戦争に行ったらもう会えないよ。毎日ずっと一緒に仔馬と遊びたいよ!泣かずに万歳なんてできないよ!」。本作のまる子は、1番の歌詞が続きによっては悲しい物語になり得ること、もっと抽象化して言えば、人生の出来事にはどの立場から眺めるかによって多様な解釈があり得ることを知り、衝撃を隠せない。

 ここで作品外の情報を差し挟むと、「めんこい仔馬」は実際に戦争中(太平洋戦争開戦の年)の1941(昭和16) 年にサトウハチロー作詞・仁木他喜雄作曲で発表された、いわゆる「小国民」向けの軍歌である。山本嘉次郎監督の東宝映画『馬』(1941)のオープニングに「主題歌」としてクレジットされているのに劇中では一度も流されないことは、邦画ファンなら知っているかもしれない(助監督時代の黒澤明が名を上げた作品として黒澤ファンには有名)。「めんこい仔馬」はその後、軍事色の強い語を含む(「戦地」「軍馬」等)三番と五番を削除(GHQによる検閲で?自主検閲で?)され、新たな歌詞が追加される形で抒情歌として戦後に再発売されるという、数奇な運命をたどった。そう実は、歌詞の意味の変化は、まる子にとってだけでなく、戦争を知る日本国民が体験したことだったのだ。本作ではそのことにはあえて触れられず、オリジナル版の歌詞のみが使用されている

 絵のテーマを見失いかけたまる子に、お姉さんは「仔馬といつかはお別れする日が来るけど、仔馬のことが大好きな今の気持ちは永遠に変わらない」という感情を絵にすればいいのでは?と提案する。お姉さんのこの言葉にも別の意味があると思われるが(後述)、もちろんそうとは気づかないまる子は、土曜日の夜に絵を完成させる。このエピソードは、人生における悲しい出来事に「やだもん」と背を向けるのではなく、それに直面し乗り越え、幸せな記憶に肯定的な価値を見出していくラストのまる子への伏線となっている。まる子の常ならぬ「幼さ」の強調は、ラストでの「成長」をくっきりと浮かび上がらせている。

 …とそれだけなら、私がこんなにもこの映画を愛することはなかっただろう。まる子の「幼さ」は、成長に必要な一段階というだけではない、独自の輝きを放っている。まる子が幼くてまだあまり周りのことがわかっていない少女でなければ、「お姉さんを一目見るためにジャングルジムのてっぺんに昇る」というラストが、あんなに観客の胸を打つことがあるだろうか?『わたしの好きな歌』が作られるまでは誰も、「ジャングルジムに昇る」というアクションだけで一本の映画が成り立つとは予想さえしていなかったのだ。

 ここからは私の持論になる。私がジブリやディズニーの作品に胸躍らされながらも実写映画に比べてアニメーション映画をさほど愛せない理由は、「アニメーション映画では原理的にすべてが操作可能であるのに対し、実写映画では原理的に画面に映るすべてを統御することが不可能である」という一点に尽きる。アニメーターの引く線から万物が生み出されるアニメーション映画の中では、何気なくひっくり返る空き缶がすべて一社の製品だということも朝飯前だ(詳しくは、『天気の子』についての拙論を参照)。一方実写映画では、製品の会社を揃えることぐらいなら簡単にしても、すべての缶が願った通りの放物線を描いて落下することは起こり得ない。このことを人呼んで「アニメに風は吹かない」問題と言い、それに対して「風が吹いている」現実世界と拮抗するように撮られた実写映画の、奇跡が映り込んだような瞬間の生み出すエモーションを「映画的」だと定義しよう。(近年デジタル化の進展により実写とアニメとの境が希薄になっていることも含め、異論はたちまち上がると思うのでコメント欄等でどんどんお寄せ頂きたい。)

 『わたしの好きな歌』には、アニメーション映画の世界内に吹くはずのない風が吹いている。お姉さんとその恋人・佐藤との別れの場面、二人の前髪を揺らしている風がそれだ(「風の描写」があればオーケーというわけではもちろんないし、ジブリ映画の風と何が違うのか?と問われると説明に窮するが、どうしても何かが違うように感じる)。まる子がジャングルジムを昇っていく運動の魅惑については既に触れたが、このシーンの喚起する、何か信じがたいものを目撃してしまっているという感情こそ、私が「映画的」と定義するものだ。

 さらにもう一つのシーンに言及しておきたい。当番の用事で遅くなったまる子は、偶然音楽の大石先生と一緒に帰ることになる。夕焼けが街を染める中、「めんこい仔馬」についてお姉さんからもらったアドバイスの内容を話すまる子。大石先生はふと視線をそらし(メガネの反射で示される)、「別れてもずっと忘れない。…そうねえ、そういうことって、人が生きていく中で何回もあるねえ」と呟く。もちろん大石先生はまだ幼いまる子が自分の言葉の意味を真に理解することを期待していないし、まる子も理解してはいないだろう。ところが次のカット、まる子は黙って右手を差し出し、大石先生の柔らかな表情を数秒挟んで、その次のカットになると二人は手を繋いでいる。まるで親子のように、手を繋いだ二人は無言で歩く。この場面を見るたび、私は「映画的」としか形容しようのない感動に襲われてしまう二人が手を繋ぐ必然性など、前後のシーンからはまるでないのに。いやないからこそいっそうなのか。

 まる子が「幼く」演出され、深く考えず手を差し出していることが、作品の感動を高めている。この場面に続く、まる子のモノローグも素晴らしい。

きっとわたしも、生きていく間は、いろんなことがあるんだね。わたしは先生のことも、ずっと忘れないよ。

4. いつまでも忘れない (非)ハッピーエンドが投げかけるもの

 お姉さんからのアドバイスやまる子と大石先生との会話が浮かび上がらせるように、本作では「忘れないこと」「時が過ぎても思い出すこと」の価値が中心的なテーマになっている。その象徴が、タイトルにもある「歌」だ。はまじが「買い物ブギ」を聴くと祖父がこの歌を子守歌代わりに歌ってくれた幼少期を思い出すように、私たちの「好きな歌」は、多くがそれを聴いた過去の情景と結び付いているものではないだろうか?

 過去と強く結び付いた歌として何度も取り上げられるのが「めんこい仔馬」である。この歌が戦争中に出自を持つことに、本作は明示的に触れていないと前節で記したが、実は作品中で二度暗示されている。一度目は、ヒロシが歌う替え歌「山の中の薬屋さん」のシーン。友蔵は「山の中の薬屋さん」が替え歌だと知らず生きてきており、ヒロシの話にショックを受ける。友蔵が思い出すのは、33年前のお隣さんの送別会で、「山の中の薬屋さん」を高々と歌い上げた時のこと。回想中の友蔵は私たちがよく知る老人ではなく、国民服を着た壮年の男である。現在の友蔵が顔に浮かべる「後悔」の2字は、ここでは一見ギャグとして処理されているが、戦中から戦後を生きた多くの人が抱えてきた感情だろう。友蔵は戦争が終わってからこのお隣さんに再会しただろうか?おそらく、していないだろう。あるいは、あの一家も戦争を生き延びられなかったかもしれない…。1970年代半ばを舞台とする『ちびまる子ちゃん』の現在時から33年前、つまり「めんこい仔馬」が発表された頃のことを、友蔵は「後悔」の念とともに、今も覚えている。

 二度目は、まる子と大石先生との会話で暗示される。大石先生は「めんこい仔馬」の続きの歌詞が悲しい内容なので、授業では1番しか教えていない。大石先生がそのことをまる子に語る時、1カットだけ、列車に乗ってゆく兵士を万歳で送り出した時の思い出が現在の情景に挿入される(見事な演出の常で説明は省かれているが、おそらく画面右で万歳の輪に加わらず兵士を見つめている少女が過去の大石先生なのだろう)。「別れてもずっと忘れない。…そうねえ、そういうことって、人が生きていく中で何回もあるねえ」。大石先生は明らかに、この日のことを今も忘れていない。音楽の授業で「めんこい仔馬」を教えるたびに、心の中であの兵士に会っているのかもしれない。

「軍馬になって行く日には オラ みんなで万歳してやるぞ」という「めんこい仔馬」5番の歌詞では、万歳して送り出した先に仔馬を待ち受けているのが「戦争」と「死」であることが暗示される。このことは、『わたしの好きな歌』のエンディング、お姉さんの結婚をめぐるエピソードに巨大な影を投げかけている。

 どういうことか。日曜日にお姉さんと水族館に行く約束を勝手に交わしたまる子は、友蔵も同行するという条件で両親に外出を許可される。行ってみるとお姉さんも一人ではなく、佐藤という若い男が一緒だった。佐藤は北海道の牧場出身で、子どもの頃から仔馬の世話をしており、「めんこい仔馬」の歌詞をお姉さんに教えた人物でもあった。佐藤は水族館でお姉さんにプロポーズする(が、間の悪い友蔵とまる子に邪魔される。ここは最高!)。しかしお姉さんは、家族の住む実家から離れた場所にアトリエを借りるほど絵に打ち込んでおり、東京で絵の勉強をしたいと願っていた。

 年が明けて3学期になり、まる子が「めんこい仔馬」について描いた絵が賞を受賞する。うれしくなったまる子はお姉さんに感謝と喜びを伝えるためお姉さんの家に行くが、外で佐藤とお姉さんが別れ話をしているところを目撃してしまう。北海道に帰って牧場を継ぎたい、お姉さんにも来てほしいという佐藤に対し、一度は東京で暮らし出版社を回って自分の実力を試したいと結婚を断るお姉さん。「君は僕と人生を一緒に歩いていくことより、自分の夢を選ぶんだね」という去り際の佐藤のセリフは、価値観の多様化した今なら(いや当時でも?)完全にアウトだろう。

 物陰から歩み出たまる子はどうするだろう?なんとまる子は、「絵は北海道でも描ける」「でもお兄さんはたった一人しかいないんだよ」と言って、佐藤を追うように促す。お姉さんはそのまま佐藤と結婚し、結婚式の日、まる子はお姉さんを「泣かずに万歳」して祝福しようと奮闘するのだった。

 想像するに、お姉さんが「仔馬といつかはお別れする日が来るけど、仔馬のことが大好きな今の気持ちは永遠に変わらない」とまる子にアドバイスしたあの時、佐藤とは生き方の違いから「いつかはお別れ」するかもしれないと予感していたのではないだろうか。また、お姉さんがまる子を水族館に誘ったのも、このまま二人でいることへの迷いが兆していたからではないか(熱愛中のカップルなら、いくらまる子のことを気に入ったとしてもデートは二人で回りたいとは思うはずだし)。ならば、まる子の介在によって、お姉さんの人生は変わってしまった(=まる子がお姉さんを「結婚」へと追い込んでしまった)可能性がある。前節で述べた「幼さ」によって、まる子がそのことにまったく無自覚なのが、観客には伝わるのだが(インターネットの発達した現代でも、北海道で牧場の仕事に追われながら絵の修業をするのがいかに難しいか、まる子より年を食った私たちには想像できる、展覧会もよほど大規模でなければ東京以外に巡回してくれないから…)。

 結婚を疑わずに幸福と見なしているかのようなまる子の言動は、まる子の家庭環境に起因しているとも考えられる。両親も祖父母も健在(本作冒頭ではわざわざ母方の祖父母すら登場していたことを思い出してほしい)、ヒロシと友蔵がへべれけに酔って母(すみれ)に雷を落とされることはあるが、うらやましいほど平和な家庭だ。姉(さき子)だって、まる子に強く当たる時もあるが、まる子がお姉さんを慕ってその話ばかりするのを実の「お姉さん」として少し嫉妬する場面があるなど、本当はまる子のことを気にかけている。だから、お姉さんの結婚でまる子が泣きじゃくっていた時に、まる子の髪を撫でてやるのは姉である。二人が画面に収まる姿が、まる子の描いた「めんこい仔馬」の構図と一致するのは決して偶然ではないし、その一致ぶりと姉妹愛にも感動してしまう。一方のお姉さんは、アトリエを借りて家族とは距離を取っており、母からもらったペンダントもまる子に譲ってしまう。最後まで、お姉さんが家族とどんな関係にあるのかは描かれない(結婚式の日に涙を拭くのは、「しょう子さん」とさん付けで呼んでいることから、実の母ではなく姑となる佐藤の母だと思われる)。家族観・結婚観・人生観に本当は差があるのに、幼いまる子は自分とお姉さんとの差異に気づかない。

 以上のことから、まる子が思っているほど、結婚と北海道への移住という本作の結末はハッピーエンド一辺倒でないことがわかる。「めんこい仔馬」で飼い主が仔馬を戦地に送り出したことと重ね合わせられ、お姉さんが絵の道を諦める非ハッピーエンド=バッドエンドという解釈すら有力になってくる。では私たちは、『わたしの好きな歌』のメッセージをどう受け取れば良いのか。

 私はここで、第2節末尾で「一つの歌について、解釈は無数にあり、唯一の正解はない」と述べたことに立ち戻りたい。歌がそうならば、人生の出来事についても解釈は無数に立てられるのではないか。「めんこい仔馬」の意味が、1番だけ聴いた時と続きの歌詞を知った時で大きく変わるように、お姉さんの結婚の価値も、その後の人生によって異なってくるのではないだろうか。人生という歌には、どこまで行っても続きの歌詞があるものだから。

 お姉さんの結婚を見届けて帰って来た後、腹痛と偽って授業を抜け出していたまる子は、たまちゃんに体調を心配される。朝食に悪い物でも食べたんじゃ?と気遣うたまちゃんに、まる子は朝食に「お寿司とうなぎ」を食べたとむちゃくちゃしょうもない嘘をつく。すかさず、今まで沈黙していたキートン山田のナレーションが「見栄を張るな」とうなりを上げる。薬箱を差し出してくる丸尾君に「さすがだね」と口だけで感心するまる子の表情は、見慣れたあの白目と半開きの口になっている。日常が戻って来たのだ。人生は続く

 最後の最後で永沢君としなくてよかった契約を交わし、春休みの間ニワトリの世話を引き受けさせられたまる子。「めんこい仔馬」を歌って想像上の仔馬と触れ合うまる子の姿から始まった映画は、身の回りの現実に生きているニワトリの世話に絶望するまる子の姿で終わる。それでも、まる子は春休みじゅうニワトリの世話をするだろう。北海道でのお姉さんが、絵を描きながら日々牛や馬の世話をするように。人生は続く、たえず過去の出来事の意味を変えながら

 それでも、まる子がお姉さんと過ごした思い出は、消えることなく残り続ける。お姉さんの絵画(まる子によく似た少女が仔馬に乗って駆けている)を仲立ちに、お姉さんはまる子のことを、まる子はお姉さんのことを、いつまでも忘れないだろう。それが『わたしの好きな歌』の、最大のメッセージだ。いつまでも、忘れないこと

お姉さん、わたし、一生忘れないよ。

 一観客にすぎない私も、大切にしていたはずのVHSテープはどこかに行ってしまったが、『わたしの好きな歌』という素晴らしい映画にめぐり会ったことは一生忘れない。さくらももこという、人生について教えてくれた天才がいて、その天才とはつい5年前の8月まで同じ世界を生きていたことも、いつまでも忘れない。空想のビデオテープのツメを折って、心の中の大切な場所にしまい、これからも生きていこうと思う。

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